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生物の種類によって、命の重みに違いはありますか?
生物の種類によって、命の重みに違いはありますか? 例えば、ちょっと極端ですが次のような例を考えてみてください。 1, 宮崎で口蹄疫に感染した複数の家畜が見つかったので、蔓延防止のため周辺の20万頭の家畜を殺処分にする。 http://bit.ly/b3fH0H 2, 国外から日本へのフライトの搭乗者に、非常に強い感染力を持ち、空気感染もする、かつ現段階では治療法の確立されていない感染症を患っている者がいたので、日本国内での感染を防ぐために成田(関空、セントレア or wherever)に着陸する前に航空自衛隊がスクランブル発進をして公海上でそのジャンボ旅客機を撃墜する。 ( http://blog.livedoor.jp/wildeagle/archives/51786179.html ) これって、どちらも本質的に同じことですよね?
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- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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人間の社会やそこの考え方、或いは法律や国家という観点からは、例に出されていることは違うものだと存じます。 宗教や思想ではいろいろに考えるでしょう。同じ性格だとか。牛もどんな生物も生命としては人間の生命と異ならないとか。 本来は、例に出されていることを統一的に考えるべきだと存じますが、人間というものの存続と歴史から現実派第一の例は認められ、次の例は認められない、という現実主義が決定しているだけだと存じます。
- parts
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命を絶つだけなら同じ意味ですね。1つであろうが多数であろうが、ただしそこに経済政治、倫理、人の価値観が入ると大きさが変わります。ある意味ではそれだけの話ですし、ある意味ではそれが大きな問題となります。 これは、どんなに人に尋ねても答えは自分で見つけるしかないことです。 一つの正しい答えは残念ながらないのですよ。まあ、人間の考えた法ではある程度の基準がありますけどね。それは、あくまで人間社会の秩序を守るものであり、倫理観を強制するものではありませんからね。 命の重みというのは、人によってその価値観が変化するものです。 そのため、一概に同じとも違うともいえません。即ち、人それぞれが持つ倫理や宗教心といったもので決まるのですよ。例えば、日本の捕鯨問題が海外で出るのはそういう命に対する価値観の差といえます。日本で平和の象徴の鳩は食べませんが、アジアのある地域では当たり前です。 もしも、天地創造の神が我々の目の見える場所にいた場合、その存在(神)は我々と他の生き物を同じものだと言うでしょうか?命という一つの個を考えると確かに同じです。しかし、それがその生き物にとって害虫や害獣であり危険な存在であれば、敵となります。 これは、人類に限らず全ての生き物が持つ遺伝子の競争原理に基づくためであり、自分が生き残るための手段です。天地創造の神は、即ち生き残る様と死に絶える様を見ているのです。もしかすると、それを楽しんでいるのかもしれません。 命の連鎖、死や生というのは、悲しみも生みますが、何かを生かす力になることもあります。本質が同じかどうかは、その人や生き物がどう思いどう考えるかです。同じだと思えば同じですし、信仰心などから敵と思えば、それは永久に交わらない違う価値観にもなり得ます。 即ち、質問は本質的に同じと考えることもできますし、そうではないと否定することもできるでしょう。個人的には、命は命、ただそれをどのように咀嚼するかは、例えば自分が当事者かどうかなどで変わるもの、即ちなってみないと分からないという答えになる。それでも、同じか違うと断言できる人は、きっと既に自分の中でそういった局面を体験したことがあるか、または既に価値観(重みの考え方)が確定している人となります。
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