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戦前の日本に、メルセデス・ベンツは輸入されていたのですか?やはり、フォ
戦前の日本に、メルセデス・ベンツは輸入されていたのですか?やはり、フォード、シボレー、パッカード、GM等の米車だけだったのですか?
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メルセデス・ベンツは回答のように昭和天皇の御両車で、7台輸入されています。2台は陸軍が防弾・チューブレス・タイアに改造しました。昭和43年まで使われています。昭和天皇が即位した後、最初に手配された御両車で、2台は機械式ターボ(スーパー・チャージャー)付きの高性能車でした。それ以前はロールロ・ロイス・シルヴァーゴーストや、ディムラーを入れていました。戦前の輸入はこれだけですが、満州国や日本軍占領下の中国大陸、シンガポール、香港などで使われたベンツもあります。 日本自動車会社というディーラーがありまして、フィアット、オースチン、のイタリア・イギリス車を入れています。この会社はハドソンというアメリカの地方メーカーのクルマもいれており、ハドソンは日本国内ではこのディーラーのおかげで有名な会社でした。 関東大震災をキッカケにしたT型フォードの導入で横浜にフォードが拠点をもち、昭和期には一台2400円くらいで国内では販売されました。ドイツのカメラが600円だった時代です。 兵隊さんが5人で徹夜で飲み食いしても5円でお釣りが来た時代の話です。 後に大阪にはシヴォレーが拠点を作ります。 オートバイは、ドイツ、イギリス、アメリカの物が入ってきており、国産車もありました。 面白いところではチェコスロヴァキアの名門、タトラ社の流線型自動車を陸軍が2台輸入してテスト、研究したあと、「チェッコ式自動車」と登録され、陸軍省の車として使っていた記録があります。これはRRで、当時最新の技術で作られた車でした。ポルシェ博士がビートルをデザインしたときに参考になった車のひとつと言われています。 タトラ社は戦後、東側ブロック最高のトラック・メーカーとして名を馳せます。空冷エンジンのデザインがお手の物で、パリ・ダカール・ラリーがあったころ、カミヨン部門(トラック部門)の貧乏チームは皆、タトラのトラックで出場していました。日野はまずタトラを倒すことに全力を注ぎ、ついでベンツのトラックと死闘を繰り広げ、いまでは無敵になりました。 脱線してしまいましたが、ネタとしてお納めください。
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- mechano23
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昭和天皇が戦後全国を御巡幸された際にお乗りになった「赤ベンツ」1932年に導入されたものだそうです。日独伊三国同盟に時代が傾きだした時期ですね。英米製の車では故障したとき部品調達できなくなるとすでにわかっていたのだろうと思います。
お礼
有難うございます。
- Mokuzo100nenn
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戦前の天皇御料車はメルセデスベンツのグローサー770型だったことは有名です。 10台ぐらいは輸入されたようです。 一般市民用にメルセデスを輸入することが有ったのかどうかわかりませんが、インポーターとして有力だったヤナセの沿革を調べると、メルセデス・ベンツの販売開始は戦後の昭和27年からだそうです。 フォードやシボレーは国産化されていたので戦前からタクシーなどにも使われましたが、外貨の無い時代にメルセデスを輸入販売できたのかは疑問ですね。
お礼
有難うございます。
お礼
お礼が遅れて、申し訳ございません。とても詳しく書かれていたので、思っていた以上によく分かりました。本当に有難うございます。