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苦しいときの神頼みとよく聞きます。

苦しいときの神頼みとよく聞きます。 今本当苦しくて神社へお参りに行こうかと思ってます。 もちろんそんな都合よく願いが簡単に叶うとも思いませんが、少しでも今の苦しい状態から抜けたいなと言う気持ちです。 神社へお参りに行き、いい方向へ向かったって経験ある方いましたらお話聞かせてほしいです。

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  • michael-m
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回答No.6

苦しい時の神頼みとは、苦しい時に頼んでも利かないよという意味です。決して苦しいから神に縋るという意味ではありません。 誰だって、日頃出会っても挨拶すらしない人が苦しいからって来ても願いなど叶えないでしょ。神は仏と違って厳しいのです。慈悲という語句は仏教のもので神道ではありません。 大切なのは信仰心、感謝する気持ちです。苦しい時こそ今の無事を感謝できる気持ちに神が応えるのです。そして事が済んで疎遠になるかどうかまで見通していますから、最期の時まで信じなければなりません。 私は今夜が峠という子供の命を助けて頂き、医者が重湯からというのも翌日から粥が食べられるようになりました。もう四半世紀前、子供が一切の時の事です。一年間、お礼に日参して、今でも年に数回は必ず、それ以外でも鳥居が見えると一礼していますし。日に数回は思い出して感謝を述べています。

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  • hyuuma8579
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回答No.5

神仏にすがろうとしてまで、願いを叶えようとするその「思い」や「一念」が重要です。 人とは、そういうものです。 無理だと諦めたりする人より、好感度抜群ですね!! 最後に奇跡が起きるとしたら、あなたの一心一念の力以外の何ものでもありません。 話は変わり、拝まれる側、私が仮に神側や仏側の立場に立ってみましょう。 困難にあって、物事をすぐ諦めたりする人間よりは、藁にもすがる思いで仏や神やお地蔵などを拝む人がいたなら、かえって、なんとかして「こいつの願いを叶えてやりたいものだわい」と神仏の心が動かされもすることでしょう。 どちらにしても、岩をも通す一念が成せる業でありましょう。

回答No.4

私ではないのですが、前に石田純一さんが今の奥さんと結婚できたのは 縁結びの神社にお参りにいったお陰だ、とラジオで話していました。 石田さん曰く、ただお願いするのではなく、 「こうするからお願いします」とお願いするのが良いそうです。 その時は、「毎朝10KM走るから結婚させてください」とお願いしたとか。 うまくいったそうですよ。

  • blazin
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回答No.3

最後の最後で背中を優しく押して欲しい。見守って欲しい。 そういう気持ちでお参りに行くなら。 それは貴方の気持ちの整理整頓に繋がるんだと思う。 そのまま現状の混乱や混沌を持ち込んで。 ただ解決お願いしますと頼んでも。それはますます自分から離れた場所に自分の課題を置きに行く行為になってしまうよね? 貴方なりに今こういう風に頑張ろうと思っていますと。 そして今こういう形で、これはこれ、それはそれという風に苦しい状況を受け止めて。それを前向きに解決しようとしてますと。 その貴方自身の報告と。でもそこには不安もあったり、一筋縄ではいかない課題もありますと。 どうか私自身が何とか今を乗り越えていけるように。 私を見守っていてくださいと。 そう丁寧に祈るなら。貴方の参詣は意味があるんじゃないかな? 訪れた後は。もう自分なりにやるしかない。向かい合っていくしかないという気持ちの切り替えにもなるからね☆

noname#114380
noname#114380
回答No.2

気持ちの問題です。 お参りにしてもお守りにしても、苦しい状況から一転したり良いことがあった時に『ああ、このお陰なのかもしれない』と思うもので証拠は無いのです。 なので自分がそうしたら良くなれるかもと、前向きになれるものは効果があると言えるのではないでしょうか。

  • kamikazek
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回答No.1

いやなことは「言葉」でも「書く」でも パソコンでワードで「打つ」でも、 「汗」を流したり。 「出す」ことが最良。

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