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境界性人格障害などの特徴で、「他人をコントロールしようとする」がよくわ

境界性人格障害などの特徴で、「他人をコントロールしようとする」がよくわかりません。 境界性人格障害などの特徴で、他人を操作するとか、他人をコントロールしようとする、という説明が出てきますが、いまいち、この説明が具体的にとらえられないです。 例えば、要求が高い。「~して」と命令する。「~したい」と駄々をこねる。「~した方がいいよ」と極端なおせっかい。または、しきりたがるというイメージで良いのでしょうか。 親や大人・教師は子供を教育をしますが、その特徴「他人をコントロールしようとする」とのどのような違いがあるのでしょうか。 できれば、この「他人をコントロールしようとする」の具体的な例を教えて下さい。

質問者が選んだベストアンサー

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  • Daxing
  • ベストアンサー率55% (92/167)
回答No.1

「他人を自分の支配下におこうとする」というニュアンスかと思います。 境界性人格障害の人の特徴として「見捨てられ不安」と「しがみつき依存」があげられます。 「見捨てられ不安」により、この人格障害の人は見捨てられないようにするためになりふりかまわない行動をとります。その具体的な例として自殺のそぶり、脅し、自傷行為があります(周りの注目を自分に集め、心配してもらう、見捨てられないようにしてもらうために行います)。 「しがみつき依存」とは、自分のことを愛してくれそうな人を理想化して長時間一緒にいて欲しいと要求する強い依存のことで、この依存の要求が受け入れてもらえないと、一転してその相手をひどくこき下ろします。 この2つの特徴が備わっていると、他人を自分の世界に巻き込もうとするので、結果として「他人を自分の支配下におく」=「他人をコントロールする」ことになるというイメージかと思います。 ですから「他人をコントロールしようとする」の具体的な例としては、 (1)先に挙げた自殺のそぶり(実際に死んでしまうこともあるそうです)、脅し、自傷行為 (2)しがみつき依存から生じる相手への自分本位な束縛を要求する行動 が当てはまるかと思います。 そのため、社会に適応できるための能力や行動形成、道徳を身に付けさせる目的で行われる教育行為とは根本的に異なります。 (参考文献:現代臨床精神医学 大熊輝雄 金原出版株式会社)

mc77
質問者

お礼

コントロール=周囲の人または特定の人の注目が自分に向かうよう、仕向ける、という感覚。我侭というよりも、同情してもらうことも含めとにかく自分に注意を集めたいといった行動・・・。難しいですね。 早々のご回答、ありがとうございました。

その他の回答 (2)

回答No.3

自分にとって好ましい状況は他人が作り出すものであると思っていれば 他人に何かをさせようとします。 本来なら自分が出来るようになれば誰かにやってもらわなくてもすむはず ですが、自分ができるようになることに関心がなければいつまでも便利に 使える他人が必要になります。 そのために他人を巧みに操るための言葉使いや感情を上手く使うことに 能力を発揮することでしょう。 でもそうやっている限り本人は何も出来ないままで取り残されるでしょう。 子供に教育する時には大人にとって好ましい状況を作り出そうとすれば 子供をコントロールすることに忙しくなり子供が学ぶ機会を失わせて いくことになるかも知れません。 誰かが監視をしなくても子供が自ら学べるようにする環境造りをしたい のならば大人自らが学び育てるということを理解できている必要がある と思います。

mc77
質問者

お礼

>自分にとって好ましい状況は他人が作り出すものであると思っていれば 他人に何かをさせようとします。 これが全ての発端なんでしょう。納得しました。 ご回答、ありがとうございました。

  • kigurumi
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回答No.2

アメリカではカウンセラーとか精神分析家がもっとも自殺が多いそうです。 人の心を扱うわけですが、「魔物と闘う者は、その過程で自分自身も魔物になることがないよう、気をつけねばならない。深淵を覗き込む時、その深淵もこちらを見つめているのだ。」で魔物に食われちゃうんじゃないかと。 境界性人格障害の人は、普通の人以上に理性的な発言・行動もできる。 プリズムの光が当たると色が変わるように、光の当たり具合で全く別人であるかのように見える。 例えば、カウンセラーの元を訪れ、世間とのトラブルを話したとする。 クライアントの味方であるという立場です。 それを境界性人格の人は利用して操る。 確かに行為がいきすぎなこともあり、カウンセラーはこういう行動をすると と言うと、ものすごく傷ついたと動揺をみせる。 カウンセラーは、失敗したとなり慌てふためくわけです。 癒す立場である自分が思いもよらぬことで、クライアントを傷つけてしまったと思い、クライアントをなだめ信頼を再獲得しようとする。 そうすると「よかった 自分はもう捨てられたのかと思った。あなたがいてくれたからこそ ここまで回復できたのだから。あなたがいなければ」とカウンセラーの存在価値を高く評価していると言うわけです。 カウンセラーは自分の存在意義を相手の言葉により確信し、神のような気持ちになるわけです。 そしてグサっと刺されようなひどい仕打ちをさせる。 例えば「カウンセラーが立場を利用し、自分と性交渉を持とうと誘いをかけてきた 怖い」とか他の人に言ったりする。 「何故?」とカウンセラーは思う。 誤解があったのなら誤る と賢明になる。 「だって この前こんなかことを言ったから、自分は捨てられたのかと思って」とか言うわけです。 「ごめんなさい 嘘をついてあなたを貶めるようなことをしてしまって」と言う。 カウンセラーは試されたと都合よく思い、「いいんですよ 私に対して不審したからですね。私は最後まであなたを見捨てません」となるわけです。 にやり・・・・ もう奴隷。 いろんな無理難題を言ってカウンセラーを振り回す。 カウンセラーは経験から これも一時的なものだと思い、耐えるわけです。 反撃したら信頼を失い 今までのすべてのことがパーになる。 そう思って、耐えて耐えて耐えて耐えて、クライアントの奴隷化してしまう。 そして何がなんだかわからなくなる。 第三者として一定の距離をとり接するという鉄則を破ってのめりこんで相手の闇の世界を覗いているうちに、取り込まれた。 そしてわけがわからなくなり、自殺する。 こういう状態が頻繁に起こるそうです。 ターゲットをコントロールする。 大阪の小学校の児童殺傷事件を起こして死刑になった人もそうでした。 ターゲットに取り入るために、すごく親切にして接近し、それを真の姿だと思ったターゲットは彼を信じて結婚をした。 その後、彼は結婚したターゲットをめちゃくちゃにしてどん底に突き落とした。 それを繰返していた。 自分でもどうしてそういうことをするのかわからず、自分の特徴が原因だとわからず、社会のせいにして、児童を殺したわけです。

mc77
質問者

お礼

度々のご回答、ありがとうございます。 境界例の人はいわゆる人がいい人に、取り付きそうですね。心配しない人のところに寄り付いても、自分の欲しいものは得られないのだから。 ニーチェはうまく言ったものです。関わることは、闘いですね。

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