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日本人違和感のない日本語の添削のお願い
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- 芭蕉の名句と李芒の訳文の分析を行い、文化的な理解面の問題を考えます。
- 日本語の「古池や 蛙飛び込む 水の音」と中国語の訳文の意味の違いについて説明します。
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ここで、芭蕉の名句「古池や 蛙飛び込む 水の音」と李芒の訳文「古池塘,青蛙入水,发清响」を取り上げ、文化的な側面および理解するうえで問題点について分析を試みたい。まず、「古池」という語彙であるが、日本人が連想するのは古い寺院の池や、庭園などにある小さな池であると聞いているが、中国の北の方にはそのような古池がない。従って、中国人、特に中国東北地方に住んでいる人々がこの語から連想するのは、森の中などにある大きな湖水である。そのような湖水に蛙が跳び込んだというイメージでは、残念ながら俳句の詩趣を理解できない。次に、日本人にとって「蛙」という言葉から連想する動物は、俳味的詩趣を持っているし、背後に夏の自然を感じさせるのであるが、中国人には何のイメージもわかないし、ただ食用蛙を思い出させるぐらいのものである。更に、「古池や」の「や」という切字により、「古池」は、以前からそこにあったという時間的経過を表現しているし、その後の「蛙飛び込む」は、目前のその様子を具現している。ところが、李芒の訳文では、この「や」が「,」の記号に翻訳されているため、単なる文の区切りの記号との認識しかなく、それによって原詩の時間的観念や実在的観念を表示することが出来ていない。つまり、俳句の翻訳にあたっては、文化的な理解は不可欠であるという問題定義をしたい。 読みやすいように若干文章を変えました。
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- sporespore
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問題提起 の間違いです。すみません。
- 佐藤 志緒(@g4330)
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以下に芭蕉の名句「古池や 蛙飛び込む 水の音」と李芒の訳文「古池塘,青蛙入水,发清响」を取り上げ文化的な理解面の分析を行う。 まず、「古池」という言葉は日本人の連想からは古い寺院の池や庭園などにある小さな池をイメージするそうであるが、中国の北の方にはそのような古池がないため中国人、特に中国東北地方に住んでいる人々のこの言葉から連想するイメージは、森の中などにある大きな湖になる。 そのような湖へ蛙が跳び込んだことでは俳句の詩趣を理解できない。 次に、「蛙」という動物は日本人にとっては俳句的趣を持っており、背後に夏の自然を感じさせるが、中国人にとっては何の連想もなく、ただ食用蛙を思い出させるぐらいのものである。 更に、「古池や」の「や」という字によって、「古池」は以前からそこにあったという時間的経過と、以下の「蛙飛び込む」は目前の現実を表現している。 ところが、李芒の訳文では、この「や」が「,」の記号に翻訳される。 中国語の「,」は、単なる文の区切りの記号であるため、それによって原詩の時間的観念や実在的観念を表示することはできない。 そこで、俳句の翻訳にあたっての文化的な理解も問題になる。
お礼
ご添削していただき、誠にありがとうございました。本当に助かります。
お礼
ご丁寧に添削して頂き、誠にありがとうございました。勉強になりました。