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子供の目の前で生き物を殺す行為の是非
先日、生きた魚を子供の目の前でさばきました。 その話を知人(女性:保母さん)に話しをしたところ、すごい剣幕で怒られました。 『命の大事さを教えなければならない親が子供の目の前で生き物を殺すなんて非常識、、』 との事。 ある意味正論なのなのでしょうが、どうも釈然としません。 そういった事を通じ逆に食べ物や生き物への感謝の念が生まれると思うのですが私の行為は間違ってます?
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私も当事者なら釈然としないです。。 そういう保母さんのような考えも世間では多いのでしょうか?って私も質問したくなりますが、 人間も動物であって、食べないと生きていけないし、 生き物、食べ物の命を『いただきます』=だから食べ物になった命にも感謝という説を聞いて納得しました。それまではご飯を作ってくれた母やそのための父に感謝するのかと思っていましたので。 私も生きてるタコ、嫌がってるのにゆで塩湯に放り込む所、湯の中で色が変わる所、見せましたよ。子供達も真剣に見て、おいしいといいながら『タコさんありがとう』っていってたので、サスペンス的なトラウマにもなってませんし。 私はあなたと同じ考えのようです。2児の母です。
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- haruru007
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皆さんの意見を読んでいて、改めて食に対する感謝を忘れていたことを痛感させられています。 害虫とは人間にとって害虫であって、彼らは生きるためにただ生活しているだけなのだ、っていうのをいつだったか聞いたとき、ゴキブリだってそうだよなあ・・・・って思いました。 人間よりも遥かに先祖は古いのに、新参者にいともあっさりと殺されてしまってかなり口惜しいだろうな、とか考えながらも殺虫剤で追いまくってしまいます。 でも人間である我々も生きていかなきゃいけないから、やっぱり殺してしまうんですよね。 生きていくためにある動物を殺して食することと、むやみやたらに動物を殺すことは全く違うと思います。 それは国の文化によっても違いますよね。 お隣の韓国・朝鮮では犬を食べるし、日本だって欧米人が食べない鯨を食べるし。 そうそう、オーストラリアでは魚とかの生き造りって犯罪だそうですね。 一気に殺さないのは残酷だ、って言って。 まあそんなかんじでいろんな考え方はあるかと思いますが、魚を子どもさんの目の前でさばくことが非常識だと考えるよりも、むしろ食べることで生きて行くことに感謝する方が自然なように思います。 だけどこのことからいろんなことを考えてしまいました。 エスキモーの人たちは寒さから身を守るために動物の毛皮を着ますが、それ以外にも世の中毛皮のコートだの絨毯だのと生きるため以外にも動物の乱獲が起きてますよね。 話は変わりますが、私は動物たちがやる芸が嫌いです。 本来なら自然の中で生きている彼らが、何で人間の見世物になってるの?っていうのにいまいち納得がいかないからです。 だから動物園もあまり好きではないですね。子どもに手っ取り早く動物を見せるために行きますが・・・・ まだサファリパークの方が多少は自然でいいです。 そういうのを考えると、人間ってホントに残酷な生き物ですよね。 テロは起こすは、戦争はするわ、環境はどんどん破壊するわ・・・・ 保母さんもできればそっちの視点から命の大切さ、っていうのを考えて欲しいな、っていうのが感想です。 まとまりのない文でスイマセンでした。
お礼
今日の新聞に野良猫の処分の記事がでていました 里親探しなどの活動もされているようですが、実際には相当の数の猫が処分(いやな言葉ですが)されているようです。 動物園の増えすぎた動物は大学病院などでの実験用として使われるそうです。(鳥、猿や小動物) 戦争を否定する人がいる一方で、それを積極的におこそうとする勢力がある。 一方で戦争と言う多大な先人の犠牲に上に現在の生活があることに気がつこうともせず、国の愚かさや戦争の悪しき面のみをとりあげ、その死に対して感謝すらしない国民がいる。 おかしなもんです。 こういった事と食文化を直結することは難しいのでしょうが、目先の幸せや平和にしか目をやらないひとはその先にあるもっと重要な何かを見失っているような気がします。 韓国の犬食の件ですが、以前このサイトでそれを問う質問がだされ、残酷だとか不快だとかの回答もよせられ結局削除されていました。 (質問者側にも問題があったのですが) たしかに、日本人的感覚からすれば普通ではないのでしょうが、自分が理解できない食文化を否定すると言うのはやはり間違いだと思ってます。 話がそれましたが、子供には広い視野を持ってもらいたいと言うのは不出来な親としての小さな願望です。 ご回答ありがとうございました。
補足
多数の回答ありがとうございます 申し訳ありませんが、ただいま体調不良で床に臥しております。回復次第お礼の方は指せていただきますのでご容赦下さい。
- zabu-zabu
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こんにちは。 正論じゃないと思います。みなさん書かれてますが、私達が食べているものも命である、ということを、知ることは重要だと思います。スーパーで切り身になった魚しか、見たことがないから、命を食べている実感がわかない。そういう子が、「俺は一人で生きているんだから他人なんて関係ないんだ」っていうようになると思います(すごく短縮してます、極論。)世の中、本当に1人では生きていけないのに…。 私も、これから、自分の子供をどう教育して行こうか、なやみどころです。
お礼
>私も、これから、自分の子供をどう教育して行こうか、なやみどころです。 大変ですが親としてはやりがいのあることかもしれません。 きっとそういったある意味世の中や人としての醜いところ汚いところ、を教えることが親としての義務だと個人的には思ってます。 ご回答いただいたとおり 人は絶対に一人では生きられないと思うのです。 いろんな人や物や生き物に感謝し、自分は誰かに生かされている、、という事に気がついたときある意味本当の優しさというものが生まれるような気がします。 がんばってください 回答ありがとうございました。
- paje
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再び#7のpajeです。 >また、こんな考え方もある、というような視点の違った意見がありましたらぜひ伺いたく存じます。 私なりに考えてみました。 もしかして、その保母さん、ベジタリアンとか?!
お礼
先飛ばしで御礼を。 >その保母さん、ベジタリアンとか?! 苦笑。 その保母さん以前BBQで、おもいきり肉を食べていましたよ。 多分「子供の目の前で」という部分が重要な内容のように思いました。 余談ですが、ベジタリアンの保母さんだったら自分の子供のは預けたくないなぁ、、などと少し思ってしまいました。ありがとうございました。
- t-anju
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非常識ではありません。 漁師ははお盆には漁をしません。しかし、お盆が終われば漁をし、捕らえられた魚たちをおいしい、おいしいと人々は食べます。所詮、人間は人間のためにある面では都合の良い理性をもって生きていますが矛盾だらけです。 もし、あなたがそのとき活き魚料理をしなかったとしてもお子さんは近い将来その場面をテレビなどを通じて見ることになります。それは、お子さんの人生経験の1つの場面を提供したということに過ぎず、お子さんの人生にはなんら関係のないことです。心配無用です。
お礼
>人間は人間のためにある面では都合の良い理性をもって生きていますが矛盾だらけです。 この矛盾をどういった形で自分の中に取り込みのかということがとても大事なことのように思います。 否定するだけでしたら簡単なことです。 また、ある時には悩んだり罪悪感を感じるのかもしれません。 しかしそれを経て、人はどこかのタイミングで「生きる」と言う意味に気が付くべきなのでしょう。 できればいろんな人生経験を彼らには積んでもらいたいと思うある意味親ばかな私でした。 ご回答ありがとうございました。
- naechin
- ベストアンサー率16% (61/371)
私の実家はお肉屋さんです。当然、鳥などさばきます。生きたままではないですが、ムゴイ具合で言えばかなりのものです。内臓出てますから。で、子供の頃からそれを見ていた私は、「にわとりも、本当はこんな風になりたくなかったもしれないよね。だったら、ちゃんと残さず食べよう。」と強く心に誓い、いまだに骨付きから揚げでも軟骨まできっちり食べます。それが食べる以上、食べられるものに対する礼儀と言うものです。なので、子供にもそう教えています。(まだ、分かってないみたいだけど。) 命の大切さと言うのは、「受け継いでいく大切さ」ではないですか?私たちは、お肉や植物、色んな命を取り込んで生きています。確かに、そのものたちは殺される為に生まれてきたわけではないですが、捕食の対象となる以上やむ終えません。だからこそ、食べ物に対しての感謝と粗末に扱わない事、そして何よりもそうやって生きている自分達に対する扱いを粗末にしないこと。それが、本当の「命の大切さ」だと思います。 遊び半分で殺しているのではないですから、正論でも何でもないです。「ビリの子がかわいそうだから、かけっこの順番はなし」レベルに、中途半端な奇麗事だと感じます。切り身でお魚は泳いでるわけではないですし、手羽先の状態でお肉はあるわけではないです。
お礼
>食べられるものに対する礼儀と言うものです これは素直に共感できます 別の方にも言いましたが、そういった経験がなければそういう感覚が養えないのか?と問われればけしてそうでもないのでしょうが、実際に自分の目で見たり体験したりということはとても重要なように思います。 似たような話ですが、畑のキャベツにつく青虫がモンシロチョウの幼虫だということを子供は知っています。 ですが、そのモンシロチョウはそういった野菜を栽培するものににとって害虫でしかなく、排除の対象です。子供の目の前かどうかはともかく躊躇なく殺します。 自分たちが食わんが為に他の命を犠牲にする。 一方では「かわいい蝶々だね?」と言って子供と絵本を眺める ある意味我々はそういった矛盾の中に暮らしていると思うのです。 そういった矛盾は避けることは絶対に不可能で、自然に生活の中で子供に気づかせる以外方法がないのでは?と思ってます。 人の生活と言うのは本来もっと死が身近なものなかもしれません。 中途半端な奇麗事というのはかなり存在します。 一見、平等とかそういった言葉に惑わされますが、それと引き換えに我々は何かを失っているようなきがしてなりません。 とても考えさせられる回答をいただき感謝いたします。
- pi-ya
- ベストアンサー率19% (21/106)
はじめまして。間違っていないと思います。 ただ、私には5歳の娘がいますが、生きた魚をさばく所を見せるとしたら、 あと少し大きくなってからにしようと思っています。 既に死んでいる魚をさばいたり、 トンボやセミが力尽きて死んでいるのを見かけるだけでも、娘は涙をこぼします。 娘の年齢では、それだけでも充分なショックを受けているようなので、 更に酷な様子を「わざわざ面前で見せる」としたら、せめて小学校に入って、 ショックに耐えられる年齢になってからにしようと思っています。 少し話がそれますが、魚をペットとして飼っていたこともあり、 私自身も、生きた魚をさばくのはイヤですし、その経験もありません。 海の近くで生活していらっしゃる方から見れば、軟弱なのでしょうが、 そもそも、生きた魚を自分でさばく必要もない時代と環境に居ますから、 それが出来ないことを’甘い’と蔑視するのは、全く以って失当だと思っています。
お礼
私には3歳の娘がいますが、それを目の前で見せることには特に躊躇はしていません。 この事は個人によって当然考えの違う部分であるのでしょうし私の場合はということでご理解ください。 ご回答いただいた内容に関しては特に異論はありませんが1点のみ >そもそも、生きた魚を自分でさばく必要もない時代と環境に居ますから これって今現在(ここ数十年)がたまたまそういうった時代だということと、それが普通な日本という国内にいるということだけであって、それが普通なのか?と問われるならばやはりある意味異常な事なのでは?と個人的には思ってます。 甘いかどうかは私にはわかりませんが、そういった失われつつある食生活、食文化というのを本来の形で生活の中に取り入れることはある意味必要な事だと思っています。 ご回答ありがとうございました。
- tbrown
- ベストアンサー率26% (154/587)
こんばんは 私はtottoko-rakutaroさんが正しいと思います。 私は海釣りをしますが、波止場でも船に乗っていても親子連れを良く見かけます。 家の子はまだ小さすぎて(2歳未満)いけませんが、見かける他所の子や、自分が小さい頃は、釣った魚は食べるのが目的で、釣れた時には「これ食べられる?美味しい?」と殆どの子が聞き、「食べられるよ」と答えるとすごく嬉しそうにクーラーに入れています。 また大きな魚は、釣れた時にすぐに絞めて血抜きをして持って帰ると、美味しい刺身になることを覚えます。 子供はそうやって、刃物で刺せば死ぬ、包丁を調理以外に使ってはいけないと言うのを覚えていくのが良いと思います。 子供の前で生きた魚をサバケル環境は、今はなかなか無いと思いますので、すごく良いことだと思います。 ただ思春期の頃の女の子に初めて見せたりすると、しばらく魚が食べられなくなるかもしれませんので、この点だけは要注意だと思います。 どうもだらだらと書いてしまいましたが、保母さんの考えは私には理解できません。 ある意味正論に感じるのは、「生き物」が動物や鳥だったら、当てはまるのかもしれませんが、あなたがサバイタのは魚なので、全然問題無いと思います。これは日本人の一般的な文化です。
お礼
>私はtottoko-rakutaroさんが正しいと思います。 ありがとうございます。 >釣れた時には「これ食べられる?美味しい?」と殆どの子が聞き、 これって素敵な光景ですね。 何が食べられて何が食べられないのかという学習的な部分も大事ですが、それよりも「食べられる魚」を母親に持って却って自慢できる 家に持ち帰った魚を見せられて目を細める母親の姿がそこにあれば更に素敵ですが。 >子供の前で生きた魚をサバケル環境は、今はなかなか無いと思いますので、すごく良いことだと思います。 いえいえ、これも意識して生活に採りこまないとよほどそういった環境が身の回りに無い限りへっていってしまうものなのかもしれません。 >ただ思春期の頃の女の子に初めて見せたりすると、 この点は、確かにそうおもいます 本来、それ以前にそういった光景を目にする機会が多少でもあればなのでしょうが、やはり難しいものもありますよね。 何が食べられて何が食べられない、 どうやったら食べられる、、食って生活の根幹のような気がしますが金で楽を買っているのかもしれません 皆さん、日々の生活に忙しく仕方がないといえばそれまでですが、、 素敵な話しありがとうございました。
- doonacho
- ベストアンサー率14% (31/214)
大人がきれいごとを言うから子供は曲がってしまうんだと思います。 テレビなんかでライオンがガブガブとガゼルなんかを食べるシーンがあると「よく見なさい」と見せる方です。 「いただきます」「ごちそうさま」の意味を教えるのは1+1の答えを教えるより大事だと思います。 ただ、気になるのは子供さんの歳と環境です。 死にまつわるショックなことが最近身近であってまだ立ち直れていないとか、なにか気になることがあればナーバスな子だとトラウマっぽくなることもあるのかな?とも思ったりもします。 そんな事もないのですよね?その後も変化はないですよね?なら大丈夫だと思いますが。 植物も切られるときは悲鳴をあげるそうです。 切った人間に対して反応もするそうです。 命をありがたくいただき次ぎの命に代える。 無闇に動物を殺して「ほらね」と言うのは困りますが、食に関しては違う問題だと思います。
お礼
>「いただきます」「ごちそうさま」の意味を教えるのは1+1の答えを教えるより大事だと思います。 その通りだと思います。 ただ、トラウマの件ですが、これは私も間違っているかもしれませんが、実はあまりきにしてません。 逆にあまり物事がわかるようになりすぎてからの方が却ってショックが大きいのでは?ともおもったりするものですから結構幼児期から目の前で見せています。 自分以外の死を悼み涙する優しい子供であると同時に、今自分が生きていることに対し感謝できる。 どちらが欠けても片手落ちだと思ってます。 見せるだけでなく、示すことが親の務めかと、、 難しいですよね。 回答ありうがとうございました。
- M-chuchun
- ベストアンサー率32% (83/256)
私も最近蚊やハエをたたく事と外にいる蟻などをむやみに殺してはいけないと言う事の違い、まだ動くくらい新鮮な刺身を食べる事、水槽で観賞用に魚を飼うこと、家畜、ペットなど色々な動物と人間との関係をどのように子供に教えて行こうかとよく考えていました。 考えていましたが言葉で言っても子供に理解させるのは難しいのでやっぱり親が食物連鎖のこと、外敵(と言うほどでもないか?)から身を守る事は自然界では当たり前のことなので自分の姿を見せていくしかないな~と思いました。 その点tottoko-rakutaroさんは生きた魚をさばけるなんてある意味子供に見せてあげたくてもなかなか出来ないので尊敬してしまいます。スーパーで切り身になっている姿しか知らない子が増えているなんてよくTVとかでやっていますが自分の手を汚していないだけで他の生き物の命をもらいながら生きていると言う事を見せてあげる事は大切な事だと私も思いますし、私の子供にも機会を作っていつかは見せなければと思います。 tottoko-rakutaroさんの知人の方は正論と言うより応用の利かない、また、ずれた感覚方だと感じます。保母さんなんてやっていて大丈夫かな・・・・
お礼
>保母さんなんてやっていて大丈夫かな・・・・ わかりませんよ、もしかしたらそういった事を教える先生の方が親御さんにはウケがよかったりするのかもしれません。 魚の現物なんて実はそういった機会がないと、実は子供などは見る機会がほとんど無いのかもしれません。 イカやエビとかでもいいじゃないですか、 是非、まな板に載せて子供と一緒に料理する機会を作ってみてください。 結構イキイキした目で興味をしめしてくれますよ。
- stone_wash
- ベストアンサー率10% (59/555)
今食べているものは、はじめから死んでいて人間に食べられるためにあるものではありません。 したがって、自分のためにすなわち自分が生きるために、他の生き物を殺しているという感覚はあって間違いはないと思います。 やはり、ある程度から、生と死を実感させた方がよいと思います。 もし、自分が取り返しのつかないことをしたりしても、ゲームのようにリセット効きません。 こういったことも含めて、保母さんの考えは、キレイゴトとしか思えません。
お礼
回答ありがとうございます。 たぶん、保母さんもそういった事はわかっているのでしょうが、ではいつ教えるのか?といいう部分については言及はありませんでした。 たぶん、自分で生きているものを殺したことなんて殆どなかったのかもしれません。 あくまでも推測ですが。
お礼
ご回答いただいた内容について、とても考えさせられました。 自分で魚をさばく話を出しておきながら、タコの件は実は感心する傍ら「うわーっ」と思ってしまったのです。 自分自身、生きたタコを調理という経験はまったく無く、この魚の件に照らし合わせたとき、そういった経験が全く無い方にとっては道徳的な部分は別としてやはり抵抗感がある理由がわかったような気がしました。 人との会話の中で自分の意見を否定されたとき、むげに反論したり相手の意見を却下することは簡単ですが、しかしそれは極力慎もうとおもっています、今回何故相手がそれほどまで私と考えが違うのかという部分にもう一度立ちかえってみたいと思います。 私自身の考えが変わる事は無いと思いますし、相手の考えも変わる可能性はもしかしたら無いのかもしれませんが、少なくとも理解はし合えるような気がしてきましたので。 ありがとうございました。