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資格試験の問題構成
比較的に低いレベルだと見做されている資格の試験には、思考を要する部分よりも知識量の多さを乞う部分の方が比較的に多い様に思われますが、私の誤解なのでしょうか? 不公平性の有無について教えて頂きたい、と願いまして、敢えて哲学のカテゴリを選びました。
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それで正しいと思いますよ。だから、人間の本当の能力を量ることに関して全く無関係な大学受験では、知識量だけが量られているのですね。昔大学受験のとき、数学と言えども受験勉強は暗記であると言うことに気が付きました。要するに過去の問題を解いて行くと、問題のパターンも、その解法のパターンも決まっている。だから、このパターンを暗記した生徒とそうでない生徒では数学の点数が全く違ってしまう。その場で自分の頭で数学の解法をいちいち考えている人間は、有名大学の受験には確実に合格できません。だから、別に高度で創造的な数学の研究者でなくても予備校の数学の先生には成れる。また、だから有名受験校に行く意味がある。だから、これも知識量を量られていますね。 んで、その受験の問題が結局高級官僚の資格試験の肩代わりをしているわけです。司法試験も、本質的には知識量が勝負らしいですよ。 本当の能力を見抜くに関して、私の経験では、それを短期間で試験をしなくてはならない場合には、優れた人による面接試験か口頭試問に勝る試験はなさそうです。その試験では、受験者の能力が試されているばかりでなく、試験官の能力も試されています。長期間の試験なら、弟子入りするしかない。面接試験と言い、弟子入りと言い、本当に優れた人は、優れた人を見抜けるのですね。 また、そう言う受験勉強という程度の低い資格試験で勝ち抜いて来ただけの人間が、どれくらい能力の点で劣るかの実例は、今回の出鱈目さんなどに象徴される、東大、東工大、九州大などの原子力村の先生方を見れば一々説明するまでもないでしょう。本当の意味での学問の能力とは、いざと言うときにどれくらい生産的に解法を見付けることが出来るかどうかで決まります。 別な言い方をすると、想定内で問題が解決出来るかどうかなんて、並の人間でも出来ることです。だから、学者と言われている人間が、想定外だったことを言い訳に出来る筈がありません。また、上に立つ指導者も、想定内の問題を解決するために居るわけではありません。そんな問題は、並の官僚達に任せておけば良い。想定外の問題を解決してみせると言う、並な人間には出来ない能力を持っているからこそ、皆は指導者や何とか委員会のアドバイザーと認め、平時でもそのいざと言う時のために高い給料を払ったり、学術会議などで上座に座らせているのです。 だから、想定外であたふたとする指導者や学者は、まあ詐欺師が人から金をくすねているようなもので、自分では指導者だ学者と言っていても、それは玉子の黄みの入っていない目玉焼きや、カレー粉の入っていないカレーライスみたいな物です。そう言えば、詐欺師になるには有名大学に入れるぐらいの適度な頭の良さや要領の良さが多分要りますよね。
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- hekiyu
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知識量の多寡ですね。 私もいくつか資格を持っていますが、 倍率が二倍程度の試験は、間違いなく 知識の量で合否が決まります。 それで問題ないのではないかと思いますが。 資格試験は、多くは実務家の為の試験であって 学者を養成する為の試験ではありません。 それは、司法試験や会計士試験でも同じです。 知識量の多寡をチェックするのは当然では 無いでしょうか。 それに知識の多寡は試験でチェック可能ですが 思考力の有無を試験で適切にチェックできるでしょうか。 あんな短時間の試験で判断されたら、アインシュタイン だって落ちるかも知れませんよ。 長い時間をかけてじっくり考える思考力を検定する のに、資格試験は適さないと思います。 試験で確かめられるのは、知識の多寡と、制限時間内に 回答できる事務処理能力の有無です。
お礼
別のページ(http://okwave.jp/qa/q6883390.html)にも、哲学的な問いを提出させて頂きましたので、其処でも御教授を賜れますと非常に助かりますから、もし可能でしたら、御覧になって下さいませ。
補足
有り難う御座います。 「広く浅い知識を要求する試験」と「狭く深い知識を要求する試験」との不公平性が気になっていました。
補足
分かりやすい説明を下さりまして、誠に有り難う御座います。