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日本の官僚はいつ頃から駄目になったのでしょうか?
日本の官僚はいつ頃から駄目になったのでしょうか? 日本の官僚は昔は優秀だったと聞きます。その為に、アジアで最も豊かな国として繁栄してきたのも、民間の力だけではなかったと思います。 しかし、ここに来て、官僚の天下りや、政治化との癒着などを理由に、官僚叩きが盛んに行われていますが、いつ頃から日本の官僚は駄目になってしまったのでしょうか?
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官僚の腐敗化がはじまったのは戦後から、という見方が多いようですが、本当にそうなのでしょうか? 調べてみると、どうやら官僚の腐敗化は、戦前の明治政府が高等教育学校に科挙試験のようなペーパー試験を採用して以降ということが分かってきました。 それまで(明治維新から日露戦争まで)は藩校の教師や周囲から秀才と認められたものが推薦入学という形で高等教育機関に入学していました。 しかし、入学試験を採用して以降、教育機関は入学試験や学業成績を重視し、点数の高低により人間の頭の良し悪しの順位を決めることにしたのです。日本の知性はこの時から入学試験の点数で決定づけられるようになり、それが人物評価の絶対的尺度となっていきます。その結果、頭の良い人間が決めたことに一般の国民は文句が言えなくなりました。そしてこれらの高等教育機関とその生徒達は、国家を、そして国民を睥睨し、自らの立身出生にのみ強い関心を抱くようになったのです。 つまり、日清・日露戦争までに至る日本の近代化は、幕末から明治維新の激動期をくぐり抜けた(近代教育を受けていない)下級武士出身者によって実現されたのです。 確かに彼らは、現在でいうところの偏差値レベルは東大とはほど遠い位置にあっただろうと推測されます。しかしそれは、彼らが我利我利ではなく、この国家の近代化に興味があり、立身出世のために一日中机に向かうことなど考えられなかった人間達だったからなのです。 現実を直視し続けた幕末~明治の激動期を生き抜いた指導者群がいなくなり、試験制度のエリートたちが政治・軍事・経済を支配するようになって以降、彼らエリートたちが失策に失策を重ねてきました。その結果、日本は道を誤ってゆくことになったのです。対中21か条要求・シベリア出兵・金解禁など、その事例は枚挙の暇がないと思います。 引用元ブログ 『日本を守るのに右も左もない』 幕末の志士亡き後、戦前の試験エリートは失策に失策を重ねた http://blog.trend-review.net/blog/2010/02/001551.html
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- oshinobin
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日本国ができたときから官僚はダメでした。 薩摩閥と長州閥との縄張り争い、こんなことを100年以上前からやっていました。 腐敗した政治は、軍部の暴走に歯止めをかけれずに、日中戦争や太平洋戦争を起こしました。 戦争に突入しても腐敗した官僚は派閥争いや私腹を肥やす横流しをしていました。 腐敗官僚がいなければ、太平洋戦争でも実は日本はもっともっと戦えたのです。 日本を占領したGHQは、当初この腐敗の元たる中央集権体制を崩そうと考えました。 しかし日本を復興するだけでなく、さらに占領中に冷戦が始まったことをきっかけに、 日本を反共の防波堤として成長させるために都合のいいこの中央集権体制を温存する、 と方針を転換したのです。 日本はこの権力集中のおかげで復興し、さらに急速に発展しました。 しかし権力を集中させれば必ず腐敗するものなのです。 日本の中央集権体制も、世界の歴史の示すとおりに腐敗しました。 発展に貢献するのも、腐敗するのも、中央集権体制の持つ2つの顔なのです。
- pokoaruki
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昔から駄目です。政治家も駄目です。 民間企業も国民も駄目です。 駄目なところがたくさんあるけれど、がんばっているところもたくさんあり、 問題を抱えながらも、そこそこ社会が回っています。 がんばっているところよりも、駄目なところのほうが目に付きやすいです。 病気や怪我をしたとき、健康なときって素晴らしいことなんだなと気づきますが、 ふだんは「平凡で退屈」と文句ばかりを感じるのと同じです。 「官僚が駄目」というのは一種の幻想です。(冒頭で「昔から駄目」と書いておいてナンですが。) 人間は基本的に、他者を見下すのが大好きです。 だから、よその国の人や地域の人、性別、年齢(年寄り、若者)、職業などいろんなカテゴリに対して、 もっともらしい理屈をつけて駄目のレッテルを貼りたがります。
- myomoto
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それはもう、権力という概念の出現とともにです。官僚に絞るなら、官吏制の導入とともにです。権力あるところ、必ず腐敗が生まれます。 最近腐敗がたたかれているのは、ネットの発達などで口に戸を立てるのが困難になったからでしょう。 不祥事が増えたのではなく、明るみに出やすくなっただけのことです。
- pochi3939k
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「1985 年、国土庁は『東京のオフィス・ビル不足』の予想を発表しました。…この大はずれの予想が、土地ブームの火付け役となったのです。」 「官僚は需要の過大予測やバブルを作っただけでなく、金融緩和や公共事業でそれを増幅させました。そして地価上昇への非難が激しくなると、突如、金融引締めに転じて大不況を招きました。」 「(官僚の無能さの)まず第一は、『固定観念の罪』です。平成官僚は古い昭和の固定観念から抜け出せないのです。…すなわち、(1)人口は必ず増える。(2)土地は不足している。(3)経済は成長する。(4)物価と賃金は上昇し続ける。 そして、(5)日本は孤立した島国である。…ところが現状は、この五つの現象が五つとも変わりました。…それなのに、官僚は固定観念を変えようとしていない。」 「平成官僚が犯した(もう一つの)大罪は、秩序破壊です。この責任を問われるべきは、文部科学省、警察、厚生労働省です。…まず、円周率3 に象徴される教育の荒廃。…昨年、日本の警察の安全管理能力の低下を露呈したのは、明石で起きた陸橋での群集雪崩事故でしょう。…厚生労働省では、農林水産省と並び、狂牛病に対する対策の遅れが記憶に新しい。」 「成功体験への埋没もひどいものです。…日本の官僚には、高度成長で成功した、近代工業社会を作り上げた、という自負があります。このため、同じコンセプトに固執し、ついには、失敗を悔いる、ということがなくなってしまった。」 参考:「平成官僚は無能すぎる」堺屋太一 文芸春秋2002.3 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=225859
お礼
目標を失ったのもそうですが、目標そのものが人々が求めるものとずれている。その背景に、別に皆から選ばれた訳でない官僚が行政を牛耳っていること自体に問題がありそうな気がしますね。
- fperyot
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少なくとも戦後以降は、官僚の無能化が進行しつつあった可能性が高そうです。 戦後の日本は欧米(特にアメリカ)に「追いつけ、追い越せ」の時代。つまり、目標(答え)がはっきりしていたわけで、国家の課題も企業の課題も、普通の日本人が持っている勤勉性をもってすれば大概こなせるレベルのものであった。つまり、特に能力が高くなくても(アメリカの言いなりになれる従順さがあれば)官僚が務まったと思われます。 やがて1970年ころを境に日本が豊かになって以降は、高度成長のひずみが環境破壊・肉体破壊・精神破壊といった社会問題として一気に噴出してきた。当面はジャブジャブの国債発行によって経済成長を演出し、「日本の官僚は優秀」というデマ評価の上に胡坐をかいていたダメ官僚たちも、バブル崩壊以降は不祥事が噴出し、さすがにその無能ぶりを隠すことができなくなる。そして、諸々の社会問題は何十年たった今でも解決の糸口さえ見えていない。 参考:知性の泉「日本の官僚は優秀でなく運が良かっただけ」http://www.st.rim.or.jp/~k-kazuma/FS/FS115.html
お礼
最初から無能だったのではなく、目標を失ったから力を発揮できなくなったというのは納得です。
- horiisensei
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近年公務員の小悪事が晒されるようになったのは個人でも発信できるようになった情報化社会、妬む機会が増えた競争社会のリークから来るもので昔の公務員が清廉潔白だったわけではありません。 質問者さまの「駄目」とは小悪事のことでは無いと思いますので伝聞に基づいた仮説を記したいと思います。 高度成長の曲がり角であった中曽根長期政権時代に実質的に官僚の方向性の指導は不必要になり仕事のための仕事=規制の方向へ成熟して露出してきた問題(車社会問題が例としては顕著です)への対処が公務員の仕事となります。 その後橋本行財政改革で現在問題となっている独立法人に英国に習って人員シフトした結果、プライドの高い官僚は看板を失う代わりに高い賃金(8割の独法が本店たる公務員より高給取りとの事)と近似のステータス(23区内の高級ビルに高い賃料払って新聞読むだけで年収2000万)を仲間内でいかに回しあうかしか思考がなくなりました。 どこかで日本の公務員が人口比で少ないようなデーターが記してありましたが地方公務員を含めて全くムダであり賃金が高すぎます。 労組に依存している輩の多い民主が「公務員庁」なるムダなポストを造る計画との事。公務員が公務員を切れるのか?人件費2割カットは実現できるのか? 注視していく必要があるでしょう。
お礼
仕事をしていても、何で同じ部署の役人が何人も打ち合わせに出てきて、この人たちに給料が支払われていると思うと、無駄が多いなあと思います。 情報化がすすんで、官僚の悪い面が見えてきたというのはなるほどです。
- 織田 信長(@id_system)
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高度成長期、つまり経済が良好であると比較的物事は上手く進みます。あるいは上手く行っているように見えるものです。その為、国民の政治への無関心が進みます。 バブル崩壊により高度成長期は終わり、日本は他の先進諸国同様の経済の低成長時代に突入します。日本で起こった大きなバブルとその崩壊が何であるのかを理解する政治家、学者、マスコミ、日本国民、そして外国の知日家にも、それを理解する人は皆無でありました。 バブル崩壊後の1992年には自民党の宮沢喜一は、これまでの景気後退とは質が違うとして、金融機関への公的資金注入による早期の不良債権処理を必要性を訴えたものの、マスコミ、経済団体、官庁、金融機関自身からも、強い反対の声が起こり、この事によりその後は日本では公的資金投入による 不良債権処理はタブーでありあり得ない事となり、何年にもわたり政治、マスメディアなど表舞台でこの事が議論される事はありませんでした。 税収は大きく落ち込みを続け、景気の鈍化は続き、公共事業、減税政策などの景気対策などにより財政の悪化が進み、日増しにマスコミから国民からの非難の声は高まって行きました。そしてその声に答えるべく誕生したのが橋本政権でした。橋本政権は財政健全化を唱え財政再建に着手。この政権の掲げた財政健全化路線はマスコミ、国民、また諸外国の経済学者などから好感をもって迎えられ、政策施行へといたりました。 結果、緩やかながら回復基調にあった景気は急激に失速、税収は激減、98年には経済は危機的な状態にまで陥り、GDPはマイナス成長という事態にまで至りました。このような人災としての経済危機にたいし、急遽経済対策を積み増しをする事態ともないました。 またバブル崩壊後よくマスコミの槍玉に上がる事となった公務員の給与にもメスが入り、中央省庁の給与は改訂が進みました。しかしサービス残業を前提にしている省庁などもあり、そのような職場では時給換算で800円程度となっている事なども珍しくなく、そのような劣悪な環境が若手官僚がやめて行く原因になり問題となっている。 その一方で地方自治などにおいて、地域に即わない高報酬となっている地域も多い。その地域の公務員の平均年収が地域平均の4割増しなどというところも存在する。 また10年以上前の定説を以前として現在の定説と思い込む人が多く、依然として「官僚組織の簡素化やスリム化を」と唱え壊れたレコードのように繰り返している人もいます。 <参考> 1980年代になりその頃の日本経済は、巨額の貿易黒字が恒常化していました。その結果、米国との経済摩擦が進み日本の政治は米国の外圧を恐れるようになってゆきました。その結果、米国経済の低迷している事に配慮し、日本の利上げを行わないといった事から、80年代中期から急速に日本経済はバブル化してゆきました。この事は当時の日銀総裁などの証言からもそのような事があったと明らかになっています。 好景気であるにも関わらず低利率である事が続いたため、行き場を失った資金が土地や不動産、株取引などの資産へ向かい、経済は急速にバブル化して行きました。また貿易赤字でなやむ米国から日本の貿易黒字を問題視する声が強まり、国を上げてお金を使う政策が進められる事にもなり、官民で作り上げられた第三セクターなどがその典型でした。 バブル崩壊以後は、国民も政治家もこの不景気を一時のことと楽観視していました。メディアでバブルの象徴としてよく取り上げられるジュリアナ東京ですが、ジュリアナ東京が開店したのはバブル崩壊後の1991年の事でした。 結論:以上のことでもわかるように、低成長期に適した官僚組織への改訂は進んでいますが、経済が思うように回復しないため、その原因として槍玉に上がっているのが官僚というだけの事です。 官僚組織が「駄目なように変わった」のではなく、社会の法整備の執行機関として官僚は必ず責任の一旦を担っている事と、マスコミが犯罪でもない限り民間企業の批判は出来ないが、公機関の批判は魔城刈りの如くいくらでも行えるという状況が、官僚悪性説を広く分布させる事態となっているということです。
政治家が駄目になった頃からだと思います。 官僚は「使うもの」です。頭(使う側)が悪かったら、下はおのずと腐ってゆくものです。 そして、政治家が駄目になったのは、有権者が駄目(政治に無関心)になった為と思います。 官僚を正したいなら、使う側の政治家を正す→有権者が賢くなる必要があるのではないでしょうか。 官僚を叩くのは、叩いてさえいれば「支持率があがる」からです。叩く→支持が上がる→もっと叩く。叩いたことで選ばれた人が、官僚を使いこなせるわけがない。能のない人間を選んでおいて、駄目な責任を「官僚が悪いから」と責任を擦り付けるようでは、一歩も前には進めないと思います。(その代表例が鳩山内閣でしょう)
- sudacyu
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官僚組織の体質自体は、高度成長時代からあまり変わっていません。 変わったのは、官僚機構を取り巻く社会情勢です。 高度成長期のやり方を、低成長期にも継続しようとしたので、Noを国民から突き付けられたのです。 高度成長期には、物事が順調で、お金があるので、政治課題も概ねお金で解決できますし、将来に対する決定事項は、今まで成功しているのですから、繰り返しが多く、方針変更が少ない代わりに、いかに早く実施するかが重要になります。 ですから、日本政府の運営は、「方針変更」の意思決定をするトップ=内閣=政治家主導よりも、いかに早く実施するかという実行部隊=官僚に主体がありました。 高度成長期が終わって、日本が低成長になり、税収の伸びも止まりましたから、官僚組織はそれに合わせて、簡素化・スリム化をしなければなりませんが、官僚は組織の保持に走りました。 組織というものは、トップの指導力がなければ、肥大化するものですが、その指導力を発揮すべき政治家の大部分は、高度成長期の豊富な日本政府の財政力と官僚に支えられるのが常識となってしまって、低成長期になってもお金を使うことから、頭の切り替えができませんでした。 <参考> 時代をさかのぼると、高度成長が終わって1980年代になり、国債の累積発行高も200兆円を超えた頃、行政改革・財政再建が叫ばれ、国債を減らすべきだという世論がかなり大きくなりました。 その頃の日本経済は、ジャパン=アズ=No1というようなことも言われ、巨額の貿易黒字が恒常化し、外貨準備が急増、円高が進行しました。 この時期に、日銀は(このとき総裁は大蔵省出身)、円高に対して金利を安くして景気を刺激し続けた結果、バブル経済が始まりました。 バブルによる土地や株取引の金額が大きくなり、企業も好決算となり、税収が激増し、政府・大蔵省は、ほとんど行財政改革を行わなかったのに、政府支出と税収が釣り合ったことを理由に、『行財政改革成功』を宣言してしまい、官僚組織は高度成長期沿いのままに温存されてしまいました。 →バブル期には、国債発行残高を大幅に減らさなければならなかったのです。 バブル崩壊以後は、「行政改革は済んだ」という建前と、景気刺激として国債による建築・土木工事が高い水準で続けられた結果、官僚組織は高度成長期と同じような状態で維持され続けることとなりました。 結論:以上のことでもわかるように、低成長期に適した官僚組織に改変しなければいけないのに、それが出来ていないということです。 官僚組織が「駄目なように変わった」のではなく、社会情勢の変化にも「変わらない」ことが問題の根本にあります。
お礼
やはり、官僚の身分固定というところに問題がありそうですね。民間の現場と人材を行き来させることで、硬直化しない体制をとることが必要ですね。
- 織田 信長(@id_system)
- ベストアンサー率17% (55/306)
官僚の天下りはずっと昔から慣習として行われていますし、政治との癒着などもずっと昔からです。 テレビのコメンテーター、評論家などの話を聞いていると、よく「官僚の抵抗」と いう話が聞こえてくる。そして意図を持って官僚たちが政治政策の潰しを行っているような口ぶりです。しかし。おかしな事に、どこにもそれを主導する組織も リーダーも立案者もいないのです。そんな意志決定ができない、意志決定機関すら存在しない人々が何かに一貫して抵抗したり意図的な悪事を働くなどといった 事が可能でしょうか?不可能です。 要するにメディアなどの媒体では、政治家も評論家も財界人も都合の悪い事があると、官僚の原因としてしまえば、それですんでしまうのです。自身の責任のがれ、誰かのせいにしたいという無意識の行動で、官僚という下僕は魔女に仕立てられやすく、そうすると官僚以外の多数の人に都合がいいという事が多々あるという事です。あるいは公益とされている事業を民営化や規制撤廃をして一稼ぎしたい人などによる官僚叩き、民営化万能論の吹聴に利用される事などもありますね。 つまり虚構の存在が官僚の抵抗という事であり、実際に起こっている大多数は通常 の企業同様のもので、組織としての意思疎通不足による誤解であったり、人手不足から来る能率低下であったり、せいぜい局所的な対立からくる小競り合い程度 であったり、政治家が官僚のせいにしているだけの事であったりと、官僚の抵抗という幻想がマスコミを中心に吹聴されているような状況という事ですね。 また自民党時代の話となりますが、大臣や与党の意見、政治がコロコロ変わる為、官僚は言われた通りの 仕事をしているつもりでも指導側の人や話がコロコロ変わるので、官僚は毎度政治家に怒鳴られ、メディアではけなされ続ける事にもなります。 すべて政治の問題であり、官僚は官僚でしかないという話です。
お礼
なるほど、そうすると司法、立法、行政という三権分立とは名ばかりだったということでしょうか?
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お礼
kapiro999さん、回答ありがとうございました。 官僚の腐敗は、既に明治から始まっていたのですね。ブログの記事、大変参考になりました。 東大などのエリート校出身者が、民間の会社ではパッとしないのは、この明治時代のエリート官僚と同じですね。