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SAD(社会不安障害)

先日社会不安障害者というものを知りました。 自分がそうなのかは分かりませんが、人見知りにはずっと悩んできました。 幾つか自分の事を書きますので、皆さんの意見を聞かせて下さい。 ・アルバイト先での電話は出る、掛ける事を考えると激しい動悸がして手に汗が出る テレアポのアルバイトで電話に慣れようとしましたが変わらなかった ・知らない人と会う事になるとずっと頭から離れない(想像するだけで緊張する) 出来るだけ断るようにしているが、日にちが近づくに連れて不安が大きくなりドタキャンもしばしば。 ・人前で発表、発言する時は赤面して声が震える ・仕事の面接では頭が真っ白になりキチンと受け答えが出来た事がない 最近では求人誌を見てるだけで動悸や息苦しさを感じる ですが、親しい人にはとても明るく、喋りすぎるぐらいよく喋ります。 母親は私がそこまで人見知りだとは信じられないと言います。 甘えだ、皆そうだと言われてきたので病的なものの可能性があるかもと思う反面、自分の場合はただの甘えなのかもしれないと不安で病院に行く勇気が出ません。 これだけで判断は難しいとは思いますが、皆さんはどう思われるのか意見をお願いします。

みんなの回答

回答No.2

社会不安障害は、性格の問題とは無関係です。 「人見知りをする」「対人関係が苦手」「引っ込み思案」などの性格の問題と、「社会不安障害」は、まったく別物と言えます。 ご質問に挙げられた4つの症状は、どれも典型的な「社外不安障害」の症状と言えると思います。 特に、「慣れようとしましたが変わらなかった」「ドタキャンもしばしば」などは、社外不安障害の本質的な症状でもあります。 社会不安障害は、場数を踏めば慣れるということがなく、むしろその場面を避けてしまいがちになり、長い人生のあらゆる場面で制約が生じてしまう病気でもあります。 私自身も社会不安障害に苦しめられてきましたが、ずっと「性格の問題」だと思っていました。 しかし、6年くらい前に、SSIRという薬が社会不安障害の治療薬として承認された際、新聞やテレビで「社会不安障害」の啓蒙キャンペーンが張られ、その記事を読んで、自分の症状がぴったり当てはまることを知りました。 その後、およそ半年程度SSRIを服用し、ほぼ完治と言っていいくらい、症状は消えました。 もちろん、ご質問の内容だけで断定できるものではありませんが、「親しい人にはとても明るく、喋りすぎるぐらいよく喋ります」という部分と、列挙されている症状のギャップが、むしろ甘えでも性格の問題でもなく、社会不安障害の影響である可能性が高いことを示唆しているように感じます。 社会不安障害は、一般の人はもちろん、医師にすら、まだまだ知られていない病気です。 もし受診されるなら、心療内科ではなく精神科の受診をお勧めします。 また、下記のサイトをまだご存知でなければ、ぜひ参考にしてみてください。 SAD(社会不安障害・社交不安障害)総合情報サイトSAD NET http://www.sad-net.jp/

参考URL:
http://www.sad-net.jp/
kaseb
質問者

お礼

母親以外の家族は世間体を酷く気にするタイプで精神的な病気に関してはとてもじゃないが相談出来ませんし、唯一の母親は楽天家と言いますか嫌な事や気になる事も数時間で無になるような性格であまり真剣に取り合ってくれません。 何もなければ越した事はないのですが、今後も何も変わらないのかと思うと受診も不安です。 sakura-394さんは一歩踏み出し、かなり回復されたとの事で勇気が出ました。ありがとうございます。 頑張って受診してみます。

回答No.1

予期不安と云う事かと思います、それは乗り越えるには時間が必要かも知れませんが、乗り越えるための予備知識としての事柄を書いてみたいと思います。 予期不安は昔は神経症の範囲に分類されていました。神経症が発症する原因と、神経症が治った姿を書いておきますので、後は自分で学ぶ事をお勧めします。 神経症の完治とは、どんな治療からでも可能かもしれませんが、本人が自分で判る以外には有りません、従って貴方が治る事は、貴方が学ぶ以外には無い事を意味します。 神経症は『意識する事』が発症の原因です。そうして『意識した具体的な内容』が症状です。ですが神経症の完治を望むなら『意識した事』=『症状』の改善を望む方向からの治療は全て無駄になってしまいます。 如何して無駄になるのかを説明しておきます。意識する事は『無意識になれない事』を意味します。無意識になれない事から『常に意識してしまう事を』意味します。『意識が出過ぎてしまう状態が』症状を感じている状態を生み出して、更にその症状を固定させているからです。 治った状態を書いてみます。治った状態とは、『意識し無くなった時』です。それは『思わずに出来た時』です。何も考えなくても出来た状態です。それは症状が意識には上がらなくなった時のことを言っています。是が完治です。 では完治するための考え方を書いて見ます。症状が有るから悪い、症状が無くなったから嬉しいという心を捨てる練習が必要です。そのためのは『症状』を相手にしない生き方を学ぶ必要があります。その方法が症状のことを言わない『不問に付す』という態度です。 その練習には『湧き上がる感情』に一喜一憂しない生き方を学ぶ』事が大事という事になります。湧き上がる感情は『一過性のものである事』を学ぶ事になります。 神経症は『一過性の湧き上がった感情』を何時までも大事にして、構っている事に過ぎないことを意味します。湧き上がった雑念を相手にしない生き方を学ぶ中で自然と解消されるはずです。 他に学ぶとするなら『森田療法』関係の本を読んで、神経症が如何いうものかを学ぶ事が良いと思います。神経症がどんなものかが分かる時、自分の生き方や、生きる態度が分かると思います。

kaseb
質問者

お礼

ずっと治らないものと諦めていたので時間がかかっても治る可能性があるなら少し希望が持てます。 ありがとうございます。 悩みや病気の可能性を話しても、家ではそれは皆そうだ、考えすぎだとしか言われないので病院には行かない方がいいのかと思い始めていましたがやっぱり行ってみようと思います。 ありがとうございました。

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