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「桃いわざれどもおのずから道をなす」 この内容の意味は、どのようなこと
「桃いわざれどもおのずから道をなす」 この内容の意味は、どのようなことでしょうか?
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「書き下ろし」の意味を取り違えている方。 言葉はルールです。 「書き下ろし」を辞書で引いてください。 この程度の優しい言葉を知らない人が国語カテの回答をする?。 漢文はキチンと読んでこそ漢文です。 ヘンな読み方をすると笑われるだけです。 東大出の先生といえば恐れ入ると思っている?。 ヘンな読み方をすると笑われるだけです。御忠告申し上げます。 ◎とうりものいわざれどもおのずからけいをなす 文の格調の高さが分らない人には説明しても無駄かもしれません。
- Ishiwara
- ベストアンサー率24% (462/1914)
ANo.10です。 ANo.11さんから「タイプミス」についてのご指摘ありがとうございました。 私が言いたいのは、もともと「書き下し」とは所詮「翻訳」ではないかと思うのです。翻訳はできる限り原文のニュアンスを正確に伝えるのを良しとしますが、「蹊(こみち)を成す」よりも「蹊(けい)を成す」のほうが、意味・状況が正確に伝わるとは思いません。日本には、漢詩にフシをつけて吟詠する、という文化もあります。書き下し文は発音して文を味わい伝達する、という役もしています。 もし辞書にないのは絶対ダメ、というのであれば「不」を「ざれども」と読ませる辞書や、「言」を「ものいう」と読ませる辞書はなく、「桃李は言わずして」でも意味は十分に通じるので、書き下し者の「余計なお節介」ということにもなります。
かなり2ch的雰囲気になってしまいましたね。 昔、東大出の漢文の先生に、試験で授業と違った読み方をしたので点を引いて下さいと言ったら、書き下し文は日本人が勝手に作ったものだから、その読み方にこだわるのは愚の骨頂だ、といわれました。
「書き下ろし」、これは小説を新聞や雑誌に出すことなしに、最初から単行本で出すことをいいます。 この言葉は本質問とは無関係のように思います。 「したおのずらから」、こんなことを誰か回答しましたでしょうか。これは日本語ではありません。 「したおのずから」、これなら辞書に載っております。 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/26495/m0u/%E3%81%8A%E3%81%AE%E3%81%9A/ 漢文の時間に「ケイ」と読まずに「こみち」と読んだら、先生に直されますでしょう。
- Ishiwara
- ベストアンサー率24% (462/1914)
「蹊」の読み方についていろいろご意見があるようですが、書き下ろしは何のためにするのか、を考えてみれば、自然と答えが出ます。 辞書というものは、編纂の当時みんなが使っていた用法を「帰納的に」まとめたものであって、決して数学の定理のように「演繹的に」積み上げたものではありません。 「こみち」が辞書に載っていないからダメ、というのであれば「自ずから」を「したおのずらから」なんて読むのも辞書に載っていませんよね。
「桃李不言下自成蹊」 この文は「とうりもの言わざれどもしたおのずからけいをなす」と読みます。 「蹊」は「ケイ」です。 漢文の訓読といっても、すべてを和語読みするわけではありません。 「蹊」を「みち」と読むと、文のシマリが悪く、意味も若干変わってきます。
「蹊」は音読みで「ケイ」または訓読みで「みち」と読む、・・・こんなことは誰でも知っていることです。そういうことを知らなかった人が大真面目に字引を引いて教えてくれたようですが、かえって漢文の読み方の解説がややこしくなりましたねWWW。
- E-DC2
- ベストアンサー率22% (131/595)
因みに、 桃李不言下自成蹊 ↑ これを読み下す場合、「蹊」は「ケイ」と読みます。 漢字の「蹊」は音読みで「ケイ」と読みます。訓読みだと「こみち」です。 いずれも日本語においてです。
念のために 桃李不言下自成蹊 ↑ これを読み下す場合、「蹊」は「ケイ」と読みます。「コミチ」とか「ミチ」とは読みません。 そう読んだら笑われます。 「桃李」は「トウリ」と読みます。「モモスモモ」とは読みませんWWW。
- E-DC2
- ベストアンサー率22% (131/595)
蛇足ですが、 「蹊」は音読みで「ケイ」または訓読みで「みち」と読むようです。 「こみち」という意味です。
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