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蒲生氏郷で検索すると、具足(兜、鎧、などのセット)で兜の頭が二つに割れ

蒲生氏郷で検索すると、具足(兜、鎧、などのセット)で兜の頭が二つに割れていてマントが付き、肩には星の着いた肩当てをしている近代的なものがあります。 その具足と氏郷との関係、いつ着けていたのか、本当に氏郷の物か、何か逸話があれば教えてください。

みんなの回答

  • tomajuu
  • ベストアンサー率38% (304/782)
回答No.1

この質問に興味を覚え、午前中ずっと「蒲生氏郷」でツブレちゃったじゃないですか! どうしてくれるんですか! サラリーマンの貴重な休みを!(笑) 氏郷さん、ホントなら「たぐい まれ」な武将だったんですね。 あの信長さんが一目みて「タダモノではない!」と見抜き、娘を嫁がせたほどですから。 彼の具足について、私も少し探ってみました。 「鯰尾・ナマズオ」の兜が有名みたいです。  http://www.yoroi.co.jp/topics/2007/gamou/gamou.html これもカッコイイものです。 でも、「なんで『ナマズ』なの?」 ・・・なんて疑問はナンセンスですよね。 武将にとって、帰依する対象としたモノや事象は「人それぞれ」ですから。 そんないろんな対象があったからこそ、さまざまな意匠の甲冑が生まれたわけですし。 (明智光春さんなんか、兜はウサちゃんなのに、胴にはドクロの小物をあしらってたりしますし・・・。) で、氏郷さん。 質問者さんの言ってる「マントと肩当」って、これですよね? ↓  http://www.suzukine.com/html/yuzan/meisyou/yuzan_meisyou_gamou.html ・・・カッコいい・・・・・ その「五月人形」ウェブでも一番のカッコよさじゃないですか! 「蒲生氏郷」という、マイナー?な武将なのに、こんなふうに取り上げられてるのは、 まさしく、その甲冑のすばらしさによるものだと思います。 ただ、兜と鎧は常に一対で保存されているとは限らないのでは? 兜単体に関しては、他のサイトにもありますので、 その「燕尾形・えんびなり」兜自体は 実在してたと思います。  http://www.yoroi.co.jp/topics/ujisato/ujisato.html 私は全くのシロートなのですが、あの兜は実際に存在してたかも知れませんが、 胴体以下の衣装は、兜にふさわしく後から「創作」されたかもしれませんね。 だって、カッコ良すぎますもん。 信長さんだって、南蛮渡来の「西洋風甲冑・マント」をまとった図を見ることがあります。 でも、先の五月人形サイトで信長さんは、古来の「なり」の具足です。 シロートの私が思うには、 「そういうイデタチであったカモしれない。でも、後世による創作なのでは。 そうであってほしいという願望を込めたモノ。ああいう格好で戦場に現れてたならスゴイな!」 と思うものです。 すみません、回答になってなくて。 でも、氏郷さんを よく調べてみよう・・という動機になり、質問者さんに感謝いたします。 また、もう少し調べてみます!

kakizakikageie
質問者

お礼

質問者です。 ありがとうございます。 私のような暇な学生の疑問のために 貴重な休日の午前を潰してしまって。 お礼が遅れてしまってすみません。 氏郷は、とても素晴らしい武将だと私は、思います。 氏郷の話は、機械があればまたします。