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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:日本語というのは単純に論理で割り切れないものですね。)
日本語の蛙の声と感情 | サマリー
このQ&Aのポイント
- 日本語というのは論理で割り切れないもの
- 夏に蛙の声を楽しんでいたが、春には聞こえなくなった
- 「好きだった」という過去形で呟いたのは日本語として正しいか
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質問者が選んだベストアンサー
#3です。 >あの呟きは結局のところ あの蛙の鳴き声が好きだと言っているんです。 : 『「蛙の鳴き声が【今も変わらず好きだ】」 という意図のつぶやきではなかった、ということが大事』 という箇所に関してのコメントと思います。 私の表現が誤解を与えたと思いますが、この箇所の骨子は、 「【今も】という意図ではなかった、ということが大事」ということです。 よって、(「今も好き」という事実があったとしても)現在形である必要はない、という展開ですね。 つぶやいた時点の心理は、「あの蛙の声が好きだった」よりも、むしろ「今は聞けなくて残念だ」ということに力点が置かれていたのでしょう。 「今は聞けなくて残念だ。あの時の蛙の鳴き声は好きだったのになあ」 というニュアンス。 ただ、「残念だ」というあからさまな表現を避けるために、後半の文だけをつぶやきに変えた。 「今も」という意図ではなかったことは、「【あの】蛙の鳴き声」という表現にも表れていて、 「あの蛙の鳴き声」は「あの時の蛙の鳴き声」と同義であり、結果として過去形にならざるを得なかったということでもあるでしょう。 以前ご馳走になった手料理を再びご馳走になる際、 「あのハンバーグは本当においしかったよ」と言っても、「今回のはまずそうだ」という意味にならないのと似ているかもしれません。
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- kurisogeno
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回答No.1
言語と言うのは時代によってその時代の流れや流行に左右されやすく、日本語の様な 異種独特の言い回しが存在するモノであれば、言い方や言い回しなどが 変わって行く事はしかたが無い事です。 貴方の言い方は昔の人からすれば「おかしいかもしれませんが」、 現状では、おかしくは聞こえません。
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お礼
回答ありがとうございます。