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零戦について
零戦はすばらしい戦闘機ですが、 防御力が無いに等しいのでは? 戦争後半になると ヘルキャットに歯が立ちませんでしたよね 海軍上層部はパイロットの命を使い捨てだとおもっていたのですか?
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零戦のみならず、当時の日本軍の兵器全てにまつわることだったのですが、当時の日本の技術力では他国に比べて開発できるエンジンの性能と信頼性が極めて低かったのです。 ゼロ戦の栄エンジンは1000馬力に満たない性能でした。ドイツのメッサーシュミットBf109が1100馬力、アメリカのP40とF4Fが1200馬力、スピットファイアに使われたロールスロイス・マーリンエンジンは初期型こそ栄エンジンとほとんど変わりませんが最終型では1800馬力になるほど余裕のある設計でした。 また当時の日本製品のネックで、性能の個体差がとてつもなく激しかったんです。こっちのエンジンは調子がいいけど、こっちはダメ。平均して高い性能を持つものを生産できなかったんです。だから、三八式歩兵銃から栄エンジンに至るまで、工場出しの状態ではほとんど使えないので熟練した整備工や職人がひとつひとつ調整して使えるものにしていたのです。 出力の小さいエンジンで最高の性能を発揮するには軽量化しかありません。つまり零戦というのは現代でいうところの軽自動車と同じなんです。現代の軽自動車が1Lカー(フィット、ヴィッツ、マーチ)クラスに比べても安全性が低いことは知られていますが、しかしだからといって軽自動車の安全性を向上させると坂道が登れなかったり高速道路が走れなくなったりするわけです。 零戦は馬力の弱さを克服するために、徹底的に軽量化して格闘性能を向上させることによって「そもそも撃たれる状態にならなければやられない」ということを防御力と考えて作った戦闘機なのです。 また、陸軍機は防御力を持っていたと指摘する声もあり、それは事実です。しかし、零戦は艦上戦闘機です。あの短い甲板の距離で離陸と着陸ができなければなりません。海軍が雷電だの紫電(紫電改)だのと作りましたが、これらの戦闘機は艦載機ではありません。雷電なんて、あんなの空母にゃとても乗っけられるものじゃあないですよ。そもそも離陸ができない。 F6Fヘルキャットは、2000馬力級のエンジンを持っています。これは破格の大馬力で、この馬力からくる余裕にモノをいわせて頑丈に作り、大武装を施しました。だから戦術もヒットエンドラン戦法にしたのです。零戦ではとても追いかけられない。 実際問題、F6Fの頑丈さはちょっと規格外のところがありまして、よくF6Fが着艦に失敗して艦橋に激突するような映像が残っているのですが、あれだけの大事故でもパイロットは自力で脱出してほとんど無傷だったりします。あれが零戦なら機体もパイロットもバラバラになるのは逃れられません。零戦とF6Fを比べるのは同じ四駆だからとジムニーとランドクルーザーを比較するようなものですよ。 零戦の後継機が作れなかったのも、全てはエンジン開発の失敗があったからに他なりません。大馬力のエンジンを作ろうと思ったら、爆撃機に搭載するんじゃないんだからというバカみたいにデカくて重いエンジンになってしまいました。 しかもそれだけの馬力のエンジンとなると空冷じゃ間に合わない。液冷エンジンじゃないとエンジンの冷却ができないのですが、当時の日本は液冷エンジンが作れなかったんです。陸軍の液冷エンジン戦闘機飛燕はエンジントラブル頻発で性能を発揮できず、とうとう液冷エンジンを諦めて空冷エンジンを載せたらその五号戦が陸軍最高の性能を発揮したという皮肉があります。 そんな単純な話じゃないんですよ。
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- oo14
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- 風車の 弥七(@t87300)
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そのとおりです。海軍では搭乗員(パイロット)は消耗品という考えでした。 そのため空母の搭乗員は昭和18年10月の南太平洋海戦で消耗しつくしました。 海軍は新人搭乗員の訓練も真面目にやらなかったので、以降ぼろ負けに負け続けました。 反対に陸軍はしっかり搭乗員の育成をして、飛行機にも防弾を施し海軍のようなぼろ負けはしていません。
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