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劣等感をどうすればいいでしょうか?
自分の内面と言うか、具体的に特技などと言えるものがなにもなく、才能もなく、苦しいです。 ただ見た目は「人とは違う」「なにか持っていそう」などと思われるため余計につらいです。つまりは見かけ倒しです。 今学校(デザイン系)で学んでいるものも、学校に入る前、専門的に学ぶ前までは、ただただ単純に憧れていて好きだったのですが、実際に学んでみるとどうもおもしろくなく、また全く良いものも生まれず、認められることもなく、外から見つめているのが好きだった、またデザイナーに憧れているだけで自分の好きなことではなかった、ということが十分すぎるほどわかり落ち込んでいます。 せめて「好きだ。」と思えたら未来に向けて努力もできるのですが、もう向き合うのも嫌です。自分の憧れていたものと自分のできること、やりたいことが一致して認められている人を見ると、自分と比べて本当に劣等感を感じます。 なんで自分はこんな向いていないものにあこがれてしまったんだろう?そもそも私に向いているものなんてあるのか?私はこのままなにか人より秀でているものや人に自慢できるようなことが出来るのか?と更に落ち込んでしまいます…。 入ってしまった以上学校からは抜けられないし、頑張っている人たちを見るとつらいです…。 人に好意を寄せられたりしても、その人が自分より恵まれた環境、また恵まれた才能をたくさん持っている人だと、何も持っていない自分が苦しくなり、付き合うことに踏み出せないことも…。 「自分とは釣り合わないんじゃないか。」という思いからではなく、ただただ単純に自分がしんどくなりそうだからです…。 やはり劣等感というものはなくなりませんか?どうしたら少しはマシになるでしょうか…。 時間が過ぎてばなくなるものなんでしょうか?
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外から見つめているのが好き やって見ると憧れだけで好きとは違うのがわかった ならそれでいいんじゃない あなたは見てるのが好きだったのだから 才能なんてない 人より劣っててもいいんじゃない 自分は才能のないことを認めれば そしたら劣等感に悩むこともない 周りの人はあなたがそこまで考えてることはわかりません でもあなたという人をその人なり見て それで近づいてくるんだと思います あなたがあなたを認めないだけで
- cubetaro
- ベストアンサー率24% (1289/5171)
現実とはそういうモノです。 デザインに関しても、実際にはクライアントの言うとおりに作らねばならず、ちっともクリエイティブではないので、壁に当たる学生は多いです。 思ってたのと違ったけど、普通の仕事に比べればちょっとは楽しいかな…くらいの気持ちで向き合うと、ラクになりますよ。 --------- 会社に入っても、短い時間でガチガチのルールの中でデザインするので画一的なモノしか作れないのですが、長くやっていると少しづつ自由がきくようになってくるんです。その辺から仕事は楽しくなってきますね。 (場合によっては、クライアントに逆提案して、自分のやりたい形で仕事が出来る場合もあります…) --------- ちなみに、「見かけ倒し」も立派な才能です。この業界では役に立ちますよ。
love-naganoさんの最大の問題は「自分は優れていなければならない」と思って いることだと思います。 その思いがあるゆえ、優れていないと苦しい。 欲とも言えると思います。欲が満たされないと苦しい。 >「自分とは釣り合わないんじゃないか。」という思いからではなく とおっしゃっていることから或る程度は自信を持たれているのだと思います。 失礼なことを言うかもしれませんが、だとしたらすみませんが、 あくまで予想ですが、love-naganoさんの場合、自信を持たれて いるということから、今でも或る程度のよい面を持たれているの ではないかと予想します。そういうよい面で自信を持たれるタイプだとお見受け しました。 ただ、「もっと」よい面が欲しいと思ってらっしゃるのではないかと 思います。 上記のことがあたっているとすれば、何が言えるかというと、 「裸の自分に自信がない」 ということだと思います。裸と言っても服を着ていないという 意味ではありません。 能力や容姿などの「服」を得てはじめて自信を持たれている のではないでしょうか。 そういう「服」なしでも、ただいるだけでいいと思えるように なると、なればなるほど、人生が楽になると思います。 そうなれば劣等感も薄れて行くと思われます。 といっても、そうなるのはけっこう難しいことではあると 思います。裸の自分に自信がもてないのは、多くの場合、 両親に自分の中心を愛されているとしっかり感じられな かった場合に起こると思います。普通、少なくともいくら かは自分の中心が愛されているものだと思いますけれども。 あと、もしそうだとしても、両親を責めるのは建設的では ないと思いますけれども。 でも、努力すれば、克服できると思います。私は或る程度 克服しました。 今はlove-naganoさんの現状と推測されることを言葉に しました。当たっているとすれば、それをきちんと受け止める ことが第一歩だと思います。第二歩目以降はご自分で考えて 進んで行って下さい。 デザイン系の学校についてですが、嫌でも努力していると、 だんだん芽が出てきて、やっていることを好きになる こともあります。上手くなって来ると、面白くなるもの だと思います。ですから、今やっていることに力を入れる と、よい方向に進む可能性があると思います。 どうしても嫌であれば、道を変えるか、卒業はして 何らかの形で就職するという道がありますが、 どちらにしても、自分を成長させる道から それることにはならないと思います。 好きなことをやっていなくても成長はできると思います。 love-naganoさんの人生がよい方向に向かわれることを願っています。 おそらくお若いと思いますので、人生の可能性に満ちていると 思います^^。
- eroero1919
- ベストアンサー率27% (3007/11113)
そこは、「産みの苦しみ」というやつです。何事もなにかやり遂げたと実感できるものには苦しみが必ず存在します。 私も昔ある技術を学んでいたことがありまして、その修業時代、毎日毎日練習していたのですがどうしても上手くできません。イラだって壁を叩いたり蹴ったりしたことは数知れず。自分は才能がない、もう辞めよう、諦めよう、何度そう思ったか数えきれないくらいでした。 でも、どうしても、なんとしてもその技術は身につけたかったのです。「好きだから」じゃないです。もっと怨念みたいなものでした。「成し遂げないままに終わったら負け犬。今まで負け続けてこれにまで負けることは絶対に認められない」と石にかじりついてでもやるんだと思いました。 最近の人はね、若い人に限らずいい年した人も苦労が嫌いですから「楽しいものだから続く」なんていいますけど、そんなー甘いもんじゃないですよ。そんなんじゃ一流どころか二流にもなれません。楽しくナアナアでやっているものなんか趣味の域を出ないんですよ。 ただ、そういった苦しみの真っただ中で「そこまでしてどうして続くんだ?」と聞かれたらその答えは「好きだから」になるのです。 もっと苦しめ若者よ。楽して手に入ることの何に価値があるのだ。苦しんで苦しんで、俺はどうすりゃいいんだともがいてもがいてそれでようやくつかめるものなのですよ。 あのバスケの神様マイケル・ジョーダンも、高校時代はレギュラーにもなれずプロ入りのドラフトも確か3位とかそのへんだったはずです。 家でウジウジしているヒマがあったら美術館にでもいって勉強してきなさい。今日種を植えれば明日花が咲くものじゃないんだよ。
- jsapp
- ベストアンサー率29% (55/184)
自分の信じた道は、自分の見込み違いだった。 そう結論を出す事は、とてもつらいことです。 そう結論を出せた貴方は、とても勇気のある方なのだと思います。 そして、それでも進路を変更できないから、劣等感に囚われておいでなのですね。 難しく考える必要は、おそらくありません。 自分の出した結論を信じきることさえできれば、きっと解決です。 貴方は、このまま進むか、方針を転換するか、早急に決断をしなければなりません。 貴方の劣等感は、私の感じる限りでは、決断の先送りによるものです。 自分の出した結論を最後まで信じきること。 それが「自信」なのだと、私は信じています。
- poyo3
- ベストアンサー率30% (260/857)
評価というのは結果であって目的でもないですしそれを期待しすぎているのではないでしょうか。 入る前はデザイナーになった時の夢を見ていてもある意味その形にあこがれていたのでしょうね。 デザイナーという評価というか肩書きというか。 ある意味創作的なことは人の評価云々より自分がこうだと思うものを貫けばいいのだと思いますけど。 評価ばかり気にしていたら新しいもの、自分らしいものは創れませんし。 また自分らしいものが必ずしも上手である必要もないわけです。 言われることですが劣等であることと劣等感は別物と考えたほうがよいと思います。 だめだと思えばどんな良いものでも本当にだめになります。 心の問題は時間をかけても解決はしないことはおおいかと思います。 問題は解決されるためにそこにいるのですから、問題解決のためには苦しくても評価を気にせず自分のやりたいようにやることが今後のことでも必要なのではないかなと思いますが。
- d78
- ベストアンサー率0% (0/12)
自分で自分の事を蔑んだり評価しない事 自分の評価は他人がしてくれますから あなたは、自分の夢や目標に向かって 一日一日を大事に一生懸命生きる事では ないでしょうか