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希死念慮という希望
生きる気持ちが湧いてこないまま、約1年が過ぎました。少しずつ変わってくるという周りからの支えでなんとか生きてはいますが、常に早く終わりが来る事を願う毎日です。もう、辛いという時期も過ぎました。ただ漠然と死を願う日々。時折起こる焦燥感が辛いです。 いつか誰にもやってくる死を待つより、自分で選びたい。 極力まわりにかける迷惑が少ない方法。 教えてください
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- souta0224
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私もあなたと同じ気持ちでいます。 駅のホームで電車が入って来るとき、ビルの窓から下を眺めたとき、河の流れを眺めているとき、必死で耐えています。 耐える理由の一番はやはり周りに迷惑を掛けるから・・・ 自死をして周りに迷惑と哀しみと、家族に苦しみを与えてしまうのは十分理解しています。 迷惑、哀しみ、苦しみを生まない自死などあり得ません。 それでも、死しか考えられない瞬間があるときが無いとは私は言えません。 私は希死が強い重度の鬱です。診断されてから8年、その間に本気で自死を企てました。 常に死にたいという思いと闘いながら1日1日を過ごして、いつまで耐えれば許してもらえるかなと考えるのと同時に、やはり周りに極力迷惑を掛けたくないと思い続けています。 だから企てた時も、自分ではその方法と場所はものすごく考えました。 でも、2回とも未遂で終わってしまいました・・・ あなたのご質問を拝読して、とても他人ごととは思えませんでした。 質問に対する回答ではありませんが、一つお願いがあります。 どうか精神科を受診なさってください。 受診したからといって楽になるとは限りませんが、楽になるかもしれません。 気安めで申し上げているわけでもありません。 本人にとっては時間の引き延ばしかもしれません。でもその時間は自死という迷惑を誰にも掛けずに済みます・・・
…人の気持ちを 心を あまり舐めない方がいいと思いますよ。
あなたの命は、 「唯一無二」なんです。 他の誰にも あなたの代わりはできない。
お礼
代わりは、いらないんです 消えるだけだから 消えた直後はショックかもしれないけど、時間とともに 印象は薄れてくから
まわりに迷惑をかけない死に方なんてないと思います。 あなたが死ねば、 あなたを大切に思う人たちの心に 一生消えない、 癒えない傷を作ります。 その方たちの心は 壊れてしまうのです。
お礼
回答ありがとうございます まわりに『極力』です 天寿を全うしたとしても、早くに他界したとしても、残された人たちにやるせない気持ちは残る 私の大切にする、残された人には、ちゃんと支えてくれる人がいる だから壊れないと思います 一生消えない傷でも、時間はそれを癒すから
- まつい たかあき(@mamitakun)
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diamante_noir さん、こんにちは。 さて、たぶんこの質問は命にかかわるという事で取り消されると思うので、 早いうちに答えますね。 あなたの寿命がもらえるのなら喜んでもらうのだけど、 そういうことができないのが命なんだねぇ。 突然くるかもしれないけど、その時になると自分の残された人生を どう生きたいかで死に方はある程度選べるようになってきましたよね。 焦燥感が襲ってくるときは、「勝手に死ぬって決めないでよ。」って 体がクレームをつけているのかもしれません。 まわりも気をつかいますが、自分の体の細胞にも迷惑かけないよう、 納得をしてもらえるようお話していきましょう。 実は運命を共にした細胞の生命連合体なのですから、 意思決定機関が暴走しちゃあ、困りますよね。
お礼
あげることができるなら、欲しい人にあげたいくらいです もう、生きていくこと、生きる事に執着がありません 欲があるなら、きっと生きたいと思うのでしょう それがどんな種類の欲であれ 毎日毎日、死を思っています
こんにちは。 軽々しく応答できる話題ではないのですけど、まあ、書きますので読んでください。 「死を願う」というのは思いであって、思いは人の一部にすぎないということをこの人→http://bit.ly/dVSJqR http://bit.ly/gUvHEp などは言っているわけですが、そういう人間観を聞くと、いかがですか? 「死にたい」という思いが死んでくれれば(というか、癒されるなりして消えてくれれば)すむのであって、思いがあなたを道連れにして死ぬ必要はないんじゃないか、ということなんですが。 回答になってないとか言われそうですが、そこはご容赦ください。
- 参考URL:
- http://bit.ly/fUMEAX
お礼
そうですね その考えさえ去ってくれたら、その時はもう何か目指すものがあるのかもしれません ただ、現状として、常に死がそこにあるので、なかなか気が散らせません
こんばんは。 『死を待つ』…待つ事、それはどんな状況でも例え1秒でも、 『長く感じられる』ようですね。 誰にも、生あるモノ全てに必ず来るのが『終り、死』ですね。 『最終的に死を選ばない事はできない…』とも言えますね。 焦燥感…焦りですよね、『早くそうなって欲しい』と言う焦りです。 『必ず来るものに』対して、『焦りを感じる』のは『我が儘』かも知れませんよ…? 絶対来るのだから、『待つだけで良い』のではないですか? 必ず来る夜明けを『早くしてくれ』と言っても、其処にあるのは『虚しさ』だけです。 迷惑の多い少ない…『其処に何ら基準はありません』よね。 迷惑が『掛かる』、『掛からない』そのどちらかです。 ほんの少しでも誰かが迷惑と感じたなら…それはやはり迷惑でしょう。 自分で選びたいなら・・・『選択肢を他人に委ねても仕方ない』でしょう…? 選択肢も『自分で探して其処から選ぶ』のが、本来の『自分で選びたい』に沿うのではないでしょうか? それでは。
お礼
こんばんわ つたない内容にご返答いただきありがとうございます 選択肢は決まっているのです 決まっていないのは方法です 生きていても仕方のない人生で天寿を全うするくらいなら、 早めに終わらせます それをふまえた上で、極力迷惑のかからない死に方を日々模索しているのです
お礼
舐めてませんよ 強いと信じているから、言えるんです 少なくとも、私が大切に思っている人たちは その大切な人たちに悲しい思いをさせてしまっても、それより苦しい自分がいたら あなたは一生その苦しみを背負ったまま生きる事ができますか? 生きる意味を考えた事がありますか?