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「くまも落ちず」の「くま」とは何ですか?
伊藤左千夫の短歌にあります、 くまも落ちず家内(やぬち)は水に浸ればか板戸によりてこほろぎの鳴く の、 くまも落ちず とは、どういう意味でしょうか。 「くま」とはどういう語でしょうか。 また、ダンテの神曲(寿岳訳)にある、 「残りの一方は、全山ために感動して、 『くまぐま落ちず』揺れ振るう因となった亡霊」(煉23) また、 「愛の感動の命ずるままを、 『くまも落ちず』歌い出ずるもの、それが私」(煉24) にある、「くま」も、同様のものでしょうか。 それぞれの意味を教えてください。
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小学館『日本国語大辞典』(の縮刷版のCD-ROM。パソコンのおまけに付いてきた)を参考にしました。というか、それに頼り切って回答します。 「隈」(くま)は「奥まったところ、片隅(かたすみ)」という意味があります。また、「落ちる」は「(揃っているはずの物の一部が)欠ける、漏れる」の意味があります(例文:私の名前がリストから落ちている)。したがって、「隈も落ちず」は「すみっこも欠けず」ということで、「すみずみまで欠けることなく」の意味になります。分かりやすく言うと「隈無く」と似たような意味でしょう。 以上で、伊藤左千夫、ダンテの「煉23」の用例は説明が付くように思います。 「隈」は「曲」とも書き、「道などの曲がりかど」という意味もあります。『日本国語大辞典』は次のように解説しています。 隈も置(お)かず[=落(お)ちず] 曲がり角ごとに。 *万葉‐九四二「往き隠る 嶋の埼々 隈毛不レ置(くまモおかず)思ひそ吾が来る」 (引用終り。「レ」は返り点らしい) これを言い換えるとすれば、「辻ごとに」という言葉が思い浮かびます。「辻」は「道路が十文字に交差している所」で、「辻ごとに」は「交差点ごとに」となりますが、「街のそこかしこで、いたるところで」のような意味にも用いられますね。「隈も置かず」を「曲がり角ごとに」と語釈するのも、そのように考えると合点がいきます。 「置く」は「別にする。除く。さしおく」の意味があります。「隈も置かず」を「すみっこも除かず」と理解することも可能でしょう。 最後に、ダンテの「煉24」については少し加味される意味合いがあるかも知れません。「隈」(奥まったところの意)は「暈」とも書き、「曇り、暗がり、心の中の暗い部分」の意味があります。奥まった所は暗いわけです。 「愛の感動の命ずるままを、くまも落ちず歌い出ずるもの、それが私」(煉24) この「くまも落ちず」は、「心に曇りや隠し隔てなく、すみずみまで満腔の感動に揺さぶられて」歌い出す者、それが私というようなニュアンスがありそうです。
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- kogotokaubewe
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「くま」は曲がって入り組んだところとか、隅(すみ)とかいう意味ですね。 http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%81%8F%E3%81%BE&dtype=0&stype=1&dname=0ss&pagenum=1&index=105509900000 『日本国語大辞典』(小学館)では、「くまも置かず(=落ちず)」の項目で、「曲がり角ごとに」という語釈を載せています。 左千夫の歌では「どこもかしこも」というような意味で使われているのではないでしょうか。「家の中はどこも水びたしだからだろうか、コオロギは(水平なところではなく垂直な)板戸にとまって鳴いている」というような内容では。 『神曲』の方もやはり「どこもかしこも」とか「なにもかもすべて」ということだと解釈すれば、意味が通じるように思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 手の届かない隅っこのようなもののないことをいうのですね。 ありがとうございます。よくわかりました。
お礼
多くの用例と、つっこんだ解釈、大変ためになりました。 「くまなく」、が現代の語感にしっくりときますね。 和語の広がりの奥深さを感じます。 ありがとうございました。