• ベストアンサー

ヴェルギリウスについて

困った問題が発生しました。 ローマの『アエネイス』で有名なヴェルギリウスはナニジンなのでしょうか?? 塾で(関東ローカルの某現役合格塾です)ヴェルギリウスはギリシャ人と自信満々に教えられたのですが、参考書によってはローマ人になってます。 どういうこと?? 調べてもなかなか断言している資料がないんです・・。もしかして、よくわかっていないのでしょうか。受験世界史的にはどうなのかも併せて教えていただけないでしょうか。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.2

  「なに人」とは、どういうことを尋ねているのか、いささか曖昧なのですが。「ギリシア人」か「ローマ人」か、その他かというような質問を考えると、大体の曖昧な、考え方でよいのかも知れません。 「ギリシア人」は、ギリシア語を話す人々のことでしょうが、それだけではなく、紀元十世紀頃から紀元の始め頃まで、ギリシアと呼ばれる土地に住んでいた、ポリスの住民で、「ヘレネス」と自称していた人々や、その子孫のことと、考えることができます。 「ローマ人」とは何かというと、もっと難しくなって来ます。ローマは、政治的単位としては、「ローマの七つの丘」から都市国家的な政治単位として始まっており、この都市の正規の住民・市民という意味の「ローマ人」が最初にあったでしょう。しかし、ローマは近郊の都市群や地域を併合して行き、征服地の住民を、あるいは奴隷として、あるいは、ローマ市の市民としての地位を与えて、うちに含んでいったと云えます。 初期のローマ人以外の人々と云っても、言語的・文化的・人種的に、ローマ人と同じ人々が大勢存在し、彼等は、政治単位としてのローマの市民・住民ではなかったということで、実質的には、言語的・文化的・人種的に、ローマと同じ人々です。他方、ごく近郊には、「エトルリア人」の都市や国家もあり、エトルリアは、言語や文化が違っていました。 初期のローマは、ラテン語・ラテン文化・ラテン人のなかの一つの都市国家であり、ラテン文化の世界で膨張して行き、エトルリアを征服・併呑し、イタリア半島全域にやがて支配権を及ぼして行くのです。 「ローマ人」という言葉を、最初の「七つの丘」時代のローマの古代氏族制度の元で、認められていた、ローマ人とその正統な子孫という「狭義の意味」に理解する場合と、「ローマ市民権」を持ち、「ラテン人」として認められた者、つまり「広義の意味」に理解するので、答えが違って来るでしょう。 ---------------------------------- ウェルギリウスは、幾つかのインターネット上での伝記説明では、北イタリアのマントゥア近くのアンデスという村に生まれたとされます。両親については、色々なことが云われていますが、参考1が述べているところが妥当なように思います。 彼は、「(広義の)ローマ人」として生まれたのではなく、「ゴール人」として生まれたことになります。これは、ゴールに住んでいる人で、マントゥア近郊の村というのは、Gallia Cisalpina のアルプス側に当たり、両親、特に父親が、ローマ市民権を持っていなかったので、誕生のときは、ローマ人ではなく、それ故、ゴール人になります(人種的にラテン人とは異なる、ガリア人という意味のゴール人なのか、ゴールに住んでいた人なのでゴール人か、曖昧です。古代の伝記記録では、そういう区別が明確でないのだと云えます)。 参考2では、「父親の名前はマギウスという下級役人」であったと書いてありますが、これは、はなはだ怪しいというか、古代の記録からは、そういう解釈も出てくるということだと思います。 別のページでは、父親の名は、マロ(Maro)で、特記する家柄出身ではない、平民であったが、母親は、マイア(Maia)と云い、有名な一族の一員である、Quintilius Varus と関係のある人であったとなっていますが、これも違うでしょう。 ウェルギリウスは、Publius Vergilius Maro というのが、ローマ人としての名前で、三番目の名前は、cognomen で、家族の名などを示しますから、父親が、マロという名であったと推定されるのでしょう。また、古代の伝記断片に、彼の父親は、下級役人であった、Magus の元で働いていたとあり、更にウェルギリウスは「私生児」だと見做されていた可能性が示唆されており、母親が、この Magus とのあいだに生んだ子供がウェルギリウスであるという解釈もありえるということで、参考2の、「父親がマギウス」は、一つの解釈でしょう。 ウェルギリススは、紀元前49年に、「ローマ市民」となり、これは、正式にローマの市民権を得たと云うことで、ここからは、ウェルギリウスは、「ローマ人」だということになります。 (なぜ、「プブリウス・ウェルギリウス・マロ」という名なのかが、よく分かりません。この三つの名前は、praenomen として、Publius は自然であり、nomen として Vergilius も自然で、Maro は、cognomen として自然で、この名前からすると、「狭義のローマ人」か、それに準じる者なのですが、しかし、この名は、ローマ市民となって以降に、こういう名になったようにも思えます。生まれたときからこの名なら、父親の名前は、Maro だと古代の記録にあったでしょうし、「ゴール人」などという根拠もありません。皇帝アウグストゥスとも親しい、初期帝政期最高の詩人で、ローマ市民なので、こういう立派なローマ人の名になっているとしか思えません)。 (ウェルギリウスの名が、どこから来たのか、やはり不審があるようで、参考3の論文の文章では、これを、ラテン語の「virgo(乙女、処女、娘)」と関連付けています……そういう解釈をする人もいるという話です。ウェルギリウスは、ナポリに住んでいた頃、非常におとなしい性格で、ナポリでは、「Parthenias」と渾名されていたという記録があるようです。「パルテニアス」とは何かよく分からないのですが、「parthenos(ギリシア語の乙女・処女)」の変形だという解釈で、「virginalis」のことだと注釈が古代にあるそうですが、これは、「少女のような、娘のような」という意味のはずです。ウェルギリウスが、「少女のように穏やかな、おとなしい性格」だったという解釈です。……ウェルギリウスは、英語では、vergil または、virgil と書きます)。 ウェルギリウスが、ギリシア人だというような話は、少なくとも調べた限りでは、どこにもありません。「Publius Vergilius Maro」というのは、完全にローマ人の名前で、ギリシア人なら、それらしい名前が、別名でも伝わっていないとおかしいのです。 ギリシアに関係することは、参考1に書かれていますが、ナポリで勉学時代、彼は、「アレクサンドリアン(Alexandrian)」として、文芸サークルに参加した、という記述が関係するかも知れません。「アレクサンドリアン」は、文字通りには、「アレクサンドリア人」とか「アレクサンドリア関係者」で、これがギリシア人という根拠なのかも知れません。 「アレクサンドリアン」は、ギリシアの古典詩人の作品に見習って、霊感を求めた詩人グループのことだとされますから、「アレクサンドリア・ギリシア趣味人」とでもなるのかも知れません。「アエーネイス」は、ホメーロスを前提にしていますから、錯覚が起こっているのでしょう。 ---------------------------------- 追記)ウェルギリウスは、自由人として生まれています。また、南イタリアには、ギリシアからの移民が多く、「イタリア」という名称も、参考4の質問の回答 No.3 が述べているように、南イタリアにあったギリシアの植民都市の人々が、ギリシア神話を元に名付けたものです。上のナポリにも、ギリシア系の人々が多く、ウェルギリウスに、「Parthenias」というギリシア語のようで、意味不明な渾名を付けたのです。 ---------------------------------- 参考1>Virgil / Vergil >http://www.kirjasto.sci.fi/virgil.htm 参考2>プブリウス・ウェルギリウス・マロ >http://www.geocities.co.jp/Bookend-Akiko/9905/siryo1.htm 参考3>VERGIL: The Secret Life >http://community.middlebury.edu/~harris/Classics/Vergil-TheSecretLife.html 参考4>質問:IT ARIA で「ITARIA」イタリア? ”IT”は何なのでしょうか? >http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=361455  

参考URL:
http://www.kirjasto.sci.fi/virgil.htm,http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=361455
t-yoshizawa
質問者

お礼

ゴール人・・ですか~。生まれはそれ程文化的なカオリのする人ではなかったんですね(笑)。なんかイメージ変わってきたなあ。 どうも、ギリシャ人ではないことだけは間違いなさそうですね。塾のヒトは勘違いをしているみたいです。ギリシャ名ヴァージルって堂々と言ってもんな~。 詳しく調べていただいて本当にありがとうございましたm(_ _)m!

その他の回答 (1)

noname#118466
noname#118466
回答No.1

参考URLでは北イタリア生まれとなっています。 当時は地中海周辺諸国の捕虜がイタリアで自由の身となることも多かったので、本人又は父親がギリシャ人であってもおかしくないと思います。 http://www.gws.ne.jp/home/hideo/_txvah5z.html

参考URL:
http://www.spaceports.com/~nero/ip/vergirius.htm
t-yoshizawa
質問者

お礼

ローマって民族がぐちゃぐちゃになってて、こういうことを特定するのに向いてませんね。 私も北イタリア出身までは調べたんですけど・・その先がサッパリで(^ ^;) ご意見、ありがとうございました。

関連するQ&A