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日本中世の起請文をテーマにした卒論について
卒論研究計画書の提出まで2ヶ月を切りました。しかし、先行研究や参考図書を読んでも納得するばかりで、問題意識が生じてきません。自分が何をどのように研究して論理的な分析をしたいのかわかりません。じゃ、なぜ、このテーマを選んだのか?と思われると思います。 実は昨年、古文書学で初めて起請文に触れ、神文、罰文に強烈な印象をもちました。それ以来、起請文という3文字が頭から離れません。で、ほとんど迷うことなくテーマに決定したわけです。罰文についての研究ということも考えましたが、それの何に疑問をもっているのか、と言われれば何もないのです。担当教員にも相談しましたが、命題を決めるのは自分自身です。 気持ちは起請文モードになっているので、他のテーマに変更したくありませんが、こんなことではテーマを練り直したほうがいいのでしょうか?どうしたらいいのでしょうか?何かアドバイスお願いします。
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- TANUHACHI
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御多忙中に補足をいただきありがとうございます。 補足を読んでいて感じたことですが、一番最初に質問者様が目にされた「起請文」なる型式の古文書を見た時、そこに記されていた「癩」の文字に対する衝撃が相当なウェイトを占めてしまい頭から離れないとの事情もわかりました。 もしこのインパクトを活かすならば「癩に象徴される卑賤観念を辿ることも一つの視点ではないかなと思われます。ただ卒論としてこの問題を扱うのでは余りに広範な問題、例えば中世の身分秩序構造やら中世の国家像などといった途轍もない大きなテーマにつながるために、お奨めすることはできません。 しかしながらもう一方の問題でもある「文書(ぶんしょ)としての起請文が生み出されてきた背景及び使用された環境」を念頭に置くならば、様々な展開を考えることもできます。 その後の「一揆契状」などに代表される「願文」との関連等でいえば、文書が作られ読み上げられた後に衆目の中で焼かれ、それを全員で飲み干したとされています。本来「契約内容の正当性」を示すための文言として「神仏に対する誓約を盛り込み」それを公の場に提出した文書が「なぜ一揆という私的空間に属する領域で契約を示す起請文が用いられたのか」等々さまざまな研究の蓄積があります。そこからは惣結合構造との関連にアプローチすることや「契約」との視点から理解するならば古代の「債(ものかい)」との関係はどの様なものであったのか、などとの問題を立てる事も可能でしょう。また「契状」として盟約を交わすのであれば逆の形はどうでしょう?(契りが結ぶのは縁であり、縁を離脱することと無縁とはどの様な関係にあるのか)。 起請文が文書(ぶんしょ)として果たした「機能」を古文書学的見地から整理し、それを具体的な事象の中に位置付けていく作業ができれば、卒論としては十分であると一人の歴史学に関わっている者の立場から答えさせていただきます。 先ずは岩波の「中世政治社会思想 上・下」所収の論文を筆頭に佐藤進一氏(僕が学部時代にお世話になった恩師です)の「古文書学入門」あたりに目を通されて「起請文」の特性を理解すること。そうすれば「テーマとしたいモノ」が朧気ながら像の輪郭を結び始めます(卒論計画書の第一段階)。 次いで担当教員との相談で「具体的な対象の選定」を行う。それにより対象とする材料がロック(Lock)されると同時に具体的な史料を「中世法制史料集」「鎌倉遺文」「大日本古文書」「大日本史料」などの中から選び出し、それに関する先行研究を探す。 問題意識と言っていますが実際には「具体的なテーマをどう設定してよいのか判断できない」との問題に帰着します。 僕が学部時代に卒論の対象として採り上げたのは「太宰府公営田」でした。これを律令体制の解体過程の中にどう位置付けるかとの問題に即して、そこで耕作に従事するために太宰府管内から動員された人間と民部省(実際には太宰府)との関係を「賃金雇用に準ずる労働契約あるいは経営形態」と見倣しての分析視角に基づいて研究史を総括し若干の積み上げを行うこともできました。残存史料は国史大系「類聚三代格」所収の「弘仁14年太政官府」のみで、他に該当するモノは「元慶官田」と「石見国営田」のみの3種類。既に過去の研究者達によって大方の検討が行われ、学生が疑問を持つには余りに狭い範囲でしたが、逆にそれが良い方向に働き「中世史からの逆方向のアプローチ」で成果を出すこともできました。 「命題」と仰っている以上は質問者様には既に「結論が想定されている問題」と理解できますが、対象も定まっていない間に結論を出せるとは思われません。「起請文をどの様な事象との関係で理解するか」を1ヶ月余りの間、整理し直してみましょうよ。 訴訟制度における起請文の意味(システムとしての国家なり公権力は罪を科すことができるが、天罰の言葉に示されるような前近代においての罰は神仏に対する誓約を破った時のペナルティとしての側面を有している)・その後の「誓旨」などとの関係など多彩な世界が広がっています。また起請文といっても11世紀から16世紀に至る500年間というタイムスパンの中でその性質も変容を遂げていきます。平安末の起請文と戦国時代の願文では「誰と誰の間での契約か」も多様化していきます。現時点で質問者様が示されているテーマの中で適切と考えられるのは「和与」との関連です。これならば史料も研究論文も日本の中世史学だけでなく法史学にも多大な蓄積があります。 頭の中を冷却するためブローデルの「地中海」やル・ゴフの「中世とは何か」をとばし読みしたり、「中世の罪と罰」(網野善彦・石井進・笠松宏史・勝俣鎮夫)、「日本中世史を見直す」(佐藤進一・網野善彦・笠松宏史)「中世の再発見」(網野善彦・阿部謹也)などを寝転んでの形でも構わないので読んでみることをお奨めします。 また何かお聞きになりたいことがありましたら気軽にお声を掛けてください。
- izuhara
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せっかく興味を覚えたのですから、続けたほうが良いと思います。 ただ、中世の起請文とするとあまりに範囲が広すぎると思います。 ひとまず時代や地域を限定してみてはいかがでしょうか? 起請文の研究史全体を把握していませんが、意外と大ざっぱなものが多く、個別的な先行研究というのは少ないのではないでしょうか? 起請文とはなんぞや、という大きなテーマではなく、先行研究の少ないある時代のある地域の起請文を検討して、多様な起請文像を呈示してみてはいかがでしょうか。 そうすることによって、先行研究の解釈との相違が生まれてくるかと。 もちろん先行研究の言う通りであってもいいのです。その先行研究が別の角度から裏付けられたことになりますから。それはそれで意義あるものです。 一昔前は大局的な見地からいろいろな事象を定義付けする研究が流行っていましたが、近年はまずは小さな事からこつこつと積み重ねようとする研究が増えているように感じます。 その中で偉大な先行研究とは食い違う事例がしばしば見いだされたりしています。 先行研究の解釈そのものに疑問を持つのではなく、先行研究の扱っている範囲が解釈を成立させるのに十分なのかという点に疑問を持ってみてはいかがでしょう?
- TANUHACHI
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卒論計画書の提出まで2ヶ月もあるのですか?。僕の学生時代には3年次の11月に「卒論のテーマ設定に関する説明会」が学部の専攻科別に開かれ、少なくとも4月1週目までには指導教員と相談の上「タイトル」を決定し学部事務室に届けるように、とのお達しがありました。今はとてものんびりしているのですね。 さて閑話休題、僕も同じ学問領域で学生時代を過ごし学舎を離れた後5年間を1人の社会人そして職業人として過ごした後に社会人枠で大学院の選抜を受け再び学舎の門を敲き、現在は二足草鞋の形で職場と大学で学生達の相手をしております。その関係で少しばかりお話をさせていただければ恐縮です。 文面から推察した限りでは「起請文」を扱いたいとの大まかな括りは理解できますが、ご自身も分析しておられる様に漠然としすぎている感は否めません。 質問者様が「起請文」に初めて接した時にどの様な点に衝撃を受けたのでしょうか。それが一つの手掛かりになると考えることもできます。 起請文の古文書学的特性(使用される目的・様式・伝来)に着目するのか、それが生み出されてきた背景に絞るのか(訴訟制度との関連で考察する)など今よりも領域を限定することも可能と思われます。 学部の卒論では文書(文書)の範疇としての「起請文」と一括りにするほど大それたテーマを設定することには無理があります。「○○寺の××という史料から△△という事象を考察する」などとして「具体的な課題」を設定することが無難な選択といえます。こうすることで一つの具体的な取り掛かりを見つけることも出来ます。対象として採り上げる史料を限定することで、それに関する先行研究にはどれ位の蓄積が過去になされているかを調べることも可能となります。一点の史料でも膨大な研究蓄積がある場合もあれば、史料群として現存していてもそれほど過去の研究史がさほどの蓄積を持たない場合もあります。 恐らく「歴史学概論」の講座で学んだと思いますが、研究史を調べる事の意味は「過去の蓄積と分析の視覚」を抽出すると共に「現在の到達点」を知る事にあります。 起請文ということであれば、既に先駆的な研究である佐藤伸一氏の『鎌倉幕府訴訟制度の研究』黒田俊雄氏の各種論考、清水克行氏の『日本神判史』や佐藤弘夫氏の『神・仏・王権の中世』『起請文の精神史』あたりは既にお読みと考えられます。そこに「参考文献」や注として「引用文献」が掲載されているはずです。また現在の学界の最新動向は『史学雑誌』の毎年5月号で紹介されています。 この他にも石井進氏をはじめ網野善彦氏、笠松宏至氏、勝俣鎮夫氏、大隅和雄氏など日本中世の宗教を背景とする人間の意識を扱った名だたる研究者の論考があります。 具体的に「この様な材料」と仰っていただけるのであれば、なにがしかの助言をさせていただくことができるかと存じます。
お礼
専門的お立場からの詳細かつ丁寧なご回答に感謝しております。参考になりました。現在、関連した先行研究を読んでいる最中です。 今後もおそらく質問させていただくと思いますが、一先ずお礼申し上げます。
補足
早速に回答ありがとうございます。 私を4回生だと思われているようですが、3回生です。したがって、まだ1年あります。 鎌倉期の参籠起請、御成敗式目の起請文の考証、あるいは中世後期の落書起請と悪党摘発に関するもの、和与と湯起請の関係、などを考えていますがどのような観点で切り込んでいけばいいのか、なかなか見つけ出すことができません。読み込みが足りないのでしょうか。 私が起請文に接して最も驚いたことは、罰文に癩病という二文字を見た時でした。初期の罰文には出てきません。白癩、黒癩という文字が登場したのは、日蓮の出現と深く関わっているらしいですが、それを追究していくと、宗教学の分野にはまり、日本史の卒論として的確性を欠くのではないかという懸念があります。 吾妻鏡や平家物語の総索引で「起請文」を調べたところ、起請したという記事は30ほど出てきますが、実際の文面があるのは、範頼の起請文ぐらいです。平家物語には一切ありません。背景や書いた理由などを時代から検証することは可能ですが・・・それに文学であり、特に吾妻鏡は為政者からの立場の記事なので歪曲されています。 そんなこんなで頭をかかえる毎日を過ごしています。
お礼
先行研究に対する扱い方を色々示していただいて、大変参考になりました。 ありがとうございます。