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シューマンについて

シューマンは好き嫌いがかなり分かれる作曲家ですが、シューマンの一般的な評価はどうなのでしょう。年代によって評価が変わったり、以前は評価されなかった曲が見直されるようになった、というようなことはあるのでしょうか。 シューマンの音楽についてどのようにお考えかも教えていただければ幸いです。 よろしくお願いします。

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回答No.5

#1の回答者です。 最初の回答、簡単に書いてしましましたが、流石にシ ューマンを見つめ直しました。彼はピアニストになり たかった。ひとつのことに集中する性格のため、天井 から糸を吊るし、薬指を上げる練習をして指を壊して しまったと聞いています。ですから必然的にピアノに 名曲を残しています。又文才があり、「音楽時報」を 出版して、多くの天才を紹介したことも有名です。 又、クララとの結婚で素晴らしい歌曲も作りました。 しかし1840年の有名な結婚がやってきて、以後 スランプになってしまったのです。 交響曲1番は作品38。41年です。ということは 交響曲はスランプに突入後に書き上げているので、 あくまでシューマンはピアノと歌曲と筆が彼の真骨 頂ということでしょう。 ピアノに関しては作品の若いのが彼の傑作です。 いちいち全部は書きれませんが、代表作は、謝肉祭 作品9、交響的練習曲作品13、幻想小曲集作品1 2、幻想曲作品17、子供の情景作品15、クライス レリアーナ作品16、まだまだ沢山ありますが、すべ て作品20台が傑作なのです。 その作品をいちいち説明は出来ませんが、シューマン の独特の書き方はアウフタクトから強迫部から入って ただそれを聞く人にはそれがわからないような書き方 をするのです。 例えば、有名なシューマンのコンチェルトの終楽章 もそういうところがあり、オーケストラと合わせる には神経使います。お互いがそうなのでやたら複雑 に絡むのです。 それは別として、こういう曲を弾いていると、他の 作曲者より起伏が激しいところがあります。 どうしようもない高揚感の後、スッと夢の世界に入っ ていくような。 最もどの勝れた作曲家のもそうですが、言葉では言え ない異常さを感じるのです。 大体謝肉祭終曲「フロレスティンたちを討つダヴィッ ド同盟の行進」として、行進曲が3拍子というのも 彼ならではの異常さと思いますが。 そういう例はいくつもありますが、もうここまでにしておきます。

prusaku3
質問者

お礼

お礼が遅くなりまして申し訳ありません。ちょっとテクニカルな用語などが難しかったので考えていました。 音楽の素人(私)には分からない音楽構造の分析で、とてもうれしいです。 「アウフタクトから強迫部から入って ただそれを聞く人にはそれがわからないような書き方」 アウフタクトは本来弱伯なのを強伯にするということでしょうか、アウフタクトと強伯部が一体になって聞こえるということでしょうか。あるい私は全く見当はずれなことを言っているのでしょうか・・・。 「高揚感の後、スッと夢の世界に入っ ていく」 トランスのようですね。Kreislerianaにもそういうところがありますか。 作曲家によっては楽譜を見ると誰のものかわかることがあるそうですが、シューマンもそうなのでしょうか。疑問が尽きません。 大変、勉強になりました。どうもありがとうございました。

その他の回答 (7)

回答No.8

クライスレリアーナの回答もう一度します。 大体の人はヘンレ版、クララシューマン版、ちょっと 忘れたけれど、あったらコルトー版を比較しながら弾 きます。ヘンレ版が一番原点版に近いので大多数はそ れをメーンにします。又2曲目は初版と改訂版に違い があり改訂版は短くなっています。同じメロディーなので今はほとんど改訂版で弾いていると思います。 初版は小さな音符になっていると思います。 それぞれ微妙に違います。 それは、クララのが結構独特だったり、コルトーも 独自に解釈します。 そういうことで、私はネットの楽譜は知らないけれど 市販の楽譜でもかなり違うので、より原点版に近いの を選ぶ訳です。

prusaku3
質問者

お礼

今日、クララシューマン版を手に入れてきました。 以前の2つの楽譜とまたかなり異なっていてびっくりです。今度はヘンレ版を見つけてみようと思います。細かく教えていただいて、とても勉強になりました。本当にありがとうございました。

回答No.7

#5の回答者です。 クライスレイアーナについての質問ですが、アウフタ クトの使い方、2番、又3番の最後の部分、5番もそ うです。一般の方は全く気が付かれないと思います が、CDで拍子をとってみると多分拍子が分からなく なってしまうと思います。この書き方こそシューマン 独特の高揚感を感じさせるのですよね。 弾くほうは、譜読みのときにしっかり読まなくては なりません。 仰るとおり作曲家にはそれぞれ独特の書き方がありま す。 ピアニストも世界多しと言えども、全部の作曲家と相性が合うことはないでしょう。 もっと面白いのは、作曲者自身の自筆譜を見ることで す。 これぞそれぞれの性格が出ていて面白いです。 パソコンで書けるようになるとそういうところつまら なくなるでしょうね。

prusaku3
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございます。なんとなくイメージがつかめてきました。 Kreislerianaの楽譜をなんとかネットで見つけてみたのですが、手元にあるものと微妙に違うんです。音符と音符を連ねる箇所とか、片方の楽譜にはある音符がもう一つのほうにはなかったり、表現記号も片方はドイツ語の後に括弧つきでイタリア語、もう一つのほうはイタリア語のみ、など。どちらも出展が分からないのが残念です。 これが、編曲とまでは行かなくても、個々人の解釈と言うものなのか、と思っています。 自筆譜はそうすると、かなり一見の価値がありそうです。シューマンの場合、本来ありえないところにクレッシェンドやデクレッシェンドが付けられていることもあるそうです。 どうもありがとうございました。

  • Ta595
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回答No.6

たびたび失礼いたします。 秋刀魚の例え話,タイムリーかつとてもよく分かります。無性に食べたくなりました。 でも,今海外暮らしなんで,新鮮なピカピカの秋刀魚は食べられないんです・・・(泣) ・・・ええと,私の気の毒な?身の上ではなく,シューマンの話ですね。 「交響曲とは」「シューマンの作風とは」「シューマンの交響曲第2番はこんな曲」というような整理をすることは非常に有用な事だと思いますし,作品を聴いた上で,印象がベートーヴェンやブラームスと違うのはごく自然な事だと思います。 ただ,ここに挙げたような事は,数学でいう公理とはまったく違う質のものですから,シューマンはこう聴くべき,という所から出発して演繹的に考えようとすると,いろいろと違和感を感じることもあると思います。 (シューマンの交響曲に限らず,誰の,どんな曲でも同じだと思いますが) また,これは少し別の見方ですが,例えば私がシューマンの交響曲に触れるには,「シューマンの音楽」以外にも,「指揮者○○の音楽」「☆☆管弦楽団(の各奏者)の音楽」「ホールの特性や録音・再生環境」「自分の気分・体調」といったたくさんのフィルタが間に介在します。 例えば,クライバー指揮ウィーンフィルのシューマンの交響曲の演奏は(存在するかどうか分かりませんが),私が先日聴いたドレスデン国立歌劇場の演奏とは違った音楽になる事でしょう。極端な話,家にあるCDでも,日によって違った音楽に感じられる事もあります。 作品の感じ方というのは極めて一回性の強いものだと思うので,実際に触れる時には,あらゆる要素が総合された「今鳴っている音楽」を素直に感じ取ればよいのではないのかな,と思っています。 これは,一期一会の精神,おや,シューマンの話だったのに(笑)

prusaku3
質問者

お礼

音楽は確かに他の芸術に比べて特殊ですね。さまざまな偶然的ともいえる要素が介入せずにはなりたたない。音楽自体が一回性の芸術にも思えます。(CDは別にして。 そういえば私には変な癖があって、ラジオやテレビで聴いた音楽を好きになって、CDを買ったりしますが、CDで聴くと、今まであんなにいいと思っていたものが味気なく感じられるんです。一回性の魔法が解けたからでしょうかね。一方、実際には聴いたことがなく、CDから発見したものだと大丈夫みたいなんです。) 何かを期待して聴く、ということは「偏見を持って聴く」ということにもなる。 「如実」の心ですね。 どうもありがとうございました。

  • Ta595
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回答No.4

こんにちは。#2で回答したものです。 >演奏者によって印象がずいぶん変わる、というのはすべての音楽についていえることかと思いますが、シューマンにおいてはより顕著、ということはあるのでしょうか。 以下,交響曲に限っての話ですが。 アマチュアオーケストラでは,あまりシューマンの交響曲は好まれません。 先の回答でも申し上げたとおり,シューマンはたくさんの楽器を同時に鳴らす事が多いので,あまり技術の高くない人たちが演奏すると,響きが濁ったり,楽器の移り変わりによる音色変化に乏しい平板な演奏になりがちだからです。ブラームスなら大歓迎という木管の人から,「シューマンは埋もれてしまうからイヤ」という意見もよく聞きます。確かにその通りと思います(笑) 経験的には,シューマンの交響曲の場合,楽譜通りに演奏しているだけではうまくいかず,局面によって奏者が自分なりの解釈を加える必要がある場合が多いように思います。 そういった点で,奏者により印象の違う演奏になりやすい(悪く言えば,無為無策や身勝手な解釈による,できの悪い演奏が生まれやすい),という事はあるかもしれませんね。 (余談:マーラーによる交響曲の編曲は,こういった演奏解釈を極端に推し進めて楽譜にしてしまった,と考えてよいのかもしれません。マーラー自身,指揮者でもありましたし) 確かに,これは作曲技法としては欠点ですので,ベートーヴェンやブラームスの交響曲のように,音楽史上に輝く傑作とは認められないかもしれませんが,「音楽」として魅力がないのか,といわれると,それはまたちょっと別の問題のような気もします。 Wikipediaに似た記述がありますが,シューマンの基本的な作風は「劇的」ではなく「詩的」だと思うので,シューマンが本領を発揮するのは,交響曲のような大規模な形態の曲ではないのかもしれません。シューマンの交響曲をベートーヴェンやブラームスのように響かせようとしても失敗する事が多いでしょう。 しかし,シューマンの交響曲にしかない魅力,というのも間違いなくあると思います。 私は大好きですよ(笑) --- 以上,主観100%である上に脱線しまくってるような気もしますが,どうかお許しください。

prusaku3
質問者

お礼

>主観100%である上に脱線しまくってるような気もしますが,どうかお許しください。 いえいえ、ちっともそんなことないです。とても興味深く読ませていただきました。 >シューマンの交響曲をベートーヴェンやブラームスのように響かせようとしても失敗する事が多いでしょう。 >しかし,シューマンの交響曲にしかない魅力,というのも間違いなくあると思います。 このことでちらりと思ったのですが、現代音楽と古典音楽では聴き方が違うように、実は、シューマンの交響曲はベートーヴェンやブラームスとは違った聴き方をしなければいけないのかもしれません。 うまい言い方が思い浮かばないんですが、焼き秋刀魚は日本の秋を満喫しつつ、ご飯や酢の物やお味噌汁とともにいただくのが美味しいのであって、ステーキを食べるようにパンや味のきついワイン、チーズなどと食べたのでは秋刀魚のよさが分からない、そんな感じかな、とちらりと勝手なことを思いました。 大変参考になるご意見、ありがとうございました。

  • ADEMU
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回答No.3

ピアノの作曲家としてのシューマンの評価は高いと思いますが、ことオーケストラ作品となるとショパン同様それほど高いものではないと思います。まあ、それがシューマンらしさなのかもしれませんが、ブラームスなどに比べると音の厚みなど貧弱に感じます。 交響曲も番号つきが4曲(その他にもありますが)ありますが、第1番や第3番は比較的よく演奏されますが、第2番はいい曲なんですが、あまり演奏されません。同じく4曲書いているブラームスなんかの比ではありません。 確かに地味なのと時間的にも30分と短く、盛り上がりもいまいちということで演奏するほうもあまり取り上げないし、また、聴衆も聴きにいこうという気にいまいちなれないという悪循環でだんだん評価もされなくなってきていますが、有名な指揮者が取り上げればまた復活すると思います。 もし、先日亡くなったクライバーがこの曲を取り上げていたら、今後ゲルギエフがこの曲をとりあげたなら、もっと評価があがるでしょう。 要は演奏する人がすべてなんですよ。世の中金がすべてですから。 いい演奏家が演奏すればCDも売れるのでメーカーも広告する。それで曲も広まるという循環です。

prusaku3
質問者

お礼

>要は演奏する人がすべてなんですよ。 なるほど、そういうことはあるでしょうね。 やはりシューマンは「小品の作曲家」ということに落ち着いてしまうのでしょうか。 もちろん、小品が悪い、というわけではないです。ピアノ曲の魅力とオーケストラのそれとはまた違いますし。 どうもありがとうございました。

  • Ta595
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回答No.2

こんにちは。アマチュアのオーケストラ経験者です。 学術的な話,一般的な話ではなく,また,主にオーケストラ曲しか知らない中での私の個人的な見方ですが。 まず,たまに外れもあるWikipediaですが,シューマンの項目はかなりうまくまとまっているようですので,まずそちらを参照されてはいかがでしょうか。参考URLとして添付します。 あくまでも私にとっては,ですが,シューマンといえばロマン派,いや,ロマン派といえばシューマン,です。#1さんもおっしゃっているような表現の起伏の大きさや,熱気と詩情を合わせ持った雰囲気は,とても好きです。 オーケストラでの楽器の使い方については非難も多く(やたらと楽器を重ねるので音がくすむ,と言われています),マーラーが交響曲を編曲したりしています。 作曲技法云々については私はよく分かりませんが,個人的には原曲の響きも曲想にはとても合っていると思います。分厚い内声部が内面の昂揚に通じているようにも感じます(この辺り,感じ方は人それぞれと思いますが)。 雰囲気としては,ほぼ同時期に活躍したメンデルスゾーンの爽やかさと好対照ですね。もちろん,こっちも好きです。 以下,余談(というか自慢)ですが,先日,ドレスデン国立歌劇場管弦楽団の交響曲2番を聴きました。確かに輝かしさはないですが(オケが原因かも^^;),素晴らしい曲,響き,そして素晴らしい音楽でしたよ。

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3
prusaku3
質問者

お礼

なるほど、「原曲」が評価されていない、ということですね。Ta595さんのように原曲の響きが曲想にあっていると思う人が増えたら原曲再評価、という日も来るのでしょうね。 私は音楽は全くできませんが、シューマンはかなり演奏が難しいようですね。演奏者によって印象がずいぶん変わる、というのはすべての音楽についていえることかと思いますが、シューマンにおいてはより顕著、ということはあるのでしょうか。 「分厚い内声部が内面の昂揚に通じている」 なるほど、深いですね。 どうもありがとうございました。

回答No.1

シューマンは若いときの作曲が圧倒的に名作多いですよね。 私はピアニストですが、シューマンは好きですね。 でもどれを弾いても、分裂症的なところありますね。 だいたい自分を思索的な「オイセビウスと一方ふでそう」でない「フロレスタン」に分けるのですから、 それからして分裂気味ですよね。どれを弾いても又 そこが魅力です。 ダビッド同盟軍とか兎も角奇想天外という感じがしま す。 しかし弾いてて引き込まれますね。

prusaku3
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございます。 弾いてて引き込まれる、と言うのは興味深いですね。シューマンの曲は聴くのと演奏するのとでは曲の感じ方が変わる、ということでしょうか。それは実際にはどんな感じなのでしょうか。気になります。 ちょっとどの曲だったか思い出せないのですが、一度シューマンの曲を聴いたとき、メロディーがへんてこ(語彙が豊かでないのをお許しください)で、気が狂ってるぞ、と思うものは一つありました。でもどれを弾いても、分裂症的なところがある、ということですが、今、ダビッド同盟を聞きながらお礼を書いていますが、「分裂症的」という感覚が今ひとつ分かりません。起伏が激しい、ということでしょうか。分裂症の人が書いた文章に残される分裂症の痕跡というものはある程度わかると思うのですが、音楽作品に関してはちょっとイメージが掴みかねます。噛み砕いて言うと、あるいは具体的に言うと「分裂症的」とはどういったものになるのでしょうか。 お忙しいところすみませんが、よろしくお願いします。