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「桃いわざれどもおのずから道をなす」 この内容の意味は、どのようなこと

「桃いわざれどもおのずから道をなす」 この内容の意味は、どのようなことでしょうか?

みんなの回答

noname#113694
noname#113694
回答No.4

桃李不言下自成蹊 ↑ これを読み下す場合、「蹊」は「ケイ」と読みます。「コミチ」とは読みません。 「桃李」は「トウリ」と読みます。「モモスモモ」とは読みませんWWW。

  • Ishiwara
  • ベストアンサー率24% (462/1914)
回答No.3

「蹊」は一般に「こみち」と読まれるようです。 藤村の「りんご畑の樹の下に自から成る細道は‥」は、この詩を踏まえたものでしょうね。

noname#113694
noname#113694
回答No.2

原文:桃李不言下自成蹊 読み下し文:桃李(とうり)もの言わざれども、下(した)自(おの)ずから蹊(けい)を成(な)す 直訳:桃や李(すもも)は、ものを言わなくても、その下には自然と小道ができる。 意訳:桃や李は何も言わないが、花の美しさにひかれた人が大勢来るので、自然に道ができる。すなわち徳のある人のもとには、自然に人が慕い集まってくるものである。 質問文は、史記の原文の読み下し文とチョッとちがうな。

  • E-DC2
  • ベストアンサー率22% (131/595)
回答No.1

こんばんは。 「桃李言わざれども下自ずから蹊を成す」 のことならば、 李 広(? - 紀元前119年)は、中国前漢時代の将軍。文帝・景帝・武帝に仕えた。武勇に優れていたが戦功を認められることなく憤死した。 李広は清廉な人物であり、泉を発見すれば部下を先に飲ませ、食事も下士官と共にし、全員が食事を始めるまで自分の分には手をつけなかったという。後に司馬遷はこの人柄について触れ、「桃李言わざれども下自ずから蹊を成す」(桃や李(スモモ)の木は何も言わないが、その下には自然と人が集まって道ができる)と評した。 なお、日本の大学である成蹊大学や大阪成蹊大学などの名はこれを出典とする。 と、ウェキペディアにありました。

burid2
質問者

お礼

ありがとうございました。 非常に分かりやすく、役にたちました。

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