※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文: 有料道路の全国一律料金制は意外な名案ではないでしょうか?)
有料道路の全国一律料金制は意外な名案ではないでしょうか?
このQ&Aのポイント
国民は国家に対して等しい義務と責任を負わねばなりませんが、その代償として、国家が行うサービスも等しく享受出来なければなりません。
人の移動に関しての各人への等しいサービスを考えると、全国一律料金制はポイントAからポイントBへの移動も、ポイントCからDへの移動も等しいコストで実現することを意味します。
「全国一律料金制」は地点Aから地点Bへの移動ができることに価値を置く合目的性を評価基準に置くことによって、公平な受益者負担を実現する可能性があると考えられます。
有料道路の全国一律料金制は意外な名案ではないでしょうか?
有料道路の全国一律料金制は意外な名案ではないでしょうか?
知人と雑談していてふと感じました。つまりこうです。
国民は国家に対して等しく義務と責任を負わねばなりませんが、その代償として、国家が行うサービスも等しく享受出来なければなりません。今「人の移動」に関しての「各人への等しいサービス」ということを考えますと、究極はポイントAからポイントBへの移動も、ポイントCからDへの移動も等しいコストで実現すること、と言うことではないでしょうか? 例えば函館から所用で東京へ出て行くのも、羽田から東京へ行くのも同じコストでないと、同じ東京への移動と言うことに、その人の住んでいる地域によってコストが違ってくる事になります。つまり同一目的に対して国家が命じる負担の大きさが不平等になってしまいます。これでは辺鄙な過疎地になるほど高負担になると言うことになります。
全国一律無料、と言うのも上の変型ではあると思いますので、これも一つの案とは思います。しかし、これでは「自動車専用道路」という特定の人だけが受ける利益を自動車を運転しない人にも負担させることで、「サービス受益の公平」原則に反します。また、近距離であっても無原則に有料道路を利用する傾向になり、都市部の有料道路の渋滞につながりそうです。全国一律例えば千円、等とすれば千円払う値打ちのない近距離などは有料道路を避ける事になると思います。
実は、今まで「全国一律料金」は不合理で、やはり「距離に依存した料金体系」が受益者負担の公平性に適うと考えていました。しかし、これは道路を「走った距離に価値がある」、ということなら同意します。しかし、真実の価値は走った距離にあるのではなく、「地点Aから地点Bに移動できた」と言うことにこそ価値があるのではないでしょうか? ならば「合目的性」を評価基準に置くことによって「全国一律料金制」に軍配が上がると思います。
この理論を如何お考えでしょうか?
お礼
再びご丁寧なご見解、ありがとうございます。しかも問題を実に多面的に捉えられて、それぞれが的確に(と私には思えますが)、且つ素直に論理展開されていると感じました。何よりも素直がすばらしいと思います。 個々の論点についてはいちいち反論も賛成論も述べませんが、大筋において特に大きな異論はありません。「お前は全国一律料金論ではなかったのか!」とご指摘を受けそうですね。私の最初の質問(問題提起)を読んでいただくとお判りの通り「走行距離制の料金方式」から「全国一律料金方式」へ移行するべきかどうかを模索しているところです。 あなたもご指摘の通り、私との相違点は「有料道路」の機能のとらえ方にあると思います。 私は今や有料道路は既にライフライン(私の造語のライフインフラ)の一つとして、国民の生存権を保証すべき役割を担っているのではないかと考えています。 あなたは、有料道路はまだ今でも個々の利用者の選択肢のひとつに過ぎない、とお考えのように思います。 このことは、 >論点が違う(問題解決のアプローチが違う)のは公平を実現するに当たって不可避な物理的壁となる地理の問題をどう考えるか?の意見に相違があることなのだと思います。 というあなたの文章からも窺うことが出来ます。これ以外の点では基本的に双方の感性差はわずかしかないと思いました。 この議論はこれ以上待っていても特別な見解は出そうにありませんので、これで締めたいと思います。ここ数日大変楽しく過ごせました。これもいろいろなご見解を示していただいた皆さん方のおかげと思います。皆さんを代表して、一番文字数多く(従って、貴重な時間を最も多く提供してくださった)<wpy11_4548>様に「ベストアンサー」を貰っていただきたいと思います。 私自身は、もう少しじっくりと色々なことを考えてみます。その上で自分の最終的な見解を仕上げます。