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苦瓜(ゴーヤ)は何故苦いか
人間が苦みを感じるのは、それが体内に入ると毒であることを長いあいだの自然淘汰で進化した結果だと思っていました。そこで、昔からの疑問だったのですが、苦瓜は何故健康に良いと皆さんが言うのでしょうか。あれだけ苦いものが体に良い筈がないと思うのですが、何か変ではありませんか。もし、苦みが毒と関係がなかったら、人間なんて疾っくに滅んでいませんか。
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>苦瓜(ゴーヤ)は何故苦いか →ゴーヤが苦い理由は、種が未熟な間は食べられないように苦く、種が熟した時は甘くなって動物に食べてもらい、種子散布を助けてもらうからだといわれています。 >苦瓜は何故健康に良いと皆さんが言うのでしょうか。 →ゴーヤは、ビタミンCが含まれること及び健胃効果を持つといわれる苦味の成分を含むからです。 >あれだけ苦いものが体に良い筈がないと思う →なぜか胃によいといわれる物は、苦い物が多いようです。 アロエ、センブリ、オウレン、ゲンチアナ、リンドウ、熊の胆など。 胃は苦味などで刺激を感じると胃液をよく出す様です。 このため、夏バテで胃の調子が悪い時でも、ゴーヤを食べれば消化を助け、食欲を増進して元気になるといわれています。 また、お茶やビールなどの苦い飲み物を食事の間に飲むと口の中がさっぱりとして、食事が進むと思います。 それと、人間の好みなのかはわかりませんが、果実は完熟した甘い物を食べますが、料理に使う野菜は、未熟で甘くなく歯ごたえの有る物を食べることが多いと思います。 例としては、ピーマン、ズッキーニ、なす、キュウリなどがあり、外国では果物であるバナナやパパイヤの若い果実を料理に使う事もあります。 これは種ができると種は食べにくいこと及び野菜自体の歯ごたえが悪くなるからではないでしょうか。 なのでゴーヤも完熟して甘い歯ごたえのないものを食べず、未熟な若い物をたべるのだと思います。
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- amaguappa
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> 生物の種の保存におけるゴーヤの苦味の意味を訊ねています。 そうでしたか、わたしはてっきり、「ゴーヤの苦いのを味わう人間は変ではないか、ゴーヤは何故苦いを喰らうか」というご質問かと思ってしまいました。失礼いたしました。 なるほど、およそほとんどの果実・果菜が、未熟なうちに種を運ばれてしまわない工夫をしているでしょう。逆に言えば、人間でいうと脳にあたる根を犠牲にしてまで、果実の方に栄養分を回して鳥や獣を誘惑するとなると、種を運んでもらいたい短いタイミングに限らないと根が持たないでしょう。そうして、未熟なうちは実が目立たない色で渋かったり苦かったり酸っぱかったりし、成熟すると目立つ色を付け、甘みやうま味と栄養分を蓄える。 ところで柿や梅とちがって、ゴーヤは葉も茎も苦い。 全体が苦く生まれついているとしか言いようがないのではないかと思いました。 するとつまり、青いゴーヤの苦味は、青いパパイヤや青い麦のように未成熟にまつわる味ではなくて、独自の成分による苦味なのだと見破って食用にした古代中国人の食への執念って、やっぱりすごいと思いませんか。
お礼
回答有り難うございます。
- amaguappa
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いえ、猪突さんの目を回すために書いたのではないですよ。焼酎でわたしの目が少し回っていました。 昔々の中国人が、苦味を探し求めてわざわざ苦いモノを食べ、ときには毒にあたりながらでも止めなかったので、ゴーヤをありがたがって食べるようになったという話でございます。 ところでこのご質問は、生物のシュの保存におけるゴーヤの苦味の意味を訊ねているのですか? それともゴーヤを食する人間のシュの保存における毒との付き合い方を訊ねているのですか?
お礼
雨合羽さん >いえ、猪突さんの目を回すために書いたのではないですよ。焼酎でわたしの目が少し回っていました。 いえいえ、貴方の目が回っているんじゃなくて、世界を手玉に取って回しているような貴方の文章が楽しいのです。 生物の種の保存におけるゴーヤの苦味の意味を訊ねています。他の方も言っていましたが、完熟して種が成熟するまでまってから食べないとあんた危ないよ、と言う信号をこの苦みで送っていると言う見方が、今のところ最も穿った見方だと思えました。
- amaguappa
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中国歴代皇帝のお付きの医者はただの医者ではなく食医といって、養生の知識に長けた予防医学のエキスパートでなければなりませんでした。 今日の人々は近代科学の思考が根を降ろしているせいか、医食同源などという造語を聞くとたいへん科学的な整合性のある話だと考えがちです。しかし中医学の場合、五行に基づいて五味が五臓にはたらくとする理屈や、陰陽をさらに寒と冷と温と熱に分けて食物の四気を判じる理屈は、ひたすら経験的に編み出された体系です。紀元2-3世紀には『神農本草経』にまとめられていたのですからそれより遥か昔に蓄積された経験といえます。経験と真理のうち、真理が先で当て推量の経験が生かされるのか、経験が先でやがて真理が輪郭を表わすのか、中国の歴史は長いのでどちらかよくわかりませんが、混然一体であることはうかがえます。 史記にも登場する伝説の三皇の一人、文明の開祖のように語り継がれている神農(B.c.2740年頃)には、神農嘗百草之滋味、一日而遇七十毒という言い伝えがあります。身体が透き通っていたので毒が臓器を黒くするのが見えたのだそうです。こういう話を聞くと、実在の偉才の賢帝に加えて、人々の知恵の混ざり合った歴史的総和が神話のキャラクターを産むのであろうと思わせます。 こうして神格の方や先人が体を張って、中国の食と本草学が磨きあげられ薬食療用が根付きました。四気と五味の「気味」は『神農本草経』を貫くテーマです。最古の医学書『黄帝内経』も陰陽五行にもとづいて書かれ、五味を五臓に照らして未病の医療の重要性を説いています。苦味は五行のうち火(五臓の心)(心臓のことではなくもっと観念的な概念です)にくっついて作用するので、消炎、冷却の効能を持つものが多いことになっています。ちなみに夢見が悪いなども解決できることになっています。ゴーヤのほかに、よもぎ、春菊、蕗、緑茶、緑豆、銀杏などが挙げられますが、それぞれに四気の違いがあるため効能も違うようです。 ゴーヤの苦味は、単純にいって胃を刺激するのは事実であり、ほどほどの健胃作用は確実に望めます。苦味と関係なく、亜熱帯の夏の野菜らしく成長の早い、水分の多い野菜ですから、ミネラルのうちカリウムやナトリウムが多く排出作用と新陳代謝促進作用があります。こういう性質は陰性に分類されるのですが、ゴーヤのような強い苦味は、強い甘味と同様、避けなければならないと考えるクシマクロビオティックのような考えもあります。五味のうちの苦味は重宝だけれども、強すぎてはダメだという考えですね。クシ博士は気学家なので、極端な陰性がひきおこすとする収縮性の病気の研究をしているのです。 ともあれ、実のところ、ゴーヤの薬効成分のmomordicosideは、種に含まれる配糖体であって文字通り甘いのです。江戸前期の貝原益軒は『花譜』のなかで、種のまわりの赤い身が甘く子供が好んで食べると書いているんだそうです。
お礼
ストレートに来ないで、臍を曲げているようでいて、それでいて臍を曲げていないような雨合羽さんの文章をいつも楽しく読ましてもらっています。人をからかいながら辛抱強く主張を繰り返すなど、何か人生を楽しんでいる雰囲気が伝わって来る。有り難うございます。 私は、若い頃何か昔の人が言うことに、何かと、重要なことはこの五つであるとか三つであると、変な数字が出て来て、何で六つじゃないんだ、四つじゃないんだと拒否反応を起こしていました。しかし、歳とっていろいろと経験するとそんな凝縮に意味があるんだ、何故四つじゃなくって、三つなんだなどと言うこと少しづつ解るようになって来ました。要するに、トコトン考えた末、この三つに絞られると言って言るのですね。 でも、中国のこ五行だか五味だか五臓だかは虹の色は七色だと言うくらい恣意的だなあってて思えて、私には良く解んないですね。でも、私はいつも人間の深みを雑学の多さで判断することにしているので、今回も雨合羽さんなその眼鏡に適ってくれました。
- JidousyaGaisya
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#4の方の御意見への補足をさせて下さい。 東洋医学では、問題の経絡が特定された際に、その経絡へ直接的に刺激を施すのではなく、陰陽五行図の法則(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E8%A1%8C%E6%80%9D%E6%83%B3#.E4.BA.94.E8.A1.8C.E3.81.AE.E9.96.A2.E4.BF.82)の通りに、間接的な処置を試みます。 従いまして、#4の方が仰る通りに、胃が疲弊している状態(胃虚)の際には、胃経・脾経の働きを助ける為に、心経・小腸経の働きを借りさせる場合が比較的に多い、と考えられます。 だから、胃への負担が比較的に大きい食品等に、心経・小腸経に関わっている「苦味」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E8%A1%8C%E6%80%9D%E6%83%B3#.E4.BA.94.E8.A1.8C)の元を加える為に、沖縄周辺地域では、苦瓜が豚肉料理等に盛り込まれてきたのではないでしょうか?
お礼
回答有り難うございます。 やはり、良薬口に苦し、あるいは、毒をもって毒を制す、と言うことのようですね。
理由は…偶然ではないでしょうか。 苦味に対する反応は、肉食動物、雑食動物、草食動物の順で鈍くなるらしいです。 苦くない植物と苦い植物があって、苦くない植物は食べ尽くされちゃったのでしょう。今度は、苦い植物を食べられない草食動物種が生き残れなくなっていきます。そうして、今の苦い植物と苦味に鈍感な草食動物ができあがってきた、というのが進化論の考え方かと思います。 ゴーヤの苦さも、苦い種と、無数の苦くない近種とが偶々できて、苦い種だけが生き残っていると考えるのではないかと思います。
お礼
回答有り難うございます。しかし、まだその説明では解って来には成れないのですが。多分、#4さんの説明がもう少し的を射ているような気がしました。
- TANUHACHI
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今晩はchototu様。 この質問とは少しばかり異なる事例ですが、「ドリアン」て途轍もない異臭を伴う果物がありますよね。異臭を伴うにも拘わらず味は殊の外に美味い、と申します(斯くいう僕は未だ食べたこともありませんが)。同様にパパイアも独特な臭いがあります。漢方で使用される「蕺(ドクダミ)」も花としてはどことなく甘い香りを伴いますが、ドクダミ茶として煎じると猛烈に苦いですね。 chototu様が仰るとうりに「植物にはある種の自衛本能」と同時に生物としての本能である種を保存すべく能力にが備わっているのではないでしょうか。「他の動物からは食べられたくはないけれど種を残すためには何が必要か」との条件で設計された結論があのような形になったのではないでしょうか。 遙か昔の「生物学」の講義で「種の保存」に関しての「環境適応能力」あるいは「環境決定論」の名前を聞いた憶えがあります。 自らが主体的に移動する手段を持たない植物が、全く別の土地で同じ種を繁殖させるための条件として他社に運んでもらい、その地で芽吹き趣旨を結び新たな繁殖地域を獲得する。確かこの様な内容だったと記憶しております。 苦瓜を食するのが人間だけでないと仮定するならば、苦瓜が熟した時に鳥や昆虫によって種子や花粉が運ばれることは他の植物同様に十分にある話ではないでしょうか?。 学生時代の同級生に沖縄の方がいましたが、その時に彼が話していた言葉が印象的でした。「ゴーヤは確かに苦いけれど、それを食べるために工夫してチャンプルーのような炒め方をする。あれをそのままで美味しいとは思わない。でも沖縄の食文化は中国や韓国と同様の医食同源の考えに基づいて作られたと聞いている。奄美の酒も黒糖酒といって元々は黒糖を蓄えて保管していた時の副産物的なモノとして作られたと聞いている」との言葉でした。 医食同源ならば日本でも「良薬、口に苦し」との諺もあることから、僕は納得しているのですが。理系分野に関しては素人にも等しい僕の経験からの回答です。失礼いたしました。
お礼
回答有り難うございます。 良薬口に苦し、って言うことは、一般的に薬ってやはり毒の一種だと思うんですが。毒を以て毒を制すと言いますからね。
- juanne-nene
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回答になるかわかりませんが、私たちが食べているゴーヤ(緑色のもの)はまだ成熟する前の段階で食用にされています。 熟したものはオレンジ色で柿に似た甘い味がするらしいです。 ピーマンも同じです。 一般的に成熟前のものは野菜でも果物でも苦いというか、おいしくないですよね。 なぜゴーヤやピーマンが未熟な状態で食べられるようになったかはわかりません。 栄養価と味は別物なのかもしれません。
お礼
回答有り難うございます。 美味しくないと言うことは、まだ食べるなと言う信号を送っているのだと思えるのですが、何かその理由があるのではないかと心配しているのです。 余談になりますが、植物の葉っぱは動物に食べられたら生き残れませんので、殆どの植物は葉っぱの消化が悪くするなど、如何に食べられないようにするか進化の過程でいろいろ工夫をして来たと聞いたことがあります。だから我々は道草を食べられない。ところが、今度はそれを食べる方も生き残りのためにいろいろな工夫をして来た。それが、牛の4っの胃袋だとか。 一方、人間は煮ることで、消化を良くすると言う方向に進化して来たようです。進化って巧妙ですので、苦みにも何か理由があるのだと思います。
お礼
回答有り難うございました。 大分説得されました。苦みは、やはり動物の体に悪いものの信号として出ているので、動物も躊躇して食べず、それが種の保存に役に立っていると言うことらしいですね。 ところが、勿論世の中は白黒で決着が付くほど単純には出来ていない。その苦みが体に深刻に害になるほどには体内に入らない限り、逆にその異物が胃腸などを刺激して、本来植物が狙った効果の逆の効果を齎すことも在る。正に、このことが、良薬口に苦し、と言うことの意味なのでしょう。 数学とコンピューターのデジタル世界と屁理屈を覚えた思春期の連中の頭の中の世界を除く全ての世界が、白黒ではなくて灰色に出来ていると言う、従って曖昧な世界であるという事実を、自然界は最大限に効率よく利用しているというのがどうやら答えらしいですね。