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トラウマと自分の癒やし方
数年前、服飾系の学校を出ました。 それから一度もミシンを触らなくなり、嫌悪感を感じています。 ハードルが高い学校だったとは思います。 ただ、自分自身にそんなに未だに嫌悪感を感じなくても・・と突っ込みたくなるほど、ミシンに、一切触れなくなりました。 卒業しないで途中で辞めればよかったのかなと思うほど未だに、その頃の鬱屈した感情がたまに襲ってきます。 神経が弱りきっていたときにレイプされるという、情けないありえない経験もしてしまい、悲しむのでこのことはおばあちゃんや母親には未だに喋っていません。その時の男性から触れられた気持ち悪い感触とバックの背景を未だに昨日のことのようにはっきりと覚えています。 レイプされた時は卒業コレクション真っ只中でしたので平気なふりで作品を作り続けました。 卒業してからも数年働き続けていましたが、内面は整理できず、ぐちゃぐちゃで元気をくれた大人や環境に迷惑をかけることもあって未だに口から(ごめんなさい。)と一人事で言っている時があります。 今は都会の一人暮らしを辞めて、一からやり直そうと実家に戻りフリーターをしながら、飄々と日々をおくっていますが、過去を思い出すのは簡単だけど未来を描く、難しさを感じています。 私を想ってくれたり、相談にのってくれる男性は現れていたのですが、強がっていたもので自分から離れることばかりでもったいなかったかなとも思います。 都合よく出会いはあるわけじゃないので、少しでも自分を癒やして励まして過去を振り切ってたくましく生きたいのです。 自分で自分を癒やす、励ます、鍛える方法やしている何かあったら参考までに教えて頂けないでしょうか。 もっと素直に明るく考え過ぎないで生きていれば楽しい青春がおくれたのにとつい過去を恨んでしまいます。
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- kazuyamag
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お返事ありがとうございました。 チェックしていなかったので、お返事が遅れました。 > 自分が負けたわけじゃないぞというのは次元が違う、という部分だけよく意味が掴めなかったので、もう少し教えて頂けないでしょうか? 補足します。 次元が違うの意味 一般論として判っている、と 当事者からのメッセージがある、とは 次元が違う。 メッセージの内容 実は自分も困っている訳なのだが、困っていることに対する抵抗力はまだあるはず と言って、自分とatuyakiさんを励ましている。 私自身、昨年から社会生活に支障を来たしており、なんらかの訓練または治療をした方がよいかなと思い始めています。 吾妻ひでおの失踪日記でアルコホーリクス・アノニマスという自助団体が紹介されていました。 これと同じことをする必要はないのですが、苦しんでいる内容を言い合うというのは、たぶん効果があると思っています。 趣旨に賛同いただける場合は、メールを下さい。 私のメールアドレスは、ハンドル名@mail.goo.ne.jpです。
- kazuyamag
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はじめまして。 どなたも回答がないようですね。 たぶんそれは、非常に回答しにくい質問だからだと思います。 私も今、困っていることがあるので、あまり役には立たないかも知れませんが、考えて書いてみます。 フツーならこう言う場合は、先ず同意を示した上で、励ますのがセオリーなんですが、・・・。 そういったセオリーを無視して、自分が今までこう考えていたと言うのを示します。 まず、引っ掛ったと言うか、はっとさせられた部分が次です。 > 過去を思い出すのは簡単だけど未来を描く、難しさを感じています。 うーん。 その通りですね。 ただ、無理に未来を描かないとダメだと思ってらっしゃいませんか? 過去の辛い記憶があって、何度もよみがえる。 だから、 自分で自分を癒やす、励ます、鍛える方法を教えてください。 と、なる。 さて、ここからが自分が今までこう考えていたと言うことなんですが、 うまく説明できますことやら。 えーと。 世間では、前向きが良い事だと一般にされていますよね。 辛かった過去はなかったことにして、楽しく生きればいいじゃあないか、と。 私としては、それではダメなんじゃないか、と。 理由は必要ないかもしれないけれど、あえて理由を挙げれば、 不自然すぎるから。 「辛かった過去はなかったことにして」? いや、消えてなくなったりしないだろう、と思うのです。 だいたい、個人で考えられていることと 社会で考えられていることとは、ほぼイコールなので、 判り易くする為に社会を例にします。 戦後の復興は、日本が敗戦した事を受け止めたから、復興できたと思っているわけです。 ところが、学園紛争以後(私は当時の学生たちだけでなく、社会全体が負けたのだと思っています)、急激に、「嫌なことは忘れる」とか「人生を楽しむ」という風潮になっていき、バブル崩壊後も、この風潮は踏襲されている訳です。 はっきり言って、事実を事実として認めることが出来ないことが、 復興できない最大の理由だと思います。 それに反して、ここ数年で、新たな動きが起こってきました。 これは、かなり復古的な動きです。 かなしいことは、ごまかせっこないんだから、 ちゃんとかなしみたい。 この動きは9・11遺族たちの動きとして、ニュースになりました。 しかし、別に9・11遺族だけでなく、派手ではないにしても、 こういう動きは耳に入っています。 私としては、こっちの方が正しい気がしています。 というか、私はずっとそう思っていました。 と、ここでまが従来私が考えてきたことでした。 で、ここからが自分の問題なのですが、 前記の考え方では、行き詰まってしまったのです。 前記の考え方は、根本的な解決をしようとするアプローチであり、 手法としては正しい(し、かつ健全)と思います。 しかし、それではうまく行かないことが、わかってきたのです。 私は個人的な問題で、子供の頃からかなしみぬいてきましたが、 解決はされませんでした。 根本的な解決など、ありはしなかったのです。 で、今の私は、 ごまかして生きるか、 それを拒絶するにしても、根本的な解決など不可能だったのだから、 なにか代替案が必要だという点で、困っているのです。 かなり客観的に書いたので、私の辛さはつたわらなかったと思います。 今回は回答者として書いたので、それでいいのです。 (回答者の癖に、自分が苦しいとか困ってると訴えるのは、間違ってますから) 相談者の意図とは違うことを書いてしまったと思いますが、 私としてはこの回答は意味があったと思っています。 一般論として、自分だけが困っている訳ではないことは、 当り前のことだし、それは誰だってわかっています。 しかし、一般論としてそういう人が存在することが判っていることと、 実際に困っている人から、実は自分も困っている。 でもまだ負けたわけじゃないゾ というメッセージが送られることは、次元が違うと思うのです。 ちなみに、自分が抱える個人的な問題とは、家族の問題なので、 解決はちょっと無理そうです。 「社長失格」という本の作者の方の講演に行った後で、本人としゃべる機会があったのですが、この方は、会社を潰した後1年間は、なんにもやらずに釣りだけをしていたとおっしゃっていました。 個人的な見解ですが、(あてずっぽうという言い方もある) 今のあなたは自分と向き合う時間を過ごしておられるのではないかと思います。 無理に楽しい人生をおくる必要はないのではないでしょうか。
補足
回答ありがとうございます。 自分が負けたわけじゃないぞというのは次元が違う、という部分だけよく意味が掴めなかったので、もう少し教えて頂けないでしょうか? こうゆう風な傷つき方をしてしまうと傷ついた分だけ、幸せになりたいという欲求が生まれてくるんですよね。 私も家庭環境が複雑で今も落ち着いているわけでもないですが、質問者さまのように社会の中に組み込まれた自分という存在として、自分を認識すると案外冷静でいられるものです。 割と最近亡くなったタレントさんで、レイプされたことを赤裸々に書いた人がいましたよね。 感触というのはなかなか消えないのですよね。自分は気にしてないつもりでしたが、別の男性に少し触れられただけで恐怖感を感じた時にかなり傷が深かったことを思い知りました。 私を傷つけた相手には全身大火傷をおわせたい位憎い、多分相手はそんなに悪いことをしたとは思っていないでしょう。憎い感情と幸せになりたいという欲求。 人間とは面倒なものです。
お礼
回答ありがとうございます。 賛同に関してはいたしかねますが、回答者さまの客観的な視点は参考になりました。そしてこうゆう内容はなるべく身の回りにいる信用できる人間や専門家、ネットの公の場で話すべきではないと思いました。 回答者さまが今から前に進むために、何か糸口をみつけようとしていて行動しているのですね。 お互いに問題を抱えている人が話し合うのは慰めにはなるかもしれませんが、なかなか解決には向かわないのではと思います。不安定なものどうし、逆効果もありえると思います。 どんなにネット時代になろうと顔と顔を合わせて話し合うのがいいと思います。 解決ありがとうございました。