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子供の可能性は無限 は真ですか
子供の可能性は無限 は真ですか よく「子供の可能性は無限」と文学的比喩で言います。 本当に無限であって有限ではない、ということは証明可能でしょうか。 また、無限だとしたら可算無限でしょうか非可算無限でしょうか。
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質問は単なる言葉遊びだと思うので,答えるほうも(「子供の可能性」の定義の提案も含めて)言葉遊びで答えます. たとえば,「子供の可能性」=「その子供の(将来の)生涯最大身長」と定義してみましょう.人間の身長には生物学的に定まる上界があるだろうから「有限」というのもありうる答ですが,生涯最大身長の「値」はある範囲のあらゆる実数値をとりうるから,私の答は,「子供の可能性」は無限で,しかも連続体濃度である,としたいと思います(物理量としての長さに最小単位があるかという議論はパスさせてください…). 別の定義として「子供の可能性」=「生涯所得,ただし通貨単位は円」を考えてみましょう.一人の人が生涯になしうる経済活動の規模にはおのずと上界が定まるでしょうが,貨幣価値のほうを考えると,将来どれだけ激しいインフレが起こるか予想できないので,この意味での「子供の可能性」は可算無限でしょう. 質問の意図は,何らかの「正解」とか「真理」を導くことではなく,こういうノリでいろんな「数学的言葉遊び」をみんなで楽しみましょう,ということだと,私は解釈しています.
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- Au_gosu
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脳の回路は、脳細胞とそれをつなぐシナプスという配線からなっており、その形成の仕方は「このような回路を作りたいからこう配線しよう」というように「設計」されるのではなく、まず始めに適当に配線をつなぎまくって、それから使わない配線を消していくという方法で形成されます。 人間の脳は約100兆個のシナプスを持っているらしいです。このうちクシャミの回路とか関係のないの配線を除くとして 1兆個のシナプスが重要なシナプスだとします。 子供は2兆個のシナプスを持っていて、大人になって1兆個に減るとして、一体どれだけの回路のパターンが生じうるかを考えると、 (2x10^12)C(10^12)個となります。 2nCn=2n!/(n!)^2 n!~n^nで近似すると、(2n)^2n/n^2n=(2^2n)x(n^2n)/n^2n=4^n 4^10^12=1.8x10^72 よって子供の可能性は有限で、約二万無量大数通りである。
お礼
可能性を比較的重要な回路のパターン数として定義されたのですね。 ただ、最後の等式が誤りのように思われます。 4^(10^12)に対して常用対数を計算すれば6000億強の桁数を持つ数です。 ともあれ、ユニークなご回答ありがとうございました。
- Mokuzo100nenn
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子供の可能性は無限大であり有限です。 無限大とは、必要な数字よりもはるかに大きな数値を言います。 例:「地上に降り注ぐ太陽光線は平行です。なぜならば地球と太陽の距離は無限大だから」 同じ用法で、有限の数を無限小と呼ぶこともあります。 言葉の綾ですから、数学じゃない。
補足
数学ではないことは私も承知しています。 しかし、ある程度の仮定や定義を付け加えれば、数学的な形式をとりながら議論ができると思うのです。 そこに発想の自由度があり、そのような回答を期待しております。 Mokuzo100nennさんの回答は 無限大は言葉の綾であり、実のところ「子供の可能性は有限だ」 ということですよね。 有限というは、どのような論証を経て結論されたのですか。
- alice_44
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自然言語で書いた任意の文章が 真または偽と判定できる訳ではありません。 ゲーデルに登場願わずとも、 最低限、文章が命題でなくては。 そのためには、文章に出てくる用語は、 全て明確に定義されていなくては。 No.1 補足にあるように、「子供の可能性」を 回答者が適当に定義してよいのなら、 私は、それを「父親のウエストサイズ(cm単位)」 と定義しましょう。 これなら、有限であることは明らかですね。 ふざけてるって? 今回質問のように、文章の内容を定義しないまま その真偽を問うことは、これと同程度に ふざけている…と思うのです。 教育学や社会学の問題は別として、 少なくとも、数学の質問としては。
補足
お気に触ったのなら申し訳ありません。 答えがないことは分かっていますし、 真か偽かを判定できる命題でさえないことも分かります。 これは真か偽かを判定できない問題だ と(私も既知のことを)述べた回答ではなく これこれを仮定してこういう形であれば、命題となってこういう結論が出るよ といったような自由な回答を求めています。 勝手ながら、回答者の方々の様々なアイディアに感銘を受けたいのです。 子供の可能性の定義は回答者様の常識に任せます。 もし父親のウエストサイズが子供の可能性と思うのであれば、その仮定で定義されて構いません。 もっとも私はそれが可能性のすべてだとは全く思いませんので、価値観の違う人なんだな、で終わってしまうでしょうが。
前回答は参考意見としてください。 カテを誤認していました(汗恥;)。
>子供の可能性は無限 は真ですか 一般的には親よりも長生きする可能性が大なので、将来へ向けて親よりも希望が持てるという意味だと思います。比較の問題であり、当然子供とて死ぬべき人間ですから可能性は有限です。おっしゃるとおり「子供の可能性は無限」とは文学的比喩にすぎないと思います。数学的な証明が必要なら数学カテでお願いします。例外的に子供の銅像が建てば無限ではないかと仰るのはもっともですが、銅像だって破壊されたら終わりですし。
お礼
ご回答ありがとうございます。 回答者様も認められている通り、数学的な議論をしたいのです。 他の方の参考のためにも返信を書かせていただきますと、 子供の生きる時間は有限だから可能性も有限 とすぐに結論付けることはできません。 もし時間が例えば実数のように流れているのであれば、有限部分集合を取ってきてもその濃度は無限です。 時間には最小単位が存在するか、というのは物理の話で詳しくは存じ上げませんが。
- koko_u_u
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では「子供の可能性」を定義して補足にどうぞ。
補足
質問者の私が定義すると、余計な主観が混じり、自由な数学モデルを使った 議論に支障が出るのでできれば回答者様にはその定義から始めていただきたいのですが。 あくまで言葉の解釈にとどめた「可能性」の意味は 一人の子供に対して、環境と自らの選択によって定まる、これから先のある一点における子供の在り方の候補 でしょうか。 私の定義に問題があれば、そこを変更したうえで議論を進められて構いません。
お礼
私の意図を解釈してくださり嬉しく思います。 まさしく言葉遊びで、いろいろな定義を与えることで答えが変わることに面白さを感じています。 常識的な「可能性」という言葉の枠組みの中で 非可算・可算の両方を提示された素晴らしい回答でした。 有限、可算無限、非可算無限の回答が揃いましたので、これにて締め切らせていただきます。