シルバーバーチの霊訓5巻P91を今手元で読める方
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後ろから2行目
「ついには動物はその所属する種の類魂の中に融合していきます」
普通考えたら、これは「所属する種」ということで、種によって類魂があると考えられます。
つまり、犬なら犬という種の類魂がひとつあって、その中に個は溶けて行く。
ということは動物には種によって類魂はひとつしかないんだ、
それが全体として少しづつ霊性をたかめていくんだ、という風に考えられます。
人間が現世にいる個人(あるいは何人か)につき、個性を持つひとつの類魂があるのと違い、
動物には種全体でひとつの類魂しかない、ととらえられます。
それが人間との接触によって、種全体として霊性を高めていく。犬なら犬全体が、人間に向かっていく。
しかし、P95中ほどによると、
問「動物の類魂は同じ種類の動物に何回も生まれ代わるのですか、それとも一回きりですか」
「一回きりです。無数の類魂が次々と生まれ変わっては類魂全体のために体験を持ち帰ります。動物の場合はそれぞれ一度づつです。」
とあります。ということは、類魂が、さまざまな種類の動物を、たった1回づつで、渡り歩いてきたことになり、先ほどの認識がどこかおかしくなるような気がするのです。
先ほどの認識だと、犬なら犬の類魂が、すべての犬の魂を現世に派遣していることになります。
その数何千万か何億かでしょう。
ということは、1回きりというのがすでにあり得ないことになります。
後者の言い方だと、類魂は、人間と同じく、一匹につきひとつで、それがさまざまな種の動物を渡り歩いている、と考えるのが妥当のようです。その間2~3ページの解釈もわりとスムーズな気がします。
ということは、前者の「種」という言葉が、生物学的に言ういわゆる「種」のことではなく、なにかしら、漠然とした、「自分という“種”」のようなことを指しているというのでしょうか。
どうも他の情報からしても、動物が種全体でひとつの類魂しかないという認識が、誤りであると気付かされることがあります。
私はこの言い回しのおかげで、長い間誤解をしていたのですが。
お礼
まさか、「行徳には阿呆が多くて」とかじゃないんだろうとは思ってたんですが、「馬鹿貝」から来てるとは知りませんでした。 意味が良く分かって、すっきりしました。 ありがとうございました。 --