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検察官の気持ちについて質問します
- 検察官の気持ちとは、容疑者が犯罪をやったと信じている場合は、容疑者が嘘をついていると思い、白状させようとする怒りや執念を持っていると考えられます。一方、容疑者が犯罪を犯していないことに気づいている場合は、ストーリに合わないことに困りつつも、どんな方法を使ってでも容疑者に署名をさせようとする葛藤があると思われます。
- 検察官がサインを迫る際には、怒鳴り声や脅し、机を叩くなどの方法を使うこともありますが、容疑者が犯罪を犯していない場合は、良心の呵責を感じることもあるかもしれません。もし容疑者を釈放すると再び犯罪を犯す可能性があると考える場合、国民のために容疑者を拘束しておく必要があるという考えがあるかもしれません。
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警官も人間ですそして容疑者も人間です、基本的に警官は容疑が有るから取調べの中で聴取します、しかし容疑者も素直に罪を認めてくれる事はまれです、大部分は否認から始まります、否認されたらじゃあお帰り下さいでは、聴取の意味がありません。 そこでどうしても、推論を基に供述を求めてしまうのです、又そうする事で多くの犯罪者が言い逃れが出来ないと供述におおじる事を経験で学んでいく為に、そこに正義があると過信してしまう事が有るように思います。 又いけないのは、取調べの段階は容疑者で合って、犯人ではないのですが社会はそうは見ない所にも問題が有り、警官が容疑者として取り調べてしまった人が事情を聞いてみたところ、犯人ではなさそうだと気が付いても、容易には間違いを認めにくい風潮があり、責任問題になる為に引っ込みが付かなくなり、強引な自供で冤罪が生まれる事に繋がって居ると思います。 社会が容疑者と犯人とを区別して考え、容疑者取調べの段階の間違えを容認して、警察官にもおとがめが無い社会構造にしなければ、このような事は形を変えて起き続けるでしょう。 中には成績の為に冤罪を承知で犯罪者を作る方も居るようですが、其れも人間がやる事です仕方ないのでは無いでしょうか。 時には命の危険まで冒す割りに、それに見合う報酬も無く、成績で管理されていれば、面倒な仕事はしたくないし、事務的に業務を行いたくなるのも仕方ないのかと思います。 私は警察をかばうつもりはありません、悪いやつは何処にでも居るというだけで、一部の悪いやつの為に全ての警官が悪いわけではなく、一生懸命社会の為に動いてくれて居る方や正しい事をしたいと、考えているが、警察社会の中で其れが出来ず悩んで居る方も多く存在すると思うだけです。 警察官が間違った事をしないで済む環境を考える事で、取調べにおける不合理が減るような気がします。 今の所は引っ張った以上は黒にしないと、組織的に都合がよろしく無いので、頑張って黒にしてしまう事が多いと思います、所詮警官も組織の中の1人にすぎないてところじゃないですか。 冤罪で取調べを受けた経験から感じた感想です参考までに・・・
お礼
どうもありがとうございます。 >そこでどうしても、推論を基に供述を求めてしまうのです 捜査において、推論、推定、推測、仮定を基に供述を求めるのはわかります。殺人事件のあった家から返り血を浴びた男が走って出てきたらこいつが犯人か?という推測を基に捜査を進めてその男からやったという供述を引き出すと思います。問題は最近よく検察庁の報道で使われている「ストーリー」です。推測をして一つ一つ確認していくのではなく、ストーリーというと先に結論があって、その結論にするために筋書きを創作するようなイメージがあります。証拠、証言、聞き込みから犯人を割り出すのではなく、だれかターゲットを決めて(それは政権や官僚組織や大企業、アメリカにとって不都合な人?)その人間を抹殺するためにどうやって、何の罪で捕まえるかの筋書きを考えるという、いわばボトムアップか、トップダウンかというくらい全く逆の方法で人を捕まえているのがストーリー方式だと思います。すごい違和感があります。 >又いけないのは、取調べの段階は容疑者で合って、犯人ではないのですが社会はそうは見ない所にも問題が有り、 その通りです。私もTVや新聞で報道されたからといってその人を犯罪者だと思い込むのはやめようと思います。なかなかできませんが。小沢幹事長の事件を見て思ったのですが、報道が尋常ではないと思いました。これでは証拠がないだけで本当は何か悪いことをしていても、逆にそう思えなくなります。小沢総理の誕生を報道機関が理由があって望まないのだなと思いました。 >警官が容疑者として取り調べてしまった人が事情を聞いてみたところ、犯人ではなさそうだと気が付いても、容易には間違いを認めにくい風潮があり、責任問題になる為に引っ込みが付かなくなり、強引な自供で冤罪が生まれる事に これ、報道機関も含めて私たちが反省しないといけないところだと思います。捜査にあたっている警察官も検察官も、判決を下す裁判官も万能のコンピュータではないですからね。人間がやっているのだから間違うこともあって当然です。絶対に間違うな!という方が無理だと思います。手抜きをしたら駄目ですが一生懸命捜査して間違えてそれを公表した場合、あまり非難しないようにするべきだと思います。間違われた方にはお気の毒ですが。人間だから間違うこともある、ミスを認めて公表した時点で、それを評価してあげて、ミスを起こさないのはもちろんですが、起きてしまったミスを公表しやすい環境を作ってあげたらどうでしょうか。ずさんな捜査ならともかく、一生懸命やっても間違うことはあります、人間ですから。それを一斉に攻撃するから、間違えたことに気づいてもそのまま突っ走ってしまえ、ということになるのだと思います。私たちも反省しないといけないです。 >今の所は引っ張った以上は黒にしないと、組織的に都合がよろしく無いので、頑張って黒にしてしまう事が多いと思います、所詮警官も組織の中の1人にすぎないてところじゃないですか。 組織の面子、組織防衛は恐いですね。何かあると「組織がどうなっても良いのか」とか上司が言いそうですね。どうなってもいいのかと言われれば、悪いことをして平気な組織は一端解体して更地から作り直した方が良いと思いますけれどね。 今の証拠改ざん事件でもそうですが、とんでもないことをした人、それを隠蔽した人が偉くなっているなんて何とも不思議な感じです。組織とは何とも不思議なものです。悪いことをした人、隠蔽した人が大出世するのですから。そして内部告発をした人は裏切りもの呼ばわりされて虐げられる。組織こそが人間の正常な感覚を麻痺させているのかもしれませんね。