- ベストアンサー
最近、創価学会の人と話す機会があったのですが、私の先祖が浄土真宗ってこ
最近、創価学会の人と話す機会があったのですが、私の先祖が浄土真宗ってことを話たところ、 念仏は、縁を切るって言ってました。 どういう意味で言ってるのか教えて貰えないでしょうか? あと、なんで、何妙法蓮華経と南無阿弥陀仏とはでは、信仰していて、大きな違いがあるのでしょうか?? ちょっと心配で知りたくなったので質問してみました。 宜しくお願いします。
- みんなの回答 (11)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
「何妙法蓮華経」は「南無妙法蓮華経」のことで、よろしいでしょうか? 浅識な回答者の意見に耳をかす必要はないです。 念仏は「爾前教」なので、現代(末法)では「邪宗」となります。 創価は80年前「創価教育学会」という名で牧口が立ち上げた正しい会でしたが 次第に「I.D先生崇拝教」になってしまいました。本当に残念なことです。 しかし、信仰(題目)と、創価は、全く別問題なので そこだけは絶対に、お間違えのないようにお願いします。 私の勉強した範囲内で恐縮ですが、ご参考になれば幸いです。 (私事で恐縮ですが・・・) 私は、「法華経文底独一本門(無神論)」を信仰をしています。 これは、10年間かけて勉強と経験を、積み重ねて出した結論です。 全ては自身の生命の内に備わっていて、「どこかに、神様や仏様がいる」という考えを否定している、無神論の教えです。(自身の中の仏界を引出すことが重要で、外にではなく、生命に内在しています) 前半は、外道(キリスト教や神道などの有神論)と、仏教「爾前教」(日本人が仏教だと思っている教え)を学び、後半で法華経を学び、最終的に文底独一本門(無神論)にたどりつきました。そして、邪宗や占い師など、(もちろんカルトも)信じたり、それらにお金を出すのも誤りだと気づきました。 10年かけて、しっかり宗教比較学を勉強してきたので、他の人より少しは詳しいです(まだまだ勉強不足ですが)少しでもお役に立てれば嬉しいです。 詳しく説明したいのですが、理解するのに早い人でも2~3年かかるので、簡単に説明させていただきます。一度でいいので、最後まで読んでみてください。 仏教の始まり(約3千年前)、釈迦が仮導の教えで「地獄」や「閻魔」などを説きましたが、それは実在する場所や人物ではなく、「方便(比喩)」です。 釈迦は説法50年間のうち、まず42年間かけて「爾前教(現在の真言・浄土宗など法華経以外の仏教)」を説き、後の8年間で、爾前教を仮の教えとして、釈迦自身が否定し、「法華経28品(後半14品が重要で、「法華経本門」といいます)」を説きます。 しかし、その「法華経本門」も、釈迦の死後2000年(正法・像法)で効力を失い、現在の「末法」という時代では、釈迦仏法を信仰しても効力はないと、釈迦自身が仏典の最後に記しています。 そして、釈迦が「文底秘沈」した(明らかにしなかった)「法華経文底独一本門」(無神論)が末法で信仰すべき仏法だと教えています。 仏法では、魂(命)は「有る」わけでもなく、「無い」わけでもない、「空(くう)」と表現されます。死後、命は、「霊魂」として、ふわふわ存在するのではなく、死時は「冥伏」といい、生時は「顕現」といいます。肉体と魂は別々ではないのですが、「肉体」イコール「魂」でもないです。 簡単に言うと「起きている状態が生」、「寝ている状態が死」です。つまり「無始無終」といい「生命は永遠」ということです。 過去世の生命境涯や行いにより、現世の生命境涯(十界論をご参考になってください)がありますが、「定業」と「不定業」があり、自身の内の境涯変換(仏界涌現により)、定業(決定している宿業)でも「宿業(宿命)転換」が可能です。 また「成仏(仏)」とは「仏界をひらく」ということで、死んだ人のことではありません。 (もし、死んで仏になれるのなら、早く死んだ方がいいということになってしまいます) また、「地獄」という場所は、どこにも存在しませんが、例えば、戦地に生まれるなどの境涯を「地獄」に例えているのです。それと同様、「閻魔」という人物は存在しませんが、自分自身の中の悪い生命境涯や、自分の境涯を狂わす働きのことを「閻魔」に例えているのです。
その他の回答 (10)
- 178-tall
- ベストアンサー率43% (762/1732)
>念仏は、縁を切るって言ってました。 >どういう意味で言ってるのか教えて貰えないでしょうか? ネタは、親鸞が実子の善鸞を義絶・破門した事件だと思います。 「専修念仏」が浄土真宗の教えなので、念仏=浄土真宗、義絶=縁切り、いう固定観念と組み合わせた悪口にすぎません。 ブッダの本来の教えは、そんな「執着を捨てよ」でしょう。 南無阿弥陀佛。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
宗教という者は一般的な(本質的ではないが)現われとしては不許容です。 剃刀の刃の上を行くようにして、精進します。特に開祖というお方の伝道はそうせざるを得ない。 開祖の一言半句は大事でありますが、過度に捉われ固執することも戒めなければならない。 宗教は正に団体的であると同時に、非常に個人その人の問題です。 ですから団体ができ、在ると同時に分派と異端はやむをえない仕儀です。 ここでその解釈や教義の解説をしていけば、いつまでも取り留めなくなるでしょう。 わたしも多くの方が信仰される一宗一派の教えを外部から批判したり解説する事は妥当ではない事をよくしっております。 ○○学会も将来はそういう信仰の上での熱心とともに寛容性をきたいしております。
- nontro_08
- ベストアンサー率19% (33/173)
すみません、誤字の訂正です。 天地雲泥の力→天地雲泥の差
- nontro_08
- ベストアンサー率19% (33/173)
皆から非難されている、その創価学会の者です(笑)。 さて、日蓮大聖人は、いわゆる「四箇の格言」のなかで、「念仏は無間(地獄)の業」ということを仰せになりました。阿弥陀仏の名号を唱えて念ずることは無間地獄の原因になるということです。それはなぜか。 釈尊はその生涯に「一代聖教」といって、あらゆる教えを説きましたが、法華経以外の教えは、すべて法華経を説くまでの準備であり、衆生の機根(仏法実践の能力)を整えるための方便の教えなのです。阿弥陀仏が説かれる浄土三部経(無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経)もまた、この方便の教えにすぎないのです。釈尊の真意は、すべての衆生が差別なく平等に成仏できるという、法華経にあります。それゆえ法華経方便品第二に「正直に方便を捨て、但無上道を説く」とあるように、法華経以外の教えは方便として捨てねばならないのです。 にもかかわらず、日本浄土宗の開祖・法然は「法華経は念仏に比べたら難しい教えだから成仏の法ではない。法華経などは、捨てよ、閉じよ、閣(さしお)け、抛(なげう)て」と言って、法華経を誹謗しました。これは釈尊の真意に違背する、我見です。法華経比喩品第三では、法華経を毀謗する者は無間地獄に堕ちる(「若人信ぜずして此の経を毀謗せば、即ち一切世間の仏種を断ぜん、其の人命終して阿鼻獄に入らん」)と説かれています。それゆえ、大聖人は「念仏無間」と仰ったのです。 真の仏は釈尊です。それなのに浄土宗では、方便として仮に説かれた仏(権仏)にすぎない阿弥陀如来こそが、衆生が帰依すべき仏としている。ゆえに、「浄土宗には現在の父たる教主釈尊を捨て他人たる阿弥陀仏を信ずる故に」(念仏無間地獄抄)、真の仏と縁を切っている、ということになるのです。 >何(南無の間違いでは?)妙法蓮華経と南無阿弥陀仏とはでは、信仰していて、大きな違いがあるのでしょうか?? 以上述べたように、真の釈尊の真意である法華経(妙法蓮華経)と、衆生を導くために、機根に応じて仮に説かれた仏である阿弥陀仏とでは、衆生を救う能力に天地雲泥の力があります。「南無」とは「帰命、信従する」という意味です。その、力の劣るものに「帰命、信従」すればどういう結果になるか、結果は自明といえます。 ましてや、「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし」(上野殿御返事)なのですから。ここで言う法華経とは、文字通り法華経二十八品のことです(文上の法華経)。その如来寿量品第十六の「文の底にしづめたり」(開目抄)である、「南無妙法蓮華経」(文底の法華経)でなければ、末法の衆生を利益することはできないのです。 以上、難しい点もあると思いますが、率直に述べさせていただきました。
- kimari14
- ベストアンサー率17% (50/288)
NO、4です。親鸞さんと書きました。日蓮さんの間違いです。失礼
- isa-98
- ベストアンサー率23% (205/859)
>念仏は、縁を切るって言ってました。 人、斬りまくり。つ^_^)つ
- kimari14
- ベストアンサー率17% (50/288)
経典というのは、今、生きている人がどう生きていけばよいのかということを、説いているもので、(回向)といいます。 死んだ方のものではありません。バイブルです。釈迦さんが、説いたものとして、後世の方がまとめたもので、釈迦さんが説いた時期の早い遅いの順位が念仏より法華経があとだということで、こちらのほうが、 ベストだと、ゆう宗教団体もいるわけです。日本では親鸞さんがはじめたといわれています。 それらの方が禅宗は天魔、念仏地獄と いったか、いわなかったか 昨日のことも100%記録できませんから、なおさら遠い遠い昔の話ですので、わかりませけどね。確かに、葬式仏教と罵られて、いいかえせない部分もありますが、この2つのお経の中身自体はいいものだとおもいますよ。宮沢賢治は法華経の信者です。法華経といっても、その団体さんは、昭和の設立。 << 念仏は、縁を切るって言ってました。>> 一度、ほんとうにそうなのか、わたしが死んであの世にいった時、釈迦さんに お伺いしますが、下界との連絡の方法が見当たらない。つまり、だれもわからない、知らないことだということです。
- kishn_an
- ベストアンサー率44% (597/1336)
日蓮宗の教義は『法華経』というお経のみです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E8%8F%AF%E7%B5%8C 『法華経』は日蓮宗だけではなく、天台宗や禅宗でも信仰されている権威ある仏典です。このお経には浄土真宗のご本尊であるところの阿弥陀仏のことはまったく書かれていません。唯一権威ある『法華経』に書かれていないので、阿弥陀仏は仏とは認めないということだと思います。 歴史ですが、鎌倉時代には庶民を布教対象とするというマーケティング戦略が浄土宗や浄土真宗とかぶったため、念仏を唱えると地獄に堕ちるぞ的なネガティブキャンペーンを張ったこともありました。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
本当の南(何?)妙法蓮華経ならいいでしょうが、正直○○学会はいわくがありすぎますね。 構成員たちが熱心駆り立てられているのは同情しますが。 あまり真剣すぎないで、ある程度距離を置いて静に自分になってお考え下さればいいことですよ。 南無阿弥陀佛も結構と存じます。どういう意味かをしっかり、本当のご住職か僧侶の方に教えてもらってください。 これは決して縁切りのものではないですよ。無論、○○学会のような変なしがらみなどもないですよ。 ○○学会も懇切でいい人がたくさんおられますが、日本の文化と心性の中ではやはりあだ花ですね。 ○田○作とかいう人は在日朝鮮人のお子さんでずいぶん苦労して、日本にはいやな思いがたくさんあるのではないかと拝察し、申し訳なく存じております。 私自身は、禅宗を少し本で読んだきりで、45年間はヒンドゥの哲学の精進と行で心の生活をしております。
- chupaku
- ベストアンサー率25% (460/1781)
根拠もない事を吹き込まれるのが〇〇学会だから、気にしないといいですよ。 拝んだら、切断された指が生えて来たってまじめに言っている人達ですから。(ハ虫類か!)