自分の非を認めたくないという心理が幼児でも起こることは、一寸でも幼児の振る舞いを観測したことがある方には、一々それに気付かせることすらないほど自明なことですね。ですから、質問者さんがこの質問を提示した理由は、そんな低次元なことではないですよね。
そこで質問者さんに質問しますが、貴方は自分の非を認めることを簡単に出来るのですか。もしそうだったら、私に考えられるのは、貴方は社会的に何ら重要な役割を演じていない方か、あるいは、自分が何者であるかを未だ分かっていない方なのだと思います。
自分の判断や生き様が他の方の人生に影響を与えてしまうと認識している方には、一旦下した判断を、仮令それが間違っていたと気付いたとしても、そう無責任に翻してしまう訳には行きませんね。そのようなことをすると、所謂「朝令暮改」という、最悪の事態になってしまいますからね。人間のすることに関しては、一旦動き出してしまったことは、仮令それよりも良い考えが後で出て来たとしても、決して軽率にその良い考えに飛びつく訳には行かないことは、人間関係を十分に積んで来た方ならご存知だと思います。さもないと、一旦動き出した決定事項の下に人生計画を立てた方の人生を滅茶苦茶にしてしまうからです。
ですから、それが間違っていたからと言ってそう簡単にその非を認めてしまったら、影響力のある方は多くの人々の人生を滅茶苦茶にしてしまう可能性があるのです。ですから、影響力のある年寄りは自分の意に反してでも、そう簡単に非を認めるわけにはいかないのです。
もう一つは、年寄りは自分の生きざまの最終段階に来ていると言う事実です。年寄りは、若い連中には経験していない多くの経験の結果、自分が何であるかを認識出来るようになっております。すなわち、「五十にして己を知る」段階に来ております。その段階に到達した人間が、今更、未熟な若者のように、外部の雑音に右往左往している訳には参りません。
若者から見て年寄りが頑固に見えるのと、年寄りから見て己を知らない若者が根無し草に見えるのは、互いに自然な成り行きだと思われます。しかし、この対比は決して対称ではありません。年寄りは自分がかつて根無し草だった頃の心理状態を知っておりますが、若者は年寄りの頑固さの心理を知らないからです。
お礼
トン