• 締切済み

部落、同和について教えて下さい。

宜しくお願いします。 よく掲示板等で「部落」や「同和」という言葉を見るのですが、これらは一体どういう意味なのでしょうか? googleで調べてみたのですが、説明文がとても難しく私には今一理解が出来ません。 こんな私にも分るように分りやすく教えて頂ける方いませんでしょうか? 宜しくお願いします。

みんなの回答

回答No.8

私には歴史的な背景は良く分かりませんが、奈良以前の時代より、私達の生活は助け合いの生活でした。今もそうです。生活には殺生が伴います。私達は母親の胎内から生まれてくる時も、大層、母親を苦しめて生まれて来るのですよ。それを日常、罪悪感として感じろ、とは言いませんが、こと女性に関しては、《血》を流す生活とは切っても切れない、そんな生活をしているのです。それを即座に、殺生とは言いませんが、私たちの生活に《光》があるなら、必ず《闇》もまた存在するのです。<部落><同和>と言われる人達は、最初の昔からそういった私達の生活の《闇》の部分を。あえて請け負ってくれていた人達なのです。私達家族は昔から、祖父母や、曾祖父母に「彼らがいたからこそ、私達の生活が潤っている。彼らの感謝しよう」と教えられて来ました。正直、私の先祖は彼らの部落解放運動に協力してきた、と聞きます。では、なぜ彼らへの差別や、また彼らの名を騙った詐欺行為が横行しているのか。そういった事が、無くならないのか。良く、[ナンチャッテ同和]という人達がいますが、彼らはまたその名を利用し、実態のない自分達の権威を示して来ながらも、また<部落><同和>の人達を差別してきた人達なのです。一体、どういう事か。昔からの社会生活の成り立ちを、つぶさに見て取り、感じる事が出来るならば、まかり間違っても、<部落><同和>を差別する事は出来ないはずです。彼らを差別する事は、即ち自らを差別している事に他ならない、と気づかなくてはいけない、と思います。

  • yot15
  • ベストアンサー率24% (55/226)
回答No.7

 部落民とは、明治初頭の身分制度から発生しました。即ち明治の身分制度は皇族、華族、士族、平民と分かれたのです。それで平民の中の入った、士農工商や、皇族、公家に属さない人々の一部を「部落民」と呼ぶようになりました。勿論差別用語でもあり、差別も存在しました。  他の回答者様の答えのように、その発生母体は、推測出来ます。しかしその区別がどうして発生したのか、はっきりしません。各地域で差があるようで、確たる線引きは無いようです。勿論人別帳しかなかった江戸時代から、役場で戸籍を作る際、色々な手違い勘違い、意識的な作為が存在したとは推測できますが、調べようがありません。  従って私は、村八分のような感覚から「部落民」が出来てしまったのではないかと考えています。勿論戸籍に平民である彼らが「部落民」と記入されている筈も無く、風評で差別を受けていたのです。だから差別の中で互いを庇いあう風習から、文字通り「部落」を形成して行ったようです。  同和とは敗戦後、身分制度が、皇族と国民の二つのみになった際、差別を無くし、国民の一員として「部落民」の差別を無くそうとした政策から来た言葉です。つまり「同和政策」です。同和とは差別を無くすので、今までの差別を水に流して、国民として同化して欲しいといった願いが込められています。一世紀にも亘ろうとした差別の壁を崩すのに、税金の投入は止むを得ません。しかし同和を種に利権を獲得したり、逆平等であったりする事は、もそろそろ中止にしたほうが良いのではないかとも思います。

  • oska
  • ベストアンサー率48% (4105/8467)
回答No.6

>こんな私にも分るように分りやすく教えて頂ける方いませんでしょうか? 江戸時代まで、日本全国には色々な職業の方が居ました。 山を自由に移動し木製食器など作っていた集団・狩猟を行なっていた集団。市中を自由に移動していた芸人集団。 彼らは、決まった住所を持たずに暮らしていましたが、彼らの技術は公家・武家・社寺(以下実力者)に取っては必要なものでした。 そこで、実力者は彼等特殊な技術を持つ集団を囲い、隔離します。 八坂神社(当時はお寺ですが)にも、専属の集団(寺奴)を囲い込み祭りの準備などで行動します。 境内の清掃・山車の整備・山車を出すときの警備は、寺奴専属の仕事でした。 これらは「穢れた者しか出来ない」仕事ですから、坊主・神主・町人は一切関与しません。 当時から。革製品が重要です。 が、獣と言えども生き物。宗教思想から動物を殺す事には抵抗がある訳です。が、狩猟・革製品を生業とする彼らにとっては普通の事。 特殊技術を持つ彼らを、武家・公家は囲い込み(技術が漏れない様に)隔離します。 江戸時代になると、人間は「士農工商」という身分制度が誕生します。 が、囲い込まれた方々は、どれにも属していません。 士農工商(人)とは別の、人別帳(戸籍)に載らない身分(非人)扱いとなったのです。 戸籍が無いので、次第に一般社会から隔離され独特な集団になりますよね。 彼らは、私たちとは違う! 囲い込み・隔離されていますから、住む所も固定してしまいます。 非人のなかでも、毛皮職人・処刑場担当者は「穢多」として非人の又下の身分扱いです。 (下手人・斬首・貼り付け・獄門・鋸引きの時に、罪人を処刑場まで連れて行ったり、死体を片付けたりします。市中引き回しの時、罪人が乗った馬の前で看板を持つ事もあります) 江戸時代の刑法では、身分を剥奪し非人・穢多扱いとする!という判決もあります。 明治になって、皆平等だ!として部落解放令が出ました。 が、数百年に渡っての制度は変化が無く今に至っています。 今でも、大阪府では年間40億円程度の税金を、部落対策費として計上しています。 ○川県では、部落解放運動団体の命令で「部落問題を教育」しています。 幼稚園・小学校まで一緒に遊んでいた子供が、教育を受けた途端に遊ばなくなり、部落のある県内地域(町名・番地)まで知っています。 「部落教育をしないと、部落差別はなくならない!」と部落解放運動団体は主張していますが、教育をすればする程部落問題は無くなりません。 俗に言う特権・利権化しているのでしようか? 確かに、無職でベンツに乗っている方々が居ますよね。 某市・県・府では、公務員採用の特別枠まで存在し、中学卒業でも高校卒業程度の公務員として採用している事実もあります。

回答No.5

穢多(えた)  というのは動物を殺して皮を剥いだり死体を 片付けたりして生活していた人々で殺生は人の道にそむく悪い事と した人々から避けられていた人達ですね 非人(ひにん)  というのは非人別帳、つまり人別帳に無いか はずされた人達です。人別帳というのは現代で言う戸籍です。 戸籍の無い人なので社会的付き合いが出来ないのです。 江戸時代は付けで年2回決済ですみましたがこの商取引が出来ません。 現代で戸籍の無い人と商取引や近所付き合いを想像してみてください。 非人に現代で近いのは違法滞在者とその子供です。 合法的滞在から違法になる事も多いのです。 声高に差別と言いますがこれは区別と呼ぶべきでしょうね 同和のゴロツキとまじめな同和人を判別する事が必要ですね。 先祖が苦しみの中で望んだのはゴロツキになる事では無い。 同和ゴロツキにきびしい処罰を支持します

回答No.4

部落=部落差別の意味で使っているのだと思います。 中学校の社会で習ったと思いますが、江戸時代の士農工商の身分制度は覚えていますか? あの身分制度には、士農工商の下に穢多(えた)非人(ひにん)という階級が置かれていたようです。 えたとひにんは古くからあり、病死した牛馬の処理や刑の執行役など平民が嫌がる仕事をやらされていた一種の奴隷に近いものだったようです。 かなり乱暴ですが、現代に直してみると… 武士:官僚や政治家などを含む公務員 農民:農家・サラリーマンなどの一般人 工:職人・エンジニア・工場労働者などの専門職や一般市民 商人:実業家・店舗経営者などのブルジョワ *ただし、現代と同じく農工商に明確な区別は無く、あいまいだったようです。 えた:ホームレス・フリーター・派遣など。医師・弁護士・芸能人などもここに含まれます。 ひにん:不倫をして会社を首になった無職・ニート・前科者。病気や障害で働けない人など。 ・・・というようにその範囲はそれぞれ広く、複雑でさまざまな人が混ざっています。 そういった身分制度が明治時代に入ると、四民平等として廃止の方向へ行くのですが、結婚や就職の際に差別が残り、その差別撤廃の為に「同和行政」が行われました。 その行政政策の段階で多くの予算が使われるのですが、そのお金を食い物にする人たちが「部落差別撤廃運動」を行う人たちの中から出てきたのです。例えば、数年前に問題になった奈良県の職員が年間数日しか出勤しないのに公務員としての給料を何年にもわたって受け取っていた問題などです。 そのような問題に対し、ネット上では「部落」「同和」と表現して非難する向きもあるようです。 しかし、単に相手を罵倒したり差別表現として使っている人は、実は現代のニートやフリーターの一部の人たちだったりもしますので、結果的には知らずに自分の事を言っている事に気づいていないようです。 また、「えたひにん」などの言葉も漢字変換されませんよね。このように現代では一部で言葉狩りが過剰に行われており、「差別撤廃運動」を行う側もその過激な対応が嫌悪の対象になっていき、結果として差別撤廃の障害になっている事に気づいていないようです。 「バカが増えて、住みにくい世の中になったわね」と言うと、賢い人や普通のまともな人は「そうだよね~」と心の中で同意しますが、バカと自覚のある人の一部は、自分の事を言われたと激高し、騒ぎます。 この問題もそれに近い部分があり、私の回答も非難や削除の対象になりうると予想します。そのくらいデリケートで難しい問題だとご理解いただければ幸いです。 わかりやすく詳しいのは… http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%A8%E8%90%BD%E5%B7%AE%E5%88%A5%E5%95%8F%E9%A1%8C

  • tadagenji
  • ベストアンサー率23% (508/2193)
回答No.3

島崎藤村の「破戒」 白土三平の「カムイ伝」 を一度お読みください。

  • harisu2
  • ベストアンサー率31% (103/331)
回答No.2

広い意味で 「部落」は共同体を表し 同和は「人々が和合すること」 ですが 掲示板等では 意味が違いますね 「部落」は差別地域の共同体で 「同和」は その解消のための運動の事である「同胞融和」の略語です 「士農工商穢多非人」と 身分制度がありました 「士農工商」に入らない方々 賎民・穢多・非人 などが暮らしていた集落で その末裔の方々に対しても 現代でも 差別があり そういう方々を 「部落出身者」 と 表現したり 「同和地区出身者」と 表現します   

  • kusirosi
  • ベストアンサー率32% (2838/8859)
回答No.1

ぶ‐らく【部落】 ・ 比較的少数の民家が集まっている地区。共同体としてまとまりをもった地縁団体で、村の単位となる。 [ 大辞泉 提供:JapanKnowledge ] 街・村落ですね(^-^)/ http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E9%83%A8%E8%90%BD&dtype=0&dname=0na&stype=0&pagenum=1&index=18948216296600 ・どう‐わ【同和】 人々が和合すること 業界用語では 下記を指す ↓ http://www.nissaydowa.co.jp/

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