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宗教(生殖と性欲について)
宗教(生殖と性欲について) こんにちは。 宗教では性欲や物欲を押さえ、執着をなくして解脱したり聖人になったりを推奨していますよね。とくに修道、宗教の道に入った人には。でも、それだと、生殖ができないのではないでしょうか?性欲がなければ、男性器は欲情せず射精に至らないと思います。 生殖がないと、子孫ができず、畢竟、神への供物や祭祀がとだえ、神自体も存在意義がなくなってしまうのではないでしょうか。 これについて、説明お願いします。
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こんにちは。人間は欲望に捕らわれることが多々あり、自分を見失うことがあるので、 その欲望に対して捕らわれないようにしなければなりません。 それをあなたは「執着」という言葉で表していますよね。 少し性欲からは離れますが、 「食欲」についてはどうでしょう。 「食べたい」と思うのは人間が生態を維持するために必要なことであって、 もし食欲からの執着から解脱したから「食べなくてもよい」 ということにはならないですよね。 食欲という欲に執着しなくなったとしても、「食べる」という行為は必要です。 それは食欲の第一義は「体の滋養」だからです。 生殖についてもそうですよね。 第一義は「子孫を残す」ということであって、 やたらめったらセックスジャンキーのようにやりまくる行為ではありません。 だから「生殖」ができないということにはならないのです。 あなたが言いたい部分は「聖職者」についてだと思います。 確かに一部の「宗教」では生殖行為ができませんよね。 それはよく神に仕えるためとか、穢れないためとか言うけど、私はこう考えています。 「世の中にはしたくてもできない人がいる。食べたくても食べられない人がいる。 その不安を持った人の心を神は共有し一緒に不安を分かち合ってくれるため、 その不安を軽減させることができる。そして神に仕える人々は神がやったことを真似ている。」 人々はセックスをして子孫を繁栄させたいという欲を持っています。 しかし、それができない人だっています。それらの人々の不安や悲しみは私には分からないほどの 大きなものだと思います。それらの不安を軽くするには、同じ共有の悩みを持った人が 一番理解してくれるものだと思います。そういう意味で厳粛に生きている聖職者が頼りになるのでは ないでしょうか。 もし子宮を摘出した人が子供を埋めないという悲しみを、 セックスを毎日やって子供がたくさんいる聖職者に「大丈夫」と 言われても説得力がないですよね。 厳粛に生きている聖職者はそういう不安や悲しみを持った方のために 神のように「犠牲」になろうとしているのです。
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- wild_kit
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信者に関して言えば、「やたらあちこちに性欲を向けてはならない。」ということでしょう。 配偶者にそうした思いを向けるのは問題ありません。
お礼
どうもです。
- juyjuy
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性欲を制御するのはいわゆる「聖職者」(神父、僧侶など)の義務であって信者の義務ではありません。信者の子孫が絶えて御供えがなくなったら、質問者様のおっしゃる通り宗教の永続性はなくなります。 神道などでは「聖職者」もある時期は「性欲」を抑えて清浄な境地にいなければなりませんが、そう言った「ものいみ」の時期以外は特にそのような義務はありません。そのような一定時期だけ清浄性を護るという宗教は世界中に沢山あります。 神道でいえば本来巫女は処女でなければならないと言う事は比較的最近まで護られてきましたが、戦後はそのような事もなくなりました。(ミス・ユニバースも最近あやしくなっていますが・・。) カトリックや仏教の一部の宗派では今でも聖職者は童貞・処女を護る事が神への忠誠のあかしだと言うことになっていますが信者に性欲を持つなという事は言っていません。 物欲の方は信者が神(仏)の思し召しで裕福になったら神(仏)にお供えをすべきだという考え方は、ほぼすべての宗教で確立された概念です。 その理由はもちろんお分かりのことと思います。
お礼
どうもです。
- sumer45
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創価学会の池田大作は変態エロじじいだという事は 皆知っている有名な事実だけど・・ 性欲のカタマリだ!
補足
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お礼
解説、ありがとうございます。 なるほど、そういう考えもあるのかとおもいました。 他の方の回答もよかったのですが、これをベストアンサーにします。