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運がなくなるよ!

無駄に運を使っちゃった…、あ~一生分の運を使い果たした…勿体ね~ このようなニュアンスの言葉を、よく耳にするのですが、どういう理由から言うのですか? 大勢の方は、まさか一人ひとりに運の絶対量がある、と思っていらっしゃるのでしょうか? そんなはずはない、と思うのですが… 皆さんのご意見をお待ちしています。

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  • 345itati
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回答No.1

統計とった訳でもありませんが、 幸運な出来事と不運な出来事の数は、一生では同じ数になる、 といった言い回しを聞いたことがあります。 禍福はあざなえる縄の如し、とも聞きますし、 いいことと悪いことは同じくらい起きるというものの考えによるものではないでしょうか。 そう考えると、小さなことで幸運を使ってしまうと 次は悪いことが起こるんじゃないか、という 考えが出てくると思います。

noname#140841
質問者

お礼

私も、幸運と不幸は等しくなる、と聞いたことがあります。 今まで、何の苦労もなしに生きていると、そのうち痛い目にあうと… >禍福はあざなえる縄の如し 初めて知りました。また一つ、知識が増えました。 有難うございました。 しかし、どこにもその根拠は見当たりませんよね? 一体なぜこのような考え方が世の中に定着したのでしょうか? 回答有難うございました。

その他の回答 (3)

  • tarotyu
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回答No.4

どうなんでしょうか… 運ってのは理屈上は「公平に」回ってるはずですから、必ず、いつかは自分にも… 最初から幸運の出現率が決まっていたら人生の努力は無駄ですよね? しかし、周りを見ると貧富の差が覿面で、頑張る奴が「アホを見る」… でも、幸福ってのは換金できないレベルで、 家族の健康、仕事の安定、近所との同和… すべてが有って当たり前、しかし、なければ「あたしゃ、不幸だ…」 こんなんでは? 確かに、今まさに勝負という時に、缶ジュースを買って、喉の渇きを癒す… その時に販売機で「当り」が出たらめげますよね…

noname#140841
質問者

お礼

「平等」ではなく、「公平」… 運がない人も、運がある人も、理由は定かではないかもしれないけど、「公平」に運は分配されているのかもしれませんね。 >なければ「あたしゃ、不幸だ…」 隣の芝生は青く見える、と言いますし、運は他人との比較で判断するものですよね。 結局、些細なくらいの運の差は気の持ちようですかね? 回答有難うございました。

  • ra1225
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回答No.3

この間、子供にくじをひいてもらったら当たりました。 その時にふと、『こんな小さな時に当たりを沢山ひかせてしまったら、将来運がない子になったりしないかな』 となんとなく心配になりました…。 でも考えてみたら、運に絶対量がある、なんてあり得ないですよね。 私もいつかどこかで聞いた絶対量説を無意識に信じてしまっていたのだと今気付きました!! 運を使いきるって言葉も軽く絶対量説の暗示ですね…。 おかげさまで暗示から解けました。 ありがとうございます!

noname#140841
質問者

お礼

私の質問が、ra1225さんのお役に立ててうれしく思っています。 運の絶対量が、ない、と断定できるわけではないのですが、まず運の絶対量などありえないでしょうね。あってはいけないことだと思います。 自分の運が分かってしまえば、人間、努力しなくなってしまいますでしょうね。 こちらこそ、回答有難うございました。

回答No.2

金は金を呼び、運は運を呼ぶという側面もありますね。 つまり拡大再生産されていく性質もある。 絶対量なんてないと思いますよ。 運の悪さを「前世で積んだ徳が足りない」とかっていうのは、宗教家や占い師の脅し文句として常套手段ですね。

noname#140841
質問者

お礼

やはり絶対量なんかありませんよね。 あったら今頃私、一体どうなっているのやら… >拡大再生産 貧しい人はより貧しく、富んでいる人とはより富んでいく… というのは世の常でしょうね。 なかなか逆転することはないですね…。 >前世で積んだ徳が足りない なんで、根も葉もない迷信や、噂に人は惑わされるのでしょうか…? そう言っている私も、案外だまされやすいのかもしれません。 回答有難うございました。

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