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バプテスマついて
私は、バプテスマを受けようかどうしようかと迷っています。 独身になり家を失い、自分の給料だけで生きているため、給料の10%の献金が出来ません。それから、祈っても平安は訪れませんでした。 私は、昨年一年間プロテスタントの教会の礼拝に参加しました。 年明けにバプテスマを受ける準備を進めていましたが、母親が大怪我をして、経過が悪く2度の手術を受けることになってしまいました。認知症も進んできました。 私の子供も昨年契約切りに合い失業中です。「私と私の家族を守って下さい」と熱心に祈りましたが、苦しい事が次々と襲い掛かかってきます。 教会員に訪ねると「クリスチャンにはサタンの誘惑があり苦しめられます」と言われて、教会に行かなければ良かったと思いました。クリスチャンだから試練に合うのでしょうか?恐いです。 それから、「祈ったからとすぐに環境が変わることはありません」とか「この世で生きてる100年は短いです。その後の天国の生活は永遠に続くのだから、辛抱できる」と言われて、天国に行くためだけの宗教なのかと思ってしまいます。 私は、この世で平安な暮らしがしたいです。神さまに助けてもらいたいです。 献金は、教会の教会員が少なくて苦しい状況ですが、みなさんたくさんの献金を喜んでささげておられます。 しかし、私は今は神さまへの感謝の言葉も出ないし、たくさんの献金をする力がありません。 離婚で苦しんで神さまを求めて教会に行きましたが、こんな考えの私はクリスチャンになるべきではないでしょうか?
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- katyan1234
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教会では、祈っても現状は変わらないと教えられて、この苦しい状況がずっと続くのなら何のために教会に行っているのかわからなくなりました。 レベルの低い教会ですね。こんな教会に加入して献金? やめたほうがいいですよ~
- michael-m
- ベストアンサー率50% (2724/5433)
「天国に行くためだけの宗教なのか」 その通りです。神を信じる事に、他に何の目的があるのでしょう。 貴方はどうもご利益信仰を求めているようですが、洗礼を受けて現世利益を得ようと考えているなら、期待は外れるでしょう。 もう一度きちんと聖書を学んでから、洗礼を受けるべきかどうか考えた方がいいです。 それと、そこの教会の方たちもサタンとか誘惑とか、ちょっと勘違いしている人が多いようです。映画の見すぎではないでしょうかね。 幸せだけの人生を過ごす人なんていませんし、もし居れば最高の不幸です。 健康などと言うものは地球に生命が存在しているのと同じくらい奇跡的なことです。綱渡りのような健康は僅かなバランスの崩れで病気になります。 まずは事実を受け入れる事、そして心の安定を図ること。そこからの出発です。 辛抱するだけなら何もクリスチャンになる必要も無いでしょう。
お礼
ありがとうございます。 私はお金がある裕福な暮らしを望んでいる訳ではありませんが、心の平安が欲しいです。 離婚後半年ごとに大変な苦労が襲ってきて、それがサタンと言われたり、自分の罪のためとか言われると余計に恐くなります。 ここ3年で人生のどん底をみてしまって精神的に参っています。 クリスチャンの誰でもがサタンなんて言わないんですね。 特別な人だと思っておきます。 もう少しゆっくりとよく考えます。
- katyan1234
- ベストアンサー率18% (347/1849)
個人的には教会離れましょうよ。福音じゃなくつまづきだから あなたのために祈るのがクリスチャン。間違っているなら当然人は少ない 出来る人は当然に残り 出来ない人は当然に去りますよね。 神様が招いてくださった方なのに追い出す教会なんて行く必要がないでしょう。福音とはあなたにとって良いニュースだよ(God news) 今そこでがんばりなさいなんて不可能ですよね。 よければプログに来てね。
お礼
ありがとうございます。 他の教会を探してみようと考えています。 それに親と同じ仏教でも問題はないので今のままでもかまわないと感じています。
趣味の会のように考えられては如何ですか? 同じもの(キリスト教)が好きな人達と好きなもの(キリスト教)について話をしたり、勉強したり、活動したり そういう環境が欲しい人は、趣味の会の会費を払って会員になる そういう環境が特に要らないのならやめる >自分の給料だけで生きているため、給料の10%の献金が出来ません 若草物語という物語を知ってますか?4人の姉妹が出てくる童話?です その物語に自分達のクリスマスのご馳走を貧しい人の為にあげてしまう場面があります 1食減って!ブチブチ言う子供をお母さんがたしなめます たぶんキリスト教的には食事を1食抜いても宗教的に正しいことをするのは素晴らしいということなんじゃないかと思います (仏教にもイスラムにも「ある所からない所へ」とか、そういう考え方はあると思いますが) ちょっと質素にするとか、嗜好品を抜くとかでなんとかできませんかね? 模型が好きで好きでたまらない人は、食を抜いてでもプラモデルを買ったりするじゃないですか、あんな感じで それほどの熱意もないってことでしたらあんまり趣味に合ってないのかもしれませんね >この世で平安な暮らしがしたいです。神さまに助けてもらいたいです お金のある暮らしってことですか? うーん、現実的な事を言えば教会の人は話相手にはなってくれそうですけど 具体的に助けてくれるのは難しいかもしれません >こんな考えの私はクリスチャンになるべきではないでしょうか? トイチ献金のことは教会に聞いてください。お金の無い人はどうしてるのかわからないので ただ、そんな考えでもクリスチャンである方が俺的に得だと思うならいいんじゃないかと思います (友達ができた。物がもらえる。キリスト教の勉強が楽しい。活動にやりがいをかんじそう、などなど) 宗教って結局気休めですから、祈って気持ちが前向きになるんなら役に立ってるんでしょうし、そうでないなら必要ないんでしょう 「宗教」は特別な教えだって言う人もいますけど、あんまり「宗教」を特別に考えない方がいいですよ 私は人間の使う道具の一つだと思っています
補足
「この世で平安な暮らしがしたいです。神さまに助けてもらいたいです」 これはお金を持って贅沢に暮らしたいと言う考えではありません。 大きな試練に遭い続けるのではなくて、穏やかな気持ちで暮らしたいのです。 教会では、祈っても現状は変わらないと教えられて、この苦しい状況がずっと続くのなら何のために教会に行っているのかわからなくなりました。 それでも祈祷会と言うものがあったり、「神さまは何でもご存知です」と教えられたり矛盾しています。 何もこの世に希望がないのなら、何故祈りがあるのか? 毎年10万以上のお金を献金しても、穏やかな気持ちで暮らせないのなら意味がないように感じています。
お礼
ありがとうございます。 教会はたくさんあるので、何ヶ所か訪ねてよい教会を探します。