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論理性について

友人との会話で すごく気になった事がありました。 「今までの行いがそうだったから、どうせ今回もそうじゃないの?」 とか、「いつもああいう事ばっかり言うから、今回もそうでしょ。」 など、過去の事柄を主題にした根拠に論理性はあるのですか? 非常に興味があるので、教えていただきたいです。 そのほか、よろしければ論理学の興味深い話などおしえていただきたいです。

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noname#136007
noname#136007
回答No.4

論理学には詳しくないのですが、独学で学んだ範囲で回答します。 論理的に考え結論を出すには、二つの方法があると言われています。 一つを帰納法、もう一つを演繹法と言います。 帰納法とは、多くの事実(根拠)から答えを導く方法です。 akasatana0さんの質問の例は、過去の事実から未来の行動を予想していますね。 これは、帰納法と言えると思います。 演繹法とは、絶対的な事実から三段論法的に結論を導く方法です。 例えば、以下の例は演繹法です。 1)直線は180度である。 2)三角形の三つの角を合わせると直線になる。 3)よって、三角形の内角の和は180度である。 演繹法を現実問題に当てはめるとどのような場合が考えられるかというと 身元不明の死体があり腐乱しているとします。 その遺体から、DNAを特定します。 また、行方不明の人のDNAと一致した場合、その遺体は行方不明の人と結論できます。 これは、絶対的な事実から結論を導いたわけで、演繹法と言えると思います。 質問の例は、帰納法と言いましたが演繹法と比べると 1)長所として、幅広く応用出来る。 2)短所として、結論が必ずしも正しいと言えない点です。   別の事実が出てくると、結論が覆る場合があり、誤る可能性を残す点です。    例えば、傷害事件の裁判で、現場に落ちていた免許証や、現場近くの監視カメラの映像 (ぼやけているが、服装がAと似ている)等からAという人が犯人だと警察が主張します。 Aが、自分のアリバイを証明できないで、犯人にされてしまいそうな場合を考えます。 今までの証拠は、Aが犯人だと言っています。これは、帰納法です。 しかし、犯行時間、Aを別の場所で見かけたというAを知っている人が現れれば、覆る可能性が高くなります。帰納法は、このようなもろさを持っています。 現実の問題の解を導く場合は、帰納法と演繹法を無意識に使って、答えを導いていると言えます。 自分の印象では、90%以上帰納法を、残りを演繹法で考えている感じがします。 新聞のテレビ番組表を参照し信用してテレビを見る場合、過去の事実から、その番組表が正しいと信じて 番組表どうりだろうと判断し、テレビのチャンネルを回しますね。これなどは、帰納法でしょう。 帰納法と演繹法を区別して説明しましたが、その境目の問題も多数存在する気がします。 それから先は、複雑になるので、説明を省略しますが・・・・ 詳しくは、「帰納法」「演繹法」で検索を掛けてみて下さい。 面白いと思いますよ。 http://www.bing.com/search?q=%E5%B8%B0%E7%B4%8D%E6%B3%95%E3%81%A8%E6%BC%94%E7%B9%B9%E6%B3%95&form=QBLH&filt=all&qs=AS&sk=&pq=%E5%B8%B0%E7%B4%8D%E6%B3%95&sp=1&sc=8-3

その他の回答 (8)

回答No.9

No.3 No.5 です。 なかなかやっかいな問題ということが分かってきました。 ここで疑問、 (1)帰納法と統計的にデータを集めて結論を下すことは本質的に同じではないか。 (2)帰納法と統計的にデータを集めて結論を下すことは論理性があるとはいえないのではないか。 (3)論理性があるならば定式化できるはず。帰納法は定式化できない。 もちろん、論理性とは何かという定義の問題は残るとは思いますが

回答No.8

「未来を知るにはどうしたら?」→「過去から推測できるかも!」 と~自分のアタマをつかって考えるのが【論理】 「未来を知るにはだって?」→「帰納法とか統計~ググれカス!」 と~他人の考えた方法つかうのはタダの【作業】 知らないコトを調べずに知ろうとする考程が【論理】なのでは?

  • papa0811
  • ベストアンサー率33% (2/6)
回答No.7

その結論は論理的だと言えます。 何らかの事実が帰納法または演繹法で結論と結ばれているとき、その結論は論理的だと言えます。 今回の例はまさに帰納法を使って導かれているので、論理的です。 ただ、帰納法で気を付けるべきはサンプルの数です。 過去の事柄である今までの行いがどれだけの数あるのか、3回程度そうだったからと言って未来もそうかといわれるとなかなか難しいものがあります。 今回のようにサンプルの数が少なければ少ないほど正しい可能性は低くなります。 つまり、論理性と正しい可能性は別もので、今回の質問者様が挙げれらている推測は論理的だが、正しい可能性が高いとは言えないと言えます。

回答No.6

下のを眺めながらTVの政治討論を視ると面白いですよ。 詭弁 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A9%AD%E5%BC%81

回答No.5

No.3の補足です。 例えば、医学薬学の分野で、ある薬が8割の患者に効果があるという結果が得られたとすると 100%でないわけだから厳密な意味で効果に論理性はないわけですが、精密な統計をとって 効果がありそうだと判断することは科学的とみなされる。

回答No.3

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%91%E5%AD%A6%E7%9A%84%E6%96%B9%E6%B3%95#.E7.A7.91.E5.AD.A6.E7.9A.84.E3.81.AA.E6.96.B9.E6.B3.95.E3.81.AE.E5.AF.BE.E8.B1.A1 より このような「古典的な意味での再現性が無い分野についても、統計学の手法を用いて、科学的な方法論の対象とする」という立場が、現在の科学的方法の主流である。 データを精密に扱えば、経験則も科学的と言えるということでしょうね。

回答No.2

「正しい」とされる認識は、対象とする現象からの作用や、 その今後の変化を把握できる事を意味するが、そこには; 1.合理則 対象の原理性を把握し、その因果律的な展開によって、 可能性を把握する、自然科学的な方法。 2.経験則 過去の類似の対象、ないし同一対象の類似の現象の経験 の蓄積から得られた法則により把握する、人文科学的な方法。 往々にして、2の方法の妥当性は、1に還元される事で証明される。 物理の量子化により、化学に量子化学が派生し、生物学も それまでの分子生物学(化学的生物学)から量子生物学へと 移行中なように(量子社会学まではまだだけど)。 つまり、友人の経験則に満足できないなら、それなりの本質的 把握による反証が可能なだけの、分析的調査が必要。

回答No.1

 便宜的思考と判断の形式と方式でしょう。  結論的には論理性はない、と存じます。根拠に出来ないからです。  論理学の話はありませんが、イエスもナザレという幼いときに過ごした地で、郷里の人には“あぁあの大工の子だ”という先入観からまともに受け取ってもらえず、相互関係としての秘蹟も行えませんでした。  士大夫は中国の社会と文化を支える一定の人たちですが、幼い頃のことでしか判断できない人が“あぁあいつ”という言い方で対応していたが、彼はどんどん業績や人格を向上させていったという故事もあります。    士大夫三日遭わざれば、・・・というのですが。  (なお)   士大夫のことではその他に、三日読まざれば、という故事もありますが。