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【発達障碍】就学後に診断を受ける意味
- 発達障碍の子供を抱える親が、就学後に診断を受ける意味を考えています。幼稚園時代は問題なく過ごせていたが、小学校入学後にパニックや学校生活への適応困難がみられるようになりました。支援センターへの相談や診断を受けるべきか迷っている状況です。
- 就学後に診断を受けることに意味があるか悩んでいます。時間的な制約や学校生活への影響を考慮し、診断が本当に必要なのか疑問に感じています。診断の結果が学校にどう反映されるのか心配です。
- 診断を受けるかどうか迷っている親の中には、地域の支援センターで定期的に相談をする方が有効ではないかと考えている人もいます。学校との連携が密であり、先生もサポートしやすい環境を提供できると思われますが、それでも診断の必要性について悩んでいます。
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発達障害の疑いのある子を育てつつ、教育現場にいる者です。ウチの子は、幼い頃から、診察もすべて本人と主治医とのやりとりを種とし、すなわち、自分の特質を理解して進めてきました。もう高校生になろうとしています。小学校は養護学級を併用し、リタリンを飲み、薬を卒業して普通高校の進学校に合格しました。 お子さんが7歳になるまでにどれだけのことを調べ尽くされたでしょうか。3学期に、また逆戻りなんて、普通ですよ。発達障害でなくても、大きな行事があるごとに「行きたくない」なんてことは良くあることです。その振れ幅が、「普通」と思われるゲージを飛び越えたら、ヒトはそれを「障害」と名づけてしまいました。 国語の先生が言われました。自閉「症」ってことは、病気でしょ?病院に行って直すのが筋じゃないですか?これをそのまま当てはめると「障害」ってことは、異常形成でしょ?施設に入って保護するのが筋ではないですか?ってことですよね。これが、発達障害を「障害」呪縛により、子供の苦しみの解放に歯止めをかけるいちばんの原因になっている気がします。彼にはのど元で止めましたが、「国語の先生は、国語に異常にこだわりを示し、知識が発達していますよね、自閉的傾向の発達障害プラス発現です」と私は言い切れます。人間、振れ幅が「得意から普通」で収まれば、発達障害と言われないだけです。 発達障害の子を育てればわかると思いますが、世の中、10人に1人くらいは、発達障害の香りがします。電車の中では1両に必ず1人はいます。クラスでは、2~3人が実質感覚です。それは国が発表している数字よりは遙かに上であり、増えてきている気がします。生徒を見て確信に近いモノがありますが、友達と常に揉める生徒や、引きこもりも、ニートも発達障害の香りプンプンです。ただし、二次障害というモノもあり、これはあなたのお子さんのように、「自分が何物であるか」わからないけど、普通じゃないよな、と感じているヒトが鬱や反社会的性質を産むのと同じように、離婚や不幸を感じているヒトも同じ発現をしますから、見極めは、育てを経験していない机上の論理のヒトにはなかなか難しいですが。 本題に入ります。障害をいちばん受け止めていないのは、あなたのような気がします。自分にどういう特質があるかをまず本人にわからせることは、すごく重要なことと思います。その上で、何度も同じ注意をし、脳に新しい回路が芽生えるまでたたき込む。これが大事と思われます。発達障害の子を持つ親は、神様から親力を試されている気がします。「この子は親を育ててくれる子ですよ」私たち夫婦は、医師にそう言われました。運動と言語を習うため、リハビリセンターに通い、大学病院の精神科に月一で通い詰め、何事もヒトより経験しないと育たないと思い、社会見学的な所に遊びに行くようにし、水泳やスキーなど、運動や自然を感じるモノを取り入れてきました。あれから15年。小学校にはいるときは、「養護学級に入ってください」と言われましたから、やはり「中学を卒業すれば、養護学校か」と私たちも「障害」の呪縛から、凹みましたが、がんばれば、脳に回路を造れば、何とかなるモノです。今では、薬も大学病院に通うこともなくなりました。高校は、子供に会う性質の所を学力よりも重視して考えました。故に、学力が足りるよう、急かしもしましたね。後は、子供に合う仕事を子供と共に考え尽くすのみと言うところです。 調べ尽くして、親が道筋をつければ、光は見えます。まずは、いろいろ調べてみて。
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まずは、支援を受ける=療育だけでなく 先生や学校に、他のこと違う対応をお願いするというのも 支援だと思います。 また、お子さんの状態から支援級なども考えた邦画良いかも知れません…。 また、不安が強い場合には投薬などが必要なこともあります。 >「この子には障碍があるので大目に見てくださいね」という 医師のお墨付きを、学校へ掲げるだけになってしまうような気がして では、あなたのお子さんは他のお子さんと全く同じ扱いで 同じような評価基準で 周囲の子供や先生を煩わせることなく一日をこなせますか? という話ではないでしょうか? ちょっと厳しい言い方をしますが、診断があるから支援を受けるのではなくて 必要だから診断を受けるのでは。 学校は集団教育の場ですから、授業や一日のプログラムが止まったり阻害されて 周りが理由もなく納得するとも思えません。 先生も「そういう子」だとは思っていても ある程度方向性がつかめる方が対応はしやすいと思います。 この先、そういった特性をもっているお子さんであれば 教科や、コミュニケーションで周囲との差が広がることも考えられます。 お子さん自身も成長していくとはいえ だんだん「自分たちと違う行動をする」「泣いたりわめいたりする」子に 子供達が違和感を感じ始めると思います。 より特性を、自他ともに理解する必要が出てくるのではないでしょうか。 医者、といってもいろいろ、病院によって違います。 診断を付けるだけの病院もあれば 定期的な診断でアドバイスをくれるところもあります。 支援センターとはまた違った解決方法を出してくれたり 親へのアドバイスや書籍の紹介などもしてくれます。 相談員や心理士は診断をする権限がないので逆に 診断がついていなければ「これを読んで」とかアドバイスにしても 診断名を促すような物は案内しにくい部分もあると思いますよ。 また、医療福祉センターなどでは就学後のお子さん向けの 親子入院やサマースクールと言った 集団訓練や作業療法の日程を設けているところもあります。 あなた自身がお子さんが苦しんでいるのに 「後ろ盾」とか「お墨付き」というのは 頑張らせるべき所を、医師の診断を振りかざして甘やかすように感じておられるのでしょうか? 重度の喘息の人に「みんな辛いけど頑張ってるんだから喘息をふりかざさずにマラソンに参加しなさい」というのと同じでは? そもそも支援の必要がなかったり、特性はあっても生活や集団生活において困難がなければ その傾向があったとしても診断はつきません。 今一番辛い思いをしているのはお子さんではないですか? このまま辛い体験を繰り返させれば二次障害が起こりかねないのでは。
お礼
お礼が遅くなって申し訳ありません。丁寧なご回答ありがとうございました。 aruruaruruさんのご回答を読んで、いろいろと考えさせられることがありました。支援が必要だから診断を受けるのですね。これから先、きちんとした診断名が必ず必要になる時が来るのだろうと、息子が折ってセロハンテープで一生懸命直した鉛筆を見て思いました。 先日、近くの小児神経科へ予約の電話をしました。案の定予約一杯でいつ診断が取れるか分からない状況ですが、頑張ってみようと思います。
お礼
丁寧なご回答、感謝いたします。同じようなお子さんを育てられている親御さんからのお話はとても胸に響くものがありました。 実は私自身も発達障碍があったようで、まさにおっしゃられている「自分が何者であるか」分からないけど、普通じゃないよな…と幼い頃から感じていた一人です。ですが、母は発達障碍であろうとは考えもしなかったようで全く理解してもらえず、出来の悪い長女だとずっと怒鳴られ罵られ続けて育ちました。その為か私は人に気を許すことが出来ず、常に死を考えているようなねじ曲がった子供に育ちました。toshipeeさんのような理解のある母であってくれたら、私ももっと早くに自分の特性に気付き、自分を理解して生きることが出来たでしょう。 幸い、ありのままを受け入れてくれる友人や主人に恵まれて今まで生きてこれましたが、息子もこんな私を選んで生まれてきました。発達障碍のことを調べ、息子のことを考えるうちに自分も発達障碍だったんだなと今更気付き、あの時母にこうして欲しかったという思いで自分にそっくりな息子を無意識に育てていて、まるで私の育て直しをしているような感覚になります。 診断を躊躇しているのは息子の診断がどうこうと言うより私自身を診断するような、過去をほじくり返す不安があるのです。toshipeeさんのお話を聞いて、息子よりも何よりも自分自身の障碍を受け入れられていないのだと感じました。 ですが診断をためらっていたら、息子も私と同じように自分が何者なのか分からないが周りとは違うと、一人孤独感を感じて生きていくのだと思ったらそれは私の二の舞を踏ませることになるだけです。息子自身に障碍特性を理解させて、うまく障碍と付き合っていく為にもやはり医師の診察やアドバイスは大きな意味のあるものなのだと考えを変えることが出来ました。 私を選んでやってきてくれた息子の為に、精一杯出来る限りのことをしてみようと思います。