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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:明治まで奈良にあった超昇寺)

明治まで奈良にあった超昇寺

このQ&Aのポイント
  • 明治まで奈良にあった超昇寺は、平城上皇の第三皇子・高岳親王によって創建されました。
  • 超昇寺は明治の排仏毀釈の際に取り壊され、現存していませんが、奈良市佐紀町に存在したとされています。
  • 超昇寺の詳しい場所は不明ですが、奈良市二条町にある超昇寺の石碑は、廃寺となった際に歓喜寺に仏像と共に移されたものと考えられます。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • suicyo
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回答No.2

江戸時代に再興された後期超昇寺は佐紀幼稚園の周辺一帯にあったとされており、現在その一角が隆光大僧正の墓域として残されています。佐紀幼稚園の東側から裏に回り込んで下さい。 下記に、超昇寺の探訪記録があります。その4まであります。 http://ameblo.jp/tf5efqy/entry-11110481150.html

noname#190665
質問者

お礼

佐紀幼稚園のあたりにあったんですね! ブログとても参考になりました。 近々平城天皇の陵を参拝し、ついでに超昇寺跡も見てきたいです。 >江戸時代に再興された後期超昇寺は もしかしたら、真如上人が建てた超昇寺は別の場所にあった可能性もあるんでしょうか?

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その他の回答 (1)

noname#188107
noname#188107
回答No.1

>超昇寺は佐紀町のどのあたりにあったのでしょうか? 楊梅宮跡地を賜って建立されたとあります。 http://kotobank.jp/word/%E8%B6%85%E6%98%87%E5%AF%BA 楊梅宮は最近の発掘で平城宮跡東院地区に その回廊らしき建物跡が発掘されたそうです。 http://mainichi.jp/feature/news/20130329k0000m040123000c.html 現在の佐紀町ということであれば、 今の東院庭園近くの平城宮跡の南東部あたりではないかと思われます。

noname#190665
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 No.2の方の回答にあるとおり、どうやら佐紀幼稚園付近にあった寺のようですね。 ということは、東院庭園は光仁天皇の揚梅宮があった場所で 平城天皇の揚梅宮とは別のもののようですね。 同じ名前なのでややこしく、私も混同しました。 おまけに二条町に超昇寺の石碑があるので、よけいに混乱しました。 明治の廃仏毀釈で壊されたのはとても残念です。

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