改めて、似ていないことを説明します。
たまたま西洋では自然哲学から派生して、一方では哲学、他方では自然科学が生まれ、また自然科学の発展が数学を発展させたという歴史的な経緯がある。このことから世の中には、哲学と数学が同根であると誤解している方も居られるようです。
しかし、数学の発展は必ずしも自然科学や工学によらないければ出来ないと言うものではありません。事実、人類の歴史では、自然科学や工学に関する一切の応用を考えることなく、単なるゲームとして数学を高度に発展させた国が在ります。それは日本の和算です。元々和算は中国の算術を輸入した物ですが、中国の算術は大変初等的な段階でした。それを日本人が高度に発展させたのです。
ところで日本人が和算を進歩させた動機は、本質的には娯楽であり、頭の体操であり、まあ、俺の方があいつよりもルービックキューブやジグゾーパズルが早く出来るということで恍惚としていられる感覚でした。仲間同士が集まり、互いに面白い問題を提示し合い、誰がそれを解くことができるかを競いました。しかし、その結果を何かに応用しようなんで考えたことも無く、綺麗な定理が証明されるとそれを絵馬に書いて、神社やお寺に奉納して記念に残しました。また、クイズ集の類いの本を出版して、娯楽に供しました。にもかかわらず、西洋に全く教わること無く西洋と殆ど同時代に独立に解析学の積分の概念に到達し、さらに、西洋に先駆けて行列式の発見まで成されております。
しかし明治政府が政権を取ってしまい、新しい政権が権力を取るとどの国でもしばしばやるように、自分たちの正当性を主張するために明治以前の政権なり文化なりを糞味噌にこき下ろす大宣伝をしました。あの馬鹿馬鹿しい鹿鳴館での連夜のパーティーをやったり、日本の気候に最適に順応した和服や袴や浴衣を捨てて、蒸し暑くてさらに自分たちの体形に似合わない洋服を着るようになったなんて言うのは、そのほんの少しの例ですね。例えばインドのようにそんな馬鹿なことをやらなかった民族もあったのです。インド人の男性の服も女性の服も機能的で、彼等の体形や肌の色にピッタリで美しく、且つ、あの熱い気候に最適に出来ていますね。要するに明治政府は、江戸時代の連中のやっていたことは全て時代遅れで、我々は西洋を学ばなければならないと国民の洗脳の大キャンペーンを行ったのです。その結果、和算もとばっちりを受けて独自の発展を妨げられ、結果的に消滅してしまったのです。
この例が示している通り、数学を発展させるためには、必ずしも自然科学や自然哲学は必然ではありません。だから、自然哲学に搦めて数学を哲学と同列に置くと言う議論に説得力があるとは思えません。
要するに、西洋かぶれをした明治政府流の西洋中心的な物の見方をするとそう見えないこともないけど、西洋人だけが人間じゃないんで、人類の発展の歴史を見るときには、もっと公平に見る態度が必要だと思います。
お礼
いいですねー! ほんといいですね。 他者の意見の反論でなく、どう捉えて、どう意見するかを一歩一歩深く考えていく。みたいな。 みなさまありがとうございます。
補足
長文を書いてくださった方をBAとさせていただきます。 ありがとうございました。