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後桜町天皇の独身生活とは?なぜ結婚しなかったのか
- 後桜町天皇はなぜ独身を通したのでしょうか?この記事では、彼がなぜ結婚しなかったのかについて考察します。
- 1740年に生まれ即位した後桜町天皇は、62年間独身を通しました。一般的には、この時代ならば10歳になる前に結婚が行われることが多かったため、なぜ彼が結婚しなかったのか不思議に思われるかもしれません。
- 彼の弟である桃園天皇が後継者となったことから考えると、後桜町天皇が結婚しなかった理由は何かあるのではないかと推測されます。しかし、具体的な事情は明らかにされていません。
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相手がいなかったから理論は http://www5f.biglobe.ne.jp/~masa2/fukutou/ この人の著作から。 服部さんの研究は平安時代で、平安時代後期になると、妻問婚から嫁取りに移行し、「家」が成立するようになったそうです。 家が成立すると、貴族にとって正妻というのはいっしょに「家業」を運営してくれるパートナーとなり、実家よりも嫁ぎ先を優先させる。 で、摂関家だ 清華家だというランキングがつくようになって 摂関家の正妻は 同等あるいはそれ以下 清華家の正妻は 同等あるいはそれ以下 というようなルールになったそうです。 天皇家の正妻は 同等あるいはそれ以下 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%A4%A7%E5%AF%BA%E5%AE%9F%E8%83%BD 徳大寺家の正妻は、大臣家以下で、娘は摂関家に嫁いでいる。 これを逆に見ると、天皇家の娘は 天皇家にしか嫁に行けない。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E7%BE%BD%E5%A4%A9%E7%9A%87 こんな感じ 服部さんの本には、おまけみたいに 「将軍家にも嫁に行けるというルールが追加されて、生涯独身の比率が減りました、めでたし めでたし」なんてことが書いてあった。 二条康道 この人が、天皇家から嫁を貰っています。 http://iwarehiko.web.fc2.com/page044.html http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E8%87%A3%E5%AE%8C%E5%AD%90 母親の力かもしれない。 本人は WIKIPEDIAに乗らない 摂関家当主というめずらしい人だ
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- ntttm
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つたない知識での回答になってしまいますが、参考になれば嬉しいです。 後桜町天皇は女帝ですよね。女性の天皇は大体男性の天皇を立てるまでのつなぎ役だったりするそうです。だからせっかくその後に男性の天皇を立てようと思っていたのに、そのつなぎ役の女性天皇に子供が生まれようものなら後継ぎ争いが起きかねないと思います。そこでつなぎ役の女性天皇には独身を通してもらって、時が来たら男性天皇に位を譲ってもらおうと考えられたのではないでしょうか。
お礼
今回の質問ですが、後桜町天皇は即位する以前の問題として年下の弟がすでに即位しており、しかもその弟は子どもが作れないほど健康に問題がある方ではなく、年齢も1歳しか違わないので、スペアを必要とする理由がないように思いました。 またこの弟は桃園天皇として、後桜町天皇が智子内親王と名乗っておられた10代~20代前半の間、宮中で政務を執っておられますから、適齢の姉を然るべき相手を見つけてと考えることはあっても、自分も若いし、子どもも生まれそうだという男性が年の変わらない姉を万一の後継と考え、中年(当時の感覚で)に達するまで結婚を引っ張ると言うことは考えにくいんですよ。 今の年齢で言えば、当時は早婚の時代なのでこの姉弟は10歳くらいプラスして30代半ばまでこの状態と考えてもおかしくないと考えます。
- tanuki4u
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相手がいなかったから。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%BE%A1%E9%96%80%E5%A4%A9%E7%9A%87 たとえば、ここの女王、内親王 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E8%A1%9B%E5%9F%BA%E7%86%99 この方の正室 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E8%A1%9B%E4%BF%A1%E5%B0%8B この人の親族 天皇家の娘は、将軍家 あるいは 摂関家の当主しか結婚相手になれない。 結婚相手がおらず、生涯独身で過ごした天皇の娘さんは、たくさんいた。 五摂家 + 将軍家(本家、御三家+御三卿) 将軍家の娘さんが、有力大名ならOKというのよりは条件が悪かったと思われます。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%AE%B6%E6%96%89 こちらさんは、ほぼ全員何処かに突っ込んでいる
お礼
なるほど、独身のまま一生を終える皇女は少なからずいますね。 確かに釣り合いと言うことを考えると男なら誰でもと言う訳にもいかないので、やむ得なかったのかも知れませんね。
お礼
そういえば前の時代の平安期は妻問婚で、男が妻の実家に通う形態でしたね。 皇女となると同じ皇族や親王家くらいしか相手がおらず、適齢期の相手がいなければ、後は門跡寺院に行くしかないので、空きがなければむしろ独身のままというケースの方が多かったのかも知れませんね。