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死について

こんにちは もうそろそろお盆の時期ですね。 少々重苦しい話題になってしまいますが、皆さんは死について考えた事はありますか? きっと人それぞれ捉え方が違いますよね。 人間、常日頃死と隣り合わせで生活しているのにも関わらず、私の死へ対する考えはまだ漠然としていて検討もつかないものです。 死についてどう思われているか、皆さんのご意見お待ちしております。

みんなの回答

回答No.11

親しい人と死別するまでは、大抵の人にとって死は非日常的なものにすぎないもののように思えます。 先に旅立っていったOOさんのことを思うと、肉体とともにその人自身が消えてしまったとはどうしても思えず、あの世の生命というのはあるのかもしれないと思い始めるようになるようです。 実感としましては、もともと肉体とは別の精神エネルギーであったそのひとの心は、消えたとは思えず、今は見えない遠くの国に旅行にいっているのだ、という感じです。科学にも、エネルギー不滅の法則というのがありますので、この感じには、ごく自然なものがあります。 私も父親が死んでから、そのようなことを感じるようになりまして、死後の世界のことをいろいろと考えるようになった思い出があります。 今現在は「円環的人生観」というものを学んでいます。こうした究極とも言える死生観を明らかにされている素晴らしい先生に出会えたことも、死について考え始めた父親の死ということからつながっているのだなあ、と感じている次第です。

回答No.10

死ぬのは怖いですね。 ただ、死について怖いだけで済ますのではなくするのであれば、やはり死後の世界を考えなければならないでしょう。 人は朝起き、夜眠ります。 その一日の流れを人生として捉えた場合、朝が赤ん坊、夜が寿命が尽きる時となります。朝の清々しさ、そして、夜の眠くなって寝てしまう、その睡眠を考えてみましょう。 睡眠時間があの世に行っている時間と考えることができるかもしれません。 睡眠中の夢は自分の日頃の行いが現れていたりします。 昼の時間帯に刻んだ思いが、睡眠中に現れるということです。 どのような夢が現れるかは、日中の過ごし方にもよるのでしょう。 どの様な人生を送るかによって、どのような死を体験できるかが決まるのかもしれませんね。

  • ni_si_ki
  • ベストアンサー率19% (302/1586)
回答No.8

先日テレビで墓について取り上げられていました。 それを観終わって夫婦で話をしたんです。 うちは娘二人で既に他家に嫁いでいる。 本家には墓があるが夫は次男。 結論は墓は建てず共同墓地に納骨しようと。 葬式も不要で死んだらその足で焼き場に持って行き焼いてもらおう。 そのまま墓地に持って行ってもらったら、娘達の負担も少なくて良いねと。 その話を娘に伝えるとえらい剣幕で「勝手に決めないで」と文句を言われてしまいました。 私達には親を偲ぶ時間を与えられないのか。 知人友人が最後のお別れをする機会を奪うのか。 その時こう思ったのです。 死は亡くなった本人だけのものではないんだと。 むしろ残された人のためにあるものではないかと。 そう考えた時、先に死んでいく者の取るべき道が見えてきたように思います。 最後の日を迎えるまで遺された家族が後悔しないように一生懸命に生きる。 以上です。

  • shift-2007
  • ベストアンサー率14% (143/1013)
回答No.7

私にとって私の死は存在しないというのも事実なんですよ。 http://okwave.jp/qa/q8513356.html

noname#203300
noname#203300
回答No.6

> 死についてどう思われているか  還暦過ぎのオジサンです。  女房殿はすでに鬼籍です。一人娘は昨春大学を卒業し、しばらく東北に赴任していましたが、今は本社勤務となり家から通っています。  要は、私に残された“仕事”は娘を結婚させて家庭を持たせるだけ。  それともう一つは私が“仕事”が終わったら早々に女房殿のもとに行くこと。これが人事では如何ともしがたい。  出来れば娘の家族に囲まれて「早すぎたね。」なんて言われながら人生を閉じることが夢です。  自分で出来ることと言えば『体に良いこと』や『長生きの秘訣』なんてのの逆を行くこと。唯一の望み?は血糖値が高いこと。気にせずに大好きな甘いものは平気で食べています。好きなものを節制してまで長生きなんてしたくない。それはバカのやることと思っています。  私の場合、やりたいことはすべてやりました。やり残していることは娘の結婚くらい。今の生活も何一つ不自由はない。娘に言わせれば「呆れるほど自由に生きてるな!」って。今日も知人を誘って山梨の温泉まで行ってきた。帰りの中央高速は渋滞していたが、それもまた車内では話が弾んで気にもならない。私にとって『死』は既に早ければいつでも結構という状態です。「お前みたいのが一番長生きするんだ。死神も寄り付かん!」とよく言われるが私にとってはそれが一番困ること。

回答No.5

>死についてどう思われているか の質問でおかしな答えですが 私は何が何でも今は生きます。 今余命を言われてもその日が来るまで生にこだわります。 ただ生きているだけでも今はまだ死ねません。 私にとっては死はただの終わりです。

回答No.5

>死についてどう思われているか の質問でおかしな答えですが 私は何が何でも今は生きます。 今余命を言われてもその日が来るまで生にこだわります。 ただ生きているだけでも今はまだ死ねません。 私にとっては死はただの終わりです。

  • nagaineko
  • ベストアンサー率28% (563/1990)
回答No.4

若い時はいくら考えても、リアルなものとしてとらえることが できなかったように思います。 しかし、中年になり、いつか自分も死ぬんだなということが、 現実味をもって感じることができるように なりました。 この先、もっと年を重ねるにつれ、さらに現実的なものに なっていくんだろうなと思います。 >死についてどう思われているか 若い時は、単純に怖かったですね。 しかし、今は、怖いという感じではないような。 受け入れるしかないし、それでいいんだろうなというような 気持ちです。 でも、ただ、それだけです。 その時がきたら、死ぬんだろうな。 それ以外には何もありません。

  • shin01824
  • ベストアンサー率36% (60/163)
回答No.3

ぼくもNo.1さんと同じく、死ねば皆等しく身体の機能は停止し、無意識になる。と思っています。 死んでも大事な人を見守っているとかそういうロマンティックなことは存在しないと思っています。 同じように、死んだ人間が生きている人間を呪うとか悪影響を与えることも不可能だと思っています。 故人を敬うのは良いことだとは思いますが、それはあくまで生きている人間のため。死んだ人間の供養のためと言いつつ、生きている自分が満たされ納得するために故人への敬意を示すのでしょうね。

  • atelier21
  • ベストアンサー率12% (423/3293)
回答No.2

死は確実ですが どの様に迎えるかが見当つかない と云う事? 検討する材料は 本を読むしかないか 某が 死に際『どんなお気持ち』かと問われて 「未だ 死んでないから・・」初めてだし 解らないと応えた 病で2・3度 死の際夢の中で 三途の河挿んで先祖に会った 知友人が逝って 今彼らは 此の経験が出来ないなと思い 自分も逝ってしまったら同じ・・と この世から見る死は無 三途の河の向うにも 何等かの世界があったのかも知れないが 

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