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仏壇へのお供えとは?適切な方法と効果的な食材の選び方
- 仏壇へのお供えについて悩んでいる方へ。適切なお供えの方法と効果的な食材の選び方について解説します。
- 仏壇へのお供えは大切な行事ですが、適切な方法を知ることが必要です。自分が食べる前にお供えしてそのまま置くか、しばらくしてから食べるかについて考えてみましょう。
- お供えは故人に届くと信じられていますが、劣化してしまうこともあります。正しいお供えの方法を選び、母が喜ぶ食材を選ぶことが大切です。アドバイスを参考にしてみてください。
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お気持ちよくわかります。 私もお供えについては色々悩みます。 忙しいとついついおろそかになって、「ああ、お供えしなかった」と罪悪感を持ち、しばらくは続けるのですが、また同じことの繰り返しです。 最初は(1)でしたが、しばらく経つと(2)、最近では(4)になりました。 以前、「仏様には湯気をあげればよい」と聞いたので、温かいものをお供えして、冷めたらさっさと下げ自分で食べます。 (1)(3)は、そのまま置いておくと、それを食べる気にはなれず、そうかと言って捨てるのも勿体ないし、悩むので止めました。 私が以前、新聞で見かけた「季のうた」をご紹介しますね。 秋山さんという女性が詠んだうたですが、それを村上譲という方が紹介していたものです。 とてもいい歌だと思いますので、読んでみてください。 以下、記事の原文のままです。 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 『供養とは 思い出すこと 春の雪』 (秋山真由美) 降るそばから消えて積もることのない春の雪を見ながらの感慨だろう。 真冬の南国には少ないが、春になってよく降るのが淡雪である。 何となく哀れを誘うその白さに触発されて、思い出すのは故人たちの面影であった。 供養とは、仏・法・僧または死者の霊に供物を捧げることと考えていたが、思い出すだけでも供養になると気づいたのだろう。 いやむしろ大乗仏教では堂塔の供養より精神的供養を力説する。 村上 譲(作家・評論家) * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 私はこれを読んでから気持ちが楽になりました。お供えをしなかった、怠けたことによる罪悪感が消えて随分適当になりました。 自分の生活が第一で、時間がないときは無理をしないことにしました。 私があれこれ悩んだら、故人は喜ばないのかなって思いました。 一番大切なことは、「供物を捧げること」ではなく、「故人を思う気持ち」だと気がついたんです。 他人から見たら、「仏さまに失礼な!」と思われるかもしれませんが、自分が良ければそれで良しと開き直ってます。 わずかでもご参考になれば幸いです。
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- 77m
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(2) 自分が食べる前に必ずお供えして、しばらくしたら食べてしまう。 これが絶対とは言いませんがもっとも適切なのは(2)でしょう (4) これも有りといえば有り 朝ご飯が炊きあがったら一番によそうのは 自分たちの分ではなくお仏飯に(お供え) あとでお仏飯を自分のご飯といっしょに頂きます(お昼ごはんの時とか) 朝、ご飯を炊かない、夜しか炊かないとか 色々生活環境によりますが、ご飯を炊いた時は 取り敢えずはお仏飯に ご飯を炊かない日もあると思います そんな時はパンでも良いと思います (私はそうしています) 毎日、毎朝はなかなか難しいと思います 出来ない時もあると思いますが ようは気持ちの問題だと思います 余談になりますが 宗派によってはお仏飯やお供え物は 亡くなられた方にお供えするのではなく 仏様(お釈迦様)にお供えしているんだ! とか言われる方もいらっしゃいます
お礼
御回答有難うございます。 すばらしい供養の有り方ですね。 >あとでお仏飯を自分のご飯といっしょに頂きます(お昼ごはんの時とか) 私はそういうのがどうしてもできないのです。 極度の潔癖といいますか。 部屋の中に小バエがいたりすると、お供えに止まったんじゃないか? あるいは そこに卵でも産みつけたんじゃないか? と想像が働き、時間が経ったお供えを 食べられなくなります。 なので自分が食べる前提でお供えを置いても気が気じゃないと。 サランラップをすればこの点大丈夫でしょうが、それでは故人が食べられないんじゃないか? とかいろいろ考えて嫌になり、しばらくお供え自体やらなくなります。 核家族化が進んで伝統として「お供えは当然こうやるもの」という方法論が、 次の世代に受け継がれていないのも、お供えをしない或はお供え方法について悩む 原因と思っています。 そういう迷える私にとって、御回答は大変参考になりました!
お礼
御回答有難うございます。 書いて下さった内容は全て参考になりました。 No.1で回答して下さった方は、きちんとお供えすることを基本とし、今回頂いた 御回答は、形よりも故人を偲ぶ思いを重視、またやり方にこだわって悩み負担に 感じる必要はないと。 2つの御回答の方向性は逆であるようにも感じますが、 どちらも素晴らしい、納得できるものですね。 私は電話で亡くなった母に聞きたいものです。 「いつもおいしそうと思って見てる んだよ。 少し置いてもらえると嬉しいんだけど。」とか聞けば、毎度迷いなくお供え できますし、捨ててももったいないと思わないです。 この点自分の判断でやればいいじゃないかという気もしますが、例えば母が癌で闘病中、 母に高価なサプリメントを渡し、「有難う。 こんなことしてくれる人はいないから嬉しい。 頑張るよ!」と返答をもらったのですが、亡くなった後実家へ行ったら(家は別でした)、 サプリメントは手付かずのそのままでした。 姉に聞いたら、むしろ迷惑に思っていたということが分かり、自分の独りよがりな行為に 愕然としたものでした。 お供えだって望まれていないのに、そうした自己満足の行為に 過ぎないんじゃないか?と迷います。 一方で母は癌を克服し、また私の自営の仕事を手伝い、仕事後おいしい物を一緒に食べる、 という日常に戻りたいと最後まで言っていましたので、私の食事シーンを今も見てる んじゃないか? その時母の分を仏壇に取り分け、お供えしてあったら母の心が和む んじゃないか?とも思い、葛藤します。 このようにお供えについて悩み続ける傾向のある私ですので、ある程度自由に幅を持たせ お供えについてとらえた御回答は大変ためになるものでした。 重ねて有難うございました。