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嫌な人を殺したいという発想をする人としない人の違い

嫌な人を殺したいという発想をする人としない人の違い 実際に実行に移すことはなくても、「あいつ殺してやりたい~!」という発想をする人がいる一方、どんなに嫌なことがあっても絶対にそんな発想をしない人もいますよね?(おそらく後者が多いと思いますが) 両者の違いはなんなのでしょうか? 生まれ育った環境など関係あるのでしょうか?

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回答No.4

「どんなに嫌なことがあっても絶対にそんな発想をしない人」はいないのではないかと思います。極端かもしれませんが、たとえば「愉快犯にわが子が理不尽に殺された」というときに犯人を殺したいと思わない人はいないのではないですかね。 発想の契機となる閾値(限界値)は人によって違っているけれども、「嫌な人を殺したい」というのは人間(?)に普遍的なものなんじゃないかとおもいます。

ponnao
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >たとえば「愉快犯にわが子が理不尽に殺された」というときに犯人を殺したいと思わない人はいないのではないですかね。 なるほど!非常にわかりやすい例ですね。 限界値が人によって違う・・・納得です! ありがとうございました。

その他の回答 (3)

回答No.3

 発想とは環境に拠って変わって行くものです。逆に 変わらないのは稀です。  私も嘗ては  「嫌に思う相手を殺したい。どうやった偶発的な事故を装い、完全犯罪が出来るのか。」 とか勘がえてましたが、その後はその勘がえが変化していきました。  嫌いな相手を記憶から除外する。  「奴は奴、俺は俺だ。あいつが死のうが生きようがどうでも良い。奴の事を考える事で脳味噌を使う のは馬鹿げているから、もう考えるのは良そう。」  と言う思いに変化し、現在は  「彼を恨んでしまって悪い事したな。彼にいじめられなければ、私の心もここまで成長はしなかった。彼も不幸だったな、いじめる側で。彼の心も成長していって欲しい。」   現代社会で普通に生まれ育てば「あいつ殺してやりたい~!」と僻み、妬み、と言う発想が有って普通。  だかね、その発想を生み出す心をどうやって、幼年期時代の純粋な心に戻していくのか・・・・・・・   それが生きる意味の一つだと憶う。

ponnao
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 発想とは環境によって変わっていく・・・そうですね。 >現代社会で普通に生まれ育てば「あいつ殺してやりたい~!」と僻み、妬み、と言う発想が有って普通。 表立って言葉に出す人は少ないけど、意外と心の中ではそういう発想している人多いんでしょうかね。 自分のまわりで「殺す」なんて言葉を口走る人はほとんどいませんが、顔の見えないネット上では「殺す」とか結構見かける言葉ですもんね。 ありがとうございました。

  • 05290907
  • ベストアンサー率31% (68/213)
回答No.2

環境はあまり関係ないと思います。 恵まれた人でも殺人者になりますからね。 私は理性がきかなくなった時に殺人は起こるんだと思います。 誰だって、殺人はしてはいけない事!っていうのはわかってるじゃないですか。でも毎日殺人のニュースは流れてますよね。憎悪、欲望、怒り、復讐などの感情が理性を奪い殺人がおきてるんじゃないかと思います。

ponnao
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 感情が強くなりすぎた時、理性が奪われる・・・確かに感情と理性のバランスを崩す可能性は、誰にでも絶対ないとは言えないですね。 ありがとうございました。

回答No.1

違いは、その人の物の考え方、宗教、そしておっしゃるように育った環境も影響すると思います。そこで、 「罪を憎んで人を憎まず」 という言葉を改めて考えてみてはいかがでしょうか。ネットで検索したらたくさん出ますし。

ponnao
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 「罪を憎んで人を憎まず」・・・そういえばそんな言葉がありましたね。 検索してみます。

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