今日は
中京地区は此の100年の間で、御存知とは思いますが、産業構造がすっかり変わってしまいました。
紡績、軽工業>豊田佐吉>自動車産業.......豊田翁を通して大きく様変わってしまいました。
戦争では余り大きな被害を受ける事が無かった所為(せい)か、旧来の国鉄鉄道網及び細い道路でも何とか復興には間に合った様です。
tokiwa3chaさんの御質問を拝見しまして、「鉄道ファン」なのかな....と思えましたが、現在の鉄道網は戦前から有る大動脈部分と大きくは変わっては居ないと思います。確かに枝葉の部分では、大きく変貌しては居ます。 御指摘の通り、鉄道網を見て居ると綺麗に4っつのセクション(丸でオセロの様)に分割出来そうです。
戦後の復興策、国民車ブームに上手く乗れたのが、そう、TOYOTAでしょうね。作った物(=車)を効率好く移送、輸送するには鉄道ではなく、道路(=高速道路)網の方が好かったのでしょう、但し其れは「産業用」の為の物であって「人間」の為の物では在りませんでした。
其の証拠に、名古屋市内の市電(=ストリートカー)は悉(ことごと)く廃止され、今はもう全て撤去され尽くされました。名古屋では、「そこのけ、そこのけ車が通る」が罷(まか)り通ったのでした(話は逸れますが、高齢化社会を迎えて市電の良さが全国的に見直されて居る昨今なのですが.......惜しいですね)。
東京、大阪への高速道路網、名古屋港、田原港、セントレア(愛称)空港等大動脈系はグレイトに整備されはしましたが、4っつのセクションは独立はすれど、横繋がりには程遠く、皆名古屋丈けしか見えていない(中央志向か)、tokiwa3chaさん御指摘の「四方向に綺麗に分かれている」、私も正に其の通りと思います。
ザックリ言って、4っつのセクションは旧県道上がりの細い国道と、県道が複雑に絡み合った所で在り、平日の通勤時のみ混んで、其の時間以外は割とスムーズに動き回れる様です。
車ファクターが支配する所の割には、色々と御座なりな街創(まちづく)りをしてしまった様ですね
お礼
ご想像のとおり、鉄であります。 ここ2~3年の間に、路線図のような歪なものではなく、きちんとした地図の上に 鉄道網を描いたものが幾つか発売されたので、それを通じて地理の方にも 目が向くようになった次第です。ついでに、温故知新で歴史の方も。 ですので、鉄道についてはそれなりにわかるのですが、 どうしても車については疎く、名古屋のような車社会は見えない所が多いです。 しかし、4方面の横(環状方向)の繋がりはやはり弱いのですね。 鉄の視点でも愛環、太田線、養老鉄道の苦戦ぶりが良くわかるのですが、 それは道路にパイを奪われているのではなく、現状はパイがないんですね。