娘の幸せを願ったからだと思います。
創世記31章の最後は「あくる朝、ラバンは早く起きて孫と娘達に口づけして彼らを祝福し去って家に帰った」です。
娘達や孫を愛していなければ祝福などしないでしょうし、娘の虐待を気にかけたりしないでしょう。
ヤコブがほかの妻をめとる事を気にしたのも、それで自分の娘をないがしろにされたり、自分の孫達に正当な財産分与が行われるか、気にかけたのではないかと思います。
娘たちのつかえめの2人についてですが、これはヤコブと正式に結婚はしておらず、しかも与えたのは娘達レアとラケルであり、その子供たちの名前もレアとラケルが付け、自分達が神から子を賜ったとして、自分の子としています。
創世記32章で「二人の妻と二人のつかえめと11人の子供を連れて・・」とあるように、つかえめは正式な妻ではありません。
妻たちが望んで夫に与えたもので、結婚もしていませんし正式な妻とは言えませんから、ラバンの言う妻とは意味合いが大きく違うと思います。
ラバンについてはあまり性格が良いとは言えない部分もあるとは思います。
妹ラケルとの結婚を望んだヤコブを騙して、まずは姉レアと結婚させました。しかし、これは目が弱く、妹ほど美人でなく、おそらくはなかなか結婚できないであろうレアを何とか結婚させてやろうという親心かもしれません。
また、ヤコブに対し十度も報酬を変えるなど、決してラバンはヤコブに良い行いをしていません。
きっとヤコブが来た事によってもたらされた恵みに目を曇らせたのかもしれません。
しかし、創世記31章でラバンの夢に神は現れ彼を諭されました。
ヤコブも「神は私の悩みと労苦を顧みられて、昨夜あなたを戒められたのです」と言っています。
ここでラバンも悔い改めたのでしょう。
その後のラバンは謙虚な部分しか見えてきません。
そして娘と孫を愛する親としてその権利を最大限守る契約をヤコブとし、娘と孫を祝福して去ったのだと思います。
お礼
>なかなか結婚できないであろうレアを何とか結婚させてやろうという親心かもしれません。 泣かせますね(;o;) ラバンさんにも親心があるものなのですね。読んでいると、とても狡猾な人に見えてましたが、娘には違うのですね。ありがとうございます。わかりやすかったです。