私は神ですか?しかし、人間は神ではない。
馬鹿で、非常識で、アホで、間抜けで、有り得ない・・・そんな質問ですよね?これって。
常識的に言って、1人1人は、生きては死ぬだけの、ただの生物であり、
ただの人間ですよね。
だから、ぶっちゃけ、1人が例え、死のうが、地球上には60億人、日本には1億人もの大勢の人がいるのですから、1人が死んでも、別にどってことないわけです。そりゃ、悲しむ人もいたりしますが。
だから、1人がどんなに頑張ろうとも、政治家になって、総理大臣にでもならない限り、どこぞの社長にでもならない限り、日本や世界へ多大なる影響を与えることは無理なわけです。
その上で、とあるブログをまた発見しました。
また、というのは、一度検索して発見していたブログだからです。
そこには、創造主が貴方、とあります。
つまり、創造主=神は貴方、という意味だと思います。
しかし、常識的に言って、私だって、他人だって、ただの人間であり、神ではありません。
神とは?そりゃ、すごい人で、なんだってできる存在ですよね?
つまり、私は神ではないということです。
また、他人だって、神ではないということです。
これらは、常識であり、ほぼ100%合っていると断言できます。
この意見に反対する人達は、ただの馬鹿な、非常識な人々でしょう。
キリスト教など、宗教知りませんが、彼らだって、神=偉大な存在だと捉えていて、人間は神ではないとしています。
以下、引用します。
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http://www.vcafe.jp/harukanaima/blog/entry-16343
神はサイコロで遊びたかった
2013年02月20日 23:35
カテゴリ : 基本的な理解の整理
「神は創造主なので、当然、「確率」というサイコロを創造できました。
そしてサイコロで遊べる世界、「確率の世界」も創造できました。
さらに神の壮大なところは、確率の世界をもっと楽しめるように、
神であることを忘れた自分までをも創ったことです。
「地球次元」、あるいは「人間」という体験は、こうして創造されました。
『創造主であることを忘れた創造主』、それがあなたです。
あなたは神、創造主の一つの視点を担っている存在です。
あなたは本来、無限に広大な存在です。
ですが、いまそれを忘れているのは「神の計画」によるものなのです。
「自分をもっと体験したい」という神の衝動によって、
自分が神であることを忘れたあなたが創られたのです。
すべてを忘れれば、すべてのものが初めて触れるものになります。
すべての体験が新鮮なまま、深く、詳細に味わえます。
神であることを、創造を、深く体験するためには、
神を、創造を、新鮮な驚きをもって深くつぶさに味わうためには、
神である自分を忘れる=「神ではない自分」、
創造を忘れる=「創造できない」
という体験が必要になります。
その体験をより強烈なものにしてくれるツールが、
「確率」という機能だったのです。
確率に翻弄されれば、
自らが創造主であることなど想像すらできなくなります。
確率に翻弄されるなど、
もっとも創造主らしからぬ振る舞いです。
どんなものでも思いのままに創造できる創造主にとって、
これほど楽しめる体験は他にありません。
神の計画ですから、当然、完璧に成功しました。
あなたは自らの無限の広大さを完全に忘れ、
「確率」というシステムは完璧に作動し、
確率に振り回される世界とあなたが完璧に創造されました。
あなたは神の計画に見事に協力してきたのです。
神は『「確率」という体験』を創造しましたが、
神自身は確率に振り回されることはありません。
なぜなら、
創造主は自分の創造したものに支配されることはできないからです。
「確率」は、創造主である神の計画によって、
その計画の通りに寸分違わず創造されたものです。
『神はサイコロを振らない(アインシュタインの言葉)』のです。
しかしながら、この地球次元の体験から確率性が排除できないのは、
単にそのようにデザインされているからです。
そもそも「位置(”ここ”、”そこ”)」や
「運動(”ここ”から”そこ”への移行)」
「時間("このとき”、”そのとき”)」という、
二元性の世界に特有の相対的な現象自体が、創造された幻想なのです。
(さらに言えば、
「現象」という概念も、また「概念」も相対的な性質のものですが。)
そして、
それらの現象の現われ方にも様々なバリエーションがあるので、
地球次元的な「位置」や「運動」、「時間」の実現のために、
「確率」という機能をこの次元に組み込んでいるのです。
すべては、『自分が創造主であることを忘れる』という体験を
可能にするためのデザインなのです。
『自分が創造主であることを忘れる』という体験の次元においてのみ、
「確率」が効果を発揮する、
『量子の不確定性(「不確定性原理」:量子物理学上の理論)』
という体験が可能となります。
ですから、
『量子の不確定性』も『神はサイコロを振らない』も、矛盾し合う概念ではなく、
それぞれ
『「確率」がその効果を発揮する次元』と『「確率」を創造した次元』
を説明しているのであり、
それぞれが認識している次元、解明しようとしている次元が
異なるだけなのです。
つまり、
どちらの考え方も成立する、言わば”正しい”ということです。」