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孤独感と慢性的な希死念慮

精神科に通い出して10年になります。途中主治医が3回代わり、入院経験もあります。適応障害、不眠症、妄想性うつ病、 分裂病質人格障害、非定型精神病などと言われてきました。 10年以上通っているのに、死にたい気持ちが治まりません。 適応障害、妄想性うつ病なんてのは私の仮の姿であって、私の本質は分裂病質人格障害だと思っています。 いつかは精神の破堤をきたして、本格的な統合失調症に陥るのでしょうか?狂ってしまうのならそれでもかまわないと思っています。 でも、まだ現実の世界にいる私にとって、孤独感と慢性的な希死念慮ほどつらいものはないのです。 特に孤独感はどこにいても、何をしても、誰といても満たされる事はありません。親、兄弟はもうすでにいないので(私は33歳) 家族の関係とかも理解できません。もっと前に遡ると父と母がいて自分が生まれてきたという事が理解できないのです。 中学生の頃から自分は周りの友達とはどこか、何かが違うと思ってきました。なに?と言われても分からないのですが、普通の結婚をして子どもをもうけて、いわゆる普通の暮らしってのが 出来ないんじゃないかと思ってきました。実際33歳にもなるのに恋人もいません。(付き合って人はいますが) 今わたしが望む事は、実家を建て直してそこにこもる事です。誰も入り込めない自分だけの世界にいれば安心できると思うのです。 下手に現実の世界に入り込むと、他人と共感したり交じり合えない自分がいるので孤独感を感じるのかもしれません。 希死念慮は中学生のときからありました。その頃は手首を切ればホントに死ねると思っていました。実行した事もあります。 今はもう少し賢くなったので、どうしたら死ねるか分かっているつもりです。怖いとかそういうのはなく、いつか自分は自殺するんじゃないだろうかという漠然とした不安があります。 どんな形か分かりません。でもなんか自分は自殺で命を落とすのではないかと思うのです。 こういう不安はどこで解決すればいいですか? 重い話だと思うので誰にも話せません。 私の本当の病気は何なのか?ヒントになるようなものがあればよろしくお願します。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • sinsen1
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回答No.2

質問者様は大変鋭い方なのだと感じました。 世の中は沢山の嘘であふれかえっています。 そんな中で生きていくことに価値が見いだせずにいるのだと思いました。 しかし普通の人達はそんな風には思わずに生きていて、質問者様は自分の感じていることを誰にも理解されないと感じ孤独なのだと思いました。 嘘で塗り固めたようなその場しのぎの偽りばかりの人生を、そうとは気づかずに生きている人達をみて、自分も同じように生きたいとも当然思えるはずもなく、だからといってこの現実世界でどう生きていっていいのかわからないという感じなのではないかと思いました。 わたしは死にたいという風には思いませんが、このように自分の感じていることを理解してくれる人はそうそういないだろうということにたいして孤独を感じます。 たぶん普通の人から見たら、重い話だし、聞きたくない話なのだと思います。みんな自分の心を誤魔化して偽りの人生を生きているという話を快く聞いてくれる人はほとんどいないと思います。 でもみんなどんな人生でも必死に生きていることも事実で、心の温かい人も沢山います。だから真には自分を理解してくれる人はいないかもしれないけれども、それで孤独に感じることがあっても、現実の中で自分にできる限りのことをして生きていこうと思っています。自分に伝えられることを発信しています。 無理に人と同じであろうとする必要はないと思います。 質問者様は自分の感覚に自信をもって、それを活かせる道を見つけられるとよいのだと思います。 わたしは質問者様はこの文章を読む限り病気とは感じませんでした。 現実世界を鋭く見抜いているためにそうなのだと思います。 うまく伝えられませんが、生きていても意味がないということは決してないので、感覚の鋭さを活かして自分の真実を追求していかれたらと思います。

kura75
質問者

お礼

ありがとうございます。自分のことを違った方向で見ることができました。 >感覚の鋭さを活かして自分の真実を追求していかれたらいいと思います。 これは苦しい事です。みんなと同じとはいかなくても、一緒に笑ったり泣いたり共感したりしたいのです。孤独はつまらない。

その他の回答 (3)

  • sinsen1
  • ベストアンサー率72% (8/11)
回答No.4

>もともと私と周りの人と住む世界が違うような感じがしているので、そこには大きな溝があります。どうしてもそれが超えられないのです。 同じ人間であっても、変な言い方ですが種類が違うという感覚でしょうか。違いすぎて理解しあえないと感じているのでしょうか。 たとえ住む世界が違ったとしても、自分とは違いすぎる人間であっても、自分次第でその違いをこえて、一緒のときを楽しむことはできます。 大きな溝はこえられるものではないと決めつけてしまえば、それまでです。自分で限界をつくらないことだと思います。 人と暖かい関係を築いていくことを、心のどこかで希望しているわけですから、その希望はあきらめさえしなければ実現する可能性が残されます。 全く正反対の性格の人が仲良くなることがあるのと同じように、感覚が全く違っても、住む世界がたとえ違っても仲良くなれることはあります。違っているからといってお互いに否定せずに受け入れることができれば可能です。 質問者様は普通の人とは違っている自分は、この現実世界では受け入れられるはずがないと思いこんでしまっているのかもしれませんね。 まずは自分から違っている人達とはうまくいくはずがないと決めつけずに、自分とは全く違うと感じる人達を自分のほうから受け入れることだと思います。それは相手と同じにならなければいけないという意味ではありません。 わたしは孤独を感じることもありますが、心を開いて違いを乗り越えて共感しあっていきたいと思って生きています。

kura75
質問者

お礼

やっぱり無理のようです。 ありがとうございました。

  • sinsen1
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回答No.3

>みんなと同じとはいかなくても、一緒に笑ったり泣いたり共感したりしたいのです。孤独はつまらない。 質問者様は心のとても暖かい方と感じました。 うわべだけではない、心からの交流を望んでいて孤独なのですね。 質問者様と同じようなことを望んでいる人は必ずいると思います。 それに人はみんな考え方、感じ方それぞれですが、みんな同じ人間です。地球に生きている仲間です。 心から通じ合える人にはなかなか出会うことは難しいですが、諦めてはいけないと思います。 できることなら、自分の真意をできる範囲で周りに伝えていくと、同じような共感しあえる人と出会える可能性が広がるのではないかと思います。 あまり参考にはならないかもしれませんが、心からの交流を求めるのであれば、自分からも心を開く意識をもつことも必要じゃないかなと思います。

kura75
質問者

お礼

ありがとうございます。 もともと私と周りの人と住む世界が違うような感じがしているので、そこには大きな溝があります。どうしてもそれが超えられないのです。

回答No.1

ご自身を分析できている貴方は正常です。 貴方が悩む原因は、愛情の欠乏、自身の気持ちを話せる相手がいない事だと思います。 精神科に通い出して10年ですか、医師との会話は成り立っていますでしょうか?会話が成り立っていないのであれば、このまま今の医師に診てもらうことに疑問を感じます。

kura75
質問者

お礼

ありがとうございます。 医師は口下手な人で、こちらが話しても無視されたり、分かりました、気にしないでいいんじゃないですか?としか言いません。でも体のこと副作用とか精神的な病気についてはよく分かってくれていると思うので、チェンジする気になれません。 ほかにカウンセリングも受けていますが、主治医はカウンセリングは向いていないといいます。世間話程度ならいいといます。だからその程度にとどめています。

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