しようとすればなるし、しようとしなければならない。
ひとの心がけ次第でしょうか。
あっさりと...お望みの答えではないですね。
ところで、気が向いたら暇なときにお答えいただけると嬉しい質問をひとつします。
「哲学は人生論、処世訓に成り得るのか?」聞かれて、哲学は他所から学ぶばかりのように聞こえてしまいました。きっと誤解です。(笑)
「誰がこういってる」とか「彼はこう考えた」とか。それは学ぶにあたって必要なことだけど、哲学は誰彼と同じ土俵に上がって「俺は、(あるいは俺も)こう考える」というところに本領がある。私はそう考えます。
他人の考えを知るということばかりであれば、他人の考えですから、それと自分の行動は結びつかなくても不思議はない。しかし、自分の考えというのは、否応なく自ずと自分の行動に現われるもの。
私の考えでは、哲学は自分の考えをつくりあげていくのが本領ですから、哲学はそれ自体に自分の人生論、処世訓を含むことになります。主要な部分ではないけれど、必要な部分だと考えています。
哲学が木だとすると、木は幹を伸ばそうとする。そのためには枝葉が必要だ。枝葉は幹ではないし、ならない。折れてしまってもかまわない。だけど、それなしには木は枯れてしまう必須の部分。私には、そういうイメージです。
こんな考えはどんなものでしょう。ご意見を賜れば幸いです。
お礼
当たり。