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wikiを読んだ程度でわかった気になる
wikiを読んだ程度でわかった気になる お手軽な有閑知識人が目につきます。わかってもいない事柄の上っ面をなでただけで理解した気になっている、そんな恥ずかしい人が身のまわりになんと多い時代でしょか。※ここらにもよく出没しますね、あまり意味のない質問と内容のない回答を連発するお手軽なカシコ人間が。 知識がこんなにお手軽になったことの功罪について問わせてもらいます。借り物でないあなたなりの答えをお聞かせ下さい。
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ご感想をいただきありがとうございます、styrofoamさん。 丁稚ですか? うまいなぁ~♪(*^^*)v 明石に親戚が住んでいまして、こちらへ遊びに来るとき きまって丁稚羊羹を手土産に持ってきてくれるんです。 「丁稚」ということばにピピピンと「丁稚羊羹」を思い浮かべたlittlekiss。 コッホン では、おひとつ ご賞味あれ 【羊羹(ようかん)】 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8A%E7%BE%B9#.E4.B8.81.E7.A8.9A.E7.BE.8A.E7.BE.B9 Wikipediaより一部抜粋 当時は砂糖が国産できなかったために大変貴重であり、一般的な羊羹の味付けには甘葛などが用いられることが多く、砂糖を用いた羊羹は特に「砂糖羊羹」と称していた。だが、17世紀以後琉球王国や奄美群島などで黒砂糖の生産が開始されて薩摩藩によって日本本土に持ち込まれると、砂糖が用いられるのが一般的になり、甘葛を用いる製法は廃れていった。 昔々は、砂糖は国内で生産されてなかったんだね。 『さとうきび畑』 http://www.aritearu.com/Life/music/Photo/Satoukibi.htm 【甘葛(あまづら)】 http://proto.harisen.jp/mono/mono/amazura.html お菓子のレパートリーとそれを生産する量が増してくると 需要に対して供給できる従来までの甘み(甘葛)ではおっつかない 生産性の高い砂糖がいつの間にか市場シェアを占める 【菓子のあゆみ】 http://kyotokashioroshi.jp/kashinoayumi.htm 【日本の菓子の歴史】 http://www.kyuhaku.jp/roji/roji_ha-01.html やめられないとまらない かっぱえびせん‐☆
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>知識がこんなにお手軽になったことの功罪 玉石混交の情報が氾濫することで混乱することはあります。取捨選択の幅が広がって決定に時間がかかるということもあるでしょう。しかし有閑人にはそれも楽しみの一つです。確率論からいって、全体の情報が増えるほど(以前にはなかった)高品質の情報も確実に増えるということはいえると思います。問題はその選択眼をどう養うかということですが、結局私たち凡人には数をあたって真贋を見極める理性を高めていく訓練をし、感覚を洗練させていくしかないと思っています。自分が納得するまでより多くの情報に当たり、自己責任で決定をするということ(常識)です。お手軽な知識即低品質とはいえないでしょうし、そう思えば情報総量莫大な現状は至極結構、わたしにとってはうはうはのネット生活です。wiki国内版 は大いに利用させていただいておりますよ。貴方が何を危惧されておられるのか、私には理解できませんね。まさか悪貨は良貨を駆逐するなどと考えておられるわけではないでしょうね(この場合それはないでしょう)。従来の「エリート知識人」のあせり(と嫉妬)のようなものかとも思いますが(失礼)。 個人的意見です。
- littlekiss
- ベストアンサー率14% (98/698)
こんばんは、styrofoamさん。 かしこみかしこみ シャッ シャッ\(゜ロ\)(/ロ゜)/シャッ シャッ(*^^*)お祓い ども。 なにか危惧されておられるのかな? 情報入手がお手軽になることに… うーむ 昨今の円高による、国外製品の流入。どんどこどんどこどんどこどん。 国外製品を安価で仕入れることができやすいー国内市場に国外製品が居並ぶ。 どんなものがあるのかと物珍しさが人の気を誘う。 通常よりも安価ということもあり、消費者の財布のひももゆるむ。 閑古鳥が鳴きかけていた百貨店へも人足が向かう。 この時を逸しては、ならずとばかりに 蔵にしまっておいた商品を出してきて、国外製品と抱き合わせて売る(カップリング) 在庫一掃処分市 円高は、良くも悪くもデパ地下の試食タイム!(お試し)と、いったところ。 周期的に円安の波が訪れてくるもの、 この円高のときにものの善し悪しを体験(味わう)しとくと 円安になったとき少々高くたって、いいもんを求める人がでてくる。
お礼
ありがとうございます。 昔の丁稚の育て方のようなことを仰ってるわけでしょうか。 何でもとにかく沢山のものにさらされてみないと真贋を見る目が育たない、ということかな? そうだとしたら、「間違えた時に叱ってくれる番頭さんも誰もいない現代の丁稚は、ただ目の前のお菓子をただあれこれつまみ食いしてるだけになりかねませんよ」というのが質問者の感想です。
- 雪中庵(@psytex)
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特に、アカデミックにも複数の説が乱立しているような フィールドでのwikiは、全く役に立ちません。 たまたま執筆した人の独善的な記載になっています。 もちろん、ここのように意見の異なる複数の回答者が併存 できる場なら、それでもいいのですが、wikiは執筆者の 独壇場なので、後に見たら噴飯ものとなるであろう記載を 目にすることがあります。
お礼
ありがとうございます。 私も専門の分野ではwikiなんて見る気がおきません。
- talker
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知識入手の手軽さの是非について私の考えを述べます. Englishバージョンのwikiは非常に為になります. 高度な数学や専門分野についてインターネットで調べられるのは Englishのwikiや各大学のHP(site:ac.jpでググる),またネットに流れている論文位です. ゆえに解決の糸口としては,知識入手は手軽である方が嬉しいです.
お礼
ありがとうございます。 知識入手が簡単だと私も嬉しいです。ですから別に功罪の「功」がないなんて言ってないんですが、勝手に自分のフレームに引きつけて理解する人が多いようです。 質問したいのは、知識の入手について、個人的な利便性の追求は社会的に功罪両方あると思うので、社会学的な側面からどうでしょうかということです。
- einn
- ベストアンサー率37% (671/1802)
たしかにちょっとググれば、wiki以外でもボロボロ出てきますもんね。 知識がお手軽になったことによってどうなるかですが、 ネットで浅い部分だけを見て満足してしまい、それで探究心がストップする人は、 結局図書館でも参考書購入でも、やっぱり表層の知識で探究心がストップすると思いますよ。 なので、もともと探究心の薄いひとはいつの時代も変わらないと思いますよ。 ネットが普及してから、その探究心の薄い人が増えたかどうかは、 統計とらないとわからないと思いますので想像で話すのはよくありません。 わかった気になって間違った知識をひけらかす、 そんな人は昔っからいますよ。あなたが社会人なら、 40代50代60代のおっさんがたのひけらかしがどれだけウザいかご存知のはずです。 百科事典をみて分かった気分になる、小学生とおんなじですよ。 知識が手軽に入る、というこの状況は好ましいものと私は思います。 情報の引き出し口というのは、多ければ多いほどよいものです。 ザッと調べた事で、あるいはたまたた見た情報が、 その人の今後の人生における夢や研究目標になることもあるわけですから。 wikiではなく個人ページ寄りの考えですが、 何の組織にも縛られない人間が情報を発信できるというのは人類史上貴重ですし。 最後には正しい知識と誤った知識を取捨選択できる人間が生き残る。これも昔からですね。 大変失礼なもの言いになりますが、おそらくアナタの考えかたが浅いのです。 もうすこし広い視野で物事を見るとよろしいと思いますよ。
お礼
ネット時代らしい回答をありがとう。 この回答自体がひとつのサンプルのようです。
補足
>わかった気になって間違った知識をひけらかす、 >そんな人は昔っからいます それは当然ですね。そのうえで、こういう時代になって知識のつまみ食いがさらに顕著になってきた(と質問者が感じている)前提で質問しております。 >何の組織にも縛られない人間が情報を発信できるというのは人類史上貴重 だと思いますが、質問のポイントは発信サイドに選択肢が増えた云々の問題ではなくて、誰でも断片的な知識にイージーに触れられることの功罪を問うています。要するに >ネットで浅い部分だけを見て満足してしまい、それで探究心がストップする人 たちはそもそも図書館にも行かなかったわけです。意識して知識に触れなかった人たちが、気構えも身構えもないまま断片的に知識にさらされることはどうなんだ、と問うてるんです。 >最後には正しい知識と誤った知識を取捨選択できる人間が生き残る。これも昔からです 根拠なく突然断言されていますが、これがこの先もそうだという証拠は何もありません。 >おそらくアナタの考えかたが浅い わりとすぐ断言する方のようで。さすがに深い方は何かがちょっとちがうのかなあ。
お礼
>お手軽な知識即低品質とはいえないでしょう 別にお手軽なものが全てお粗末なものと言っているわけではありませんよ。仰るとおり、マスが増えれば高品質のものも増えて当然でしょう。ただ、情報が増えたからといって、大衆全般の咀嚼力があがるわけじゃなし、情報の真贋がわからなければ、情報は単に流通するだけであまり意味がないでしょ。悪貨は別に良貨を駆逐などしないけど、ただ悪とも良とも判別する気も能力もない人が、沢山の貨幣をじゃんじゃん右から左に流通させているんじゃないと言っているわけで、少しポイントがずれてるような。 >真贋を見極める理性を高めていく訓練をし、感覚を洗練させていく とありますが、それは回答者さんには可能なのでしょうが、社会全体としては疑問ですね。 別の角度から書くと、人は情報的にまっさらの状態からスタートして、沢山の情報に接してそれをいちいち真贋ふくめて吟味しながら受け取って成長していく、なんてわけありません。大方の人間は、私も含めて、大概のことについて既に認識のフレームや価値観が(正否は別にして)できあがっています。無意識のうちにそのフレームにあわせてあふれている情報群から収まりのいい情報を、都合よく勝手に取捨しているだけのことです。 下の方で「正しい情報を持ったものが昔も今も勝つ」なんてありましたが、笑止千万。それこそ「正義は勝つ」という、ある意味古典的な出来合いの価値観で、それを情報についても無条件かつ無批判に当てはめてるだけ。大体、勝ち負けが決まるということ自体、会社やせまいコミュニティの中だけの話で、広く見たら勝ち負けどころか、情報が正しいかどうか白黒つくことのほうが稀でしょう。 ともかくありがとうございました。 ※「個人的意見です」とわざわざ断り書きをなさってますが、質問も同じ意味で質問者の個人的考えですよ、当り前のことですが。どういう意味で書かれたのかわかりませんが、何かの免責になるのなら私もそうつけ加えておきます。