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クララ(シューマンの妻)について
- クララ(シューマンの妻)について教えてください。
- クララ(シューマンの妻)の父親ヴィークは交際に反対しましたが、後に考え方が変わることになりました。
- ヴィークの心境について解釈が分かれており、クララの音楽家としての将来を諦めたとも言われています。
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ヴィーク(Johann Gottlob Friedrich Wieck (1785-1873))は、1837年、彼の娘クララと結婚したいというシューマンの申し出を拒否しています。そしてシューマンがクララに再び近づくことがあれば彼を銃で撃つ、と言っています。 ヴィークは、反対の理由をたくさん挙げていますが、箇条書きにしますと。 1。シューマンは女たらしの評判があり、パーティー好きである。 2。梅毒(シューマンはこの病気で死んでいます)の影響からか鬱病の発作がある。 3。1830年代の後半になって名が売れて来たものの、まだ無名の作曲家である。 ただシューマンの才能に対する尊敬の欠如はヴィークの反対理由には入っていなかった(A lack of respect for Schumann's talents was not among Wieck's objections) 彼とシューマンの仲が最悪の時でも、クララの練習にシューマンの作品を使った。(even when relations between himself and Schumann were at a low point, he assigned Schumann's piano music to Clara during her lessons) これは、下記の抄訳ですが、お読みになっている資料と、少し感じが違うところは原文を残しました。 http://www.encyclopedia.com/doc/1G2-2550300158.html ヴィークのクララに対する思い入れは、彼女が生まれる「前」からピアノの神童になる(あるいは「神童にする」)という意気込みだったことからも、結婚反対の法廷で、18日間も投獄されるほど騒いだことでも分かります。また後にヴィークはシューマンと和解していることも、見逃せない一面でしょうね。
お礼
詳しいご説明をありがとうございます! とても参考になりました。 あれからクララとシューマンに関する 別の本(日本語)も読んでみました。 教えて下さった内容とほぼ同じで、 元々読んでいた英語の資料の内容は、 文法の解釈の間違いがあったと気づきました。 「ヴィークはシューマンとクララの交際に 大反対した。 つまり、クララのピアニストとしての将来に 大いなる野望を持っていて、 クララの父親としての自分の将来にもまた、 大いに期待していた」ということですね。 本当にありがとうございました!!!