以前の私の囘答は すべて削除されました.まあ 仕方ない.本質的な話といふものは 理解するのは面倒なものですから.とばつちりで naomi2002さんの囘答も削除され さぞ嫌な思ひをされたのではないかと 同情いたします.
それは さて 申しあげたかつた事は ローマ字表記の混亂は 單に偶然起つた事では無いといふ事です.起るべくして起つた問題である事を 知つて戴きたかつたのです.つまり 發音といふもので 言葉の「表記」といふものを 安直に統制しようとした爲に 日本語の 假名[かな]による表記は かつて無く混亂し その表現力は 著しく低下してしまいました.その結果として ローマ字表記の混亂があるのです.その事情に いささかなりとも 關心を持つていただければと 願ふばかりです.
が ともかくも質問は 「大内さん」のローマ字表記です.まづは 私の御薦めする それを.
Ohouchi が 私の あるべきローマ字表記と考へる 綴りです.以下暫くを FAQ風の遣り取りで 手短に.
Q:その根據は.
A:傳統に則つた「大内」の 假名表記は 「おほうち」であるからです.しかも 「おほ」の假名の組合せは 漢字を宛てれば 「大」の字を用ゐる言葉 「おほきい(大きい)」「おほらか(大らか)」「おほしま(大島)」など 總てをほぼ獨占し 「おほ」は「大」(時に「多」)の意味である事が 一目瞭然となる工夫まで されてゐたのです.これを捨去る理由は何處にも ありますまい.
Q:發音は.
A:「おほ」の表記は 「お」の長音として 發音します.それが 傳統的な讀み方です.もつとも 假名文字成立の頃は 「おほ」と發音されてゐたとも 言はれてをりますが.
Q:そのまま 「おほうち」と 發音されてしまふではないか.
A:發音は 訂正すれば それで 濟みます.話し言葉とは さうしたものです.たとへば同音異義語を説明しなほしながら話を進める事などは 日常茶飯事でせう.大切なのは 表記としての 正統性です.何しろ 目の前にゐない人に 讀んでもらひ 「意味を傳へる」事が 「表記する」事の 第一の目的なのです.發音は 時代とともに變化してしまふものなのです.文字として 殘るのですから 基本を傳統的な表記法に求めるのは 當然の事でせう.
Q:Ouchi, Oouchi, Ohuchi, Ouuchi では どうしても駄目なのか.
A:駄目ではありません.苗字にも 四月朔日または八月朔日と書いて「わたぬき」と讀ませる方も をられるくらゐです.その方達に 「綿貫」と書けとは誰も 言へますまい.問題は 發音などといふ基準のみにより 表記を云々する 考へ方です.因に フランス人に Ohouchi を發音させれば「は」行の發音は「h」抜きとなり 「あ」行と同じやうに發音し 「正解」してくれませう.
Q:フランス語より 英語が共通語となつてゐるのだから Ohouchi より 他は 増しではないか.
A:英語圏では Ouchi の ou は 「アウ」と發音されかねません.out の「アウ」です.随つて「アウチさん」に なりかねません.いやはや まこと 痛々しい.O の頭に 横棒を引く手も 時折見掛けますが 一般の英文で さうした表記を見る事はありませんから 別途 説明する必要が出て來るのでは ないでせうか.また Oouchi は 「現代かな遣い」の表記である「おおうち」に對應[たいおう]してをりますが oo が「ウ」または その長音と受取られかねない事は #4の naomi2002 さんの 指摘のとほりです.また 發音を正確に傳[つた]へたいと 言ふのであれば 「おお」は ふたつの「お」では無く 「お」の長音ですから やはり 説明を要しませう.次に 近頃流行りの 「h」を組込む Ohuchi ですが oh が「お」の長音であるとは 日本人の勘違ひで oh の發音は 二重母音の「オウ」となる.すなはち 「オウウチ」となり これも 正解とは言へません.餘談ですが ダイエーの王監督は 「現代かな遣い」では「おう」と かな表記しますから 「Oh」で「正解」です.因に 傳統的な假名表記では 「王」は「わう」と書きます.これなら 誰が見ても 「わうかんとく(王監督)」を「おほかんとく(大監督)」と 讀み間違へる事は ありません.傳統に則つた假名表記といふものは 何と細やかな配慮がなされたものであるかが 良く判る例と言へませう.そして 最後の Ouuchi となると そもそもの「現代かな遣い」の「おおうち」と 初めから訣別する事となります.
Q:では どれも駄目と いふ事か.
A:つまり 發音に囚はれてゐる限り どれも 問題は殘るのです.その點は Ohouchi の場合も 同じです.そして 更にです.もし正確に發音を讀み取つてもらへたとしても それに英語特有の アクセントなどを加へて發音された日には それまでの苦勞は 水の泡となる.また 先ほどは「正解」したフランス人の場合ですが 逆に「平山」や「藤澤」など 「h」を含む名前などでは 「イラヤマ」「ウジサワ」と 發音しませう.つまり 發音とは さうした程度のものなのです.そして そんな事は 「世界の常識」と斷言して良い.つまり 「現代かな遣い」から始まつた「發音第一主義」といふ「狂信」こそが 世界の「非常識」だといふ事に 他なりません.
英語のアルファベットの歌 つまり「ABCD EFG HIJK....」 といふ あの歌は 皆さん御存知でせう.あのABC の連なりを 意味ある單語や文章と誤解する人はをりますまい.ABC は それぞれの文字の名稱に過ぎません.時に 發音そのままを用ゐる事があつても おほかたの單語では ABC の儘[まま]使はれる事はありません.皆樣々に組合せ 元の發音とは異なる使はれ方をするのです.この爲 はじめは 戸惑ひませうが 慣れてしまへば 何の不思議も無い.それに文句を附ける人など をりません.
つまり どの國の言葉でも 表記と發音とは 一致しない筈のものなのです.それよりは 言葉の意味を 正確に傳へる事が 先決だからです.しかし これは何も すべて巧[たく]んで綴りを變[か]へた といふ事ではありません.發音が同じであつても 意味も語源も異なるからです.そして それが 異なるからこそ 發音による統一などといふ 愚かな事をせず 綴りの違ひを その儘に 殘してゐるのです.
日本語の傳統的な假名表記も 「いろは」の四十七文字を あたかも英語が アルファベットを驅使するやうに巧みに用ゐて 同音異義語を表現し分けてゐたのです.すなはち 「お」の長音にも 意味や用法により 「おほ」「おう」「わう」「はう」とあり 「現代かな遣い」が 「おお」と「おう」のみで 同表記の異義語を 粗製濫造したのとは おほちがひです.この爲 文章をすべて假名書きにしたとしても 傳統的な表記であれば 遙かに判讀が しやすいのです.隣り合ふ言葉との 區別が 樂に出來るといふ譯です.假名書きにすれば 傳統に則る表記の方が 遙かに優れてゐる事が 良く判るのです.
さて 我々がローマ字を學ばさせられたのは 何故なのか 御存知ですか.しかも 國語の授業の中で.奇妙な事と 考へた事は ありませんか.
今は 文部省も 惰性でローマ字を教へてをりますが はじめの目的は やがて日本語を すべて ローマ字表記に 持ち込む爲だつたのです.だからこそ 國語の中で 取り上げられてゐるのです.その第一歩が 「現代かな遣い」といふ 「発音第一主義」の 規則だつたのです.
興味が あれば 「アメリカ教育使節団報告書」(講談社學術文庫)を 御讀みになると その事情が よくわかります.fanmail89 さんも 私も その中で 踊らされてゐた事が.
お礼
答えというか、その時は「OHUCHI」だったんです。 それで「アレ?あれってオオウチじゃなくてオフチって読めるよね??」って話になって… ちょうど下にオオタさんが載っていて、「OHTA」と表記されていたんですが、それは問題なく見えたので「この違いはどうなんだろう?」という話し合いになって質問させていただいたんです。 だけどハッキリとした「答え」はないのかもしれないですね(--; ありがとうございました。