多くの地域の「公図」は、明治17年から22年だったと思いますが、地押調査によって作成された旧土地台帳附属絵図更正図(字限図などどいっています。)をもとに数回改変され現在に至っているものです。その後不動産登記法が制定され、この「公図」が登記に準用されただけなのです。だから不動産登記法17条の適用を受ける「公図」というのは、全国的にみてもほとんどないと言っていいでしょう。この時できた、筆界を創設筆界といっているのですが、その後分筆によってできた筆界を後発的筆界と言っているようです。そして、実は、この公図は、地租税が国税であったため「税務署」に昭和26年ごろまであったのです。税制改正により、一部は固定資産税徴収権のある市町村へ、一部は、登記所(法務局)へ移管され、登記所では、実に昭和40年代まで使用されていた地区もありました。昭和35年土地台帳法が廃止、不動産登記法一本に統一されるまで、土地の分筆行為は、2本立てとなっていたたのです。以上は、予備知識としてです。
本題に入ります。なかには、公図混乱地区もあり、証拠力がかなり不足している個所もあるようですが、全体に証拠力がないというのは言いすぎでしょう。どの土地と、どの土地がどのように接しているか。直線か曲っているかなどは、比較的正確であったともいわれています。たしかに、もとが農村地域で、農地がほとんどの場合は、「縄のび」といって実測より公募面積が少なくなっていることが通常です。したがって、距離などは不正確だとも言われています。これは、この「公図」が、「地租」という、いまでいう、固定資産税の徴収のために作成されたという宿命だということになります。
問題となる土地が、創設筆界のままの土地か、比較的新しい分筆によって造成された土地かによってもことなってきます。一定の縮尺(600分の1のようです。)を持って、分筆に当たり、「公図」に書き入れていったため、こういう地区の公図は、けっこう正確です。 こういう地区で、よく言われているのが、該地の分筆の「自由性」の有無が問題となります。全くの更地を分譲した場合、は、一筆の土地の一辺に曲りなど必要はありません。筆と筆の接し方が、公図では、直線なのに、実際には「変な曲がりがある」ということかあります。多くは、「せりだしている」ほうがなにか不正?をやったと考えてもいいでしょう。また公図の位置筆の距離もかなり正確です。「公図」地区でも、その地区の背景状況を合わせてみて判断して証拠力を考えるべきでしょう。