※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:『死』を目前とした母に対しての心構え。)
母の死に向けての心構え
こんにちわ。
現在、何時逝ってしまうか分からない“母”のことで皆さんにご相談したい事があります。先日、主治医に最近呼吸が止まってしまうことが何度か続いている。との事でエアー.マスクをし、心音や脈拍、肺の状態が判るように身体に吸盤の様なものを付けられそれがN.Sに心電図の様なモニターに現れる装置を付けられています。医師は家族の方としては悲しいことだとはわかりますが、呼吸が停止してしまうのは、今日かも知れないし、明日かも知れないし、こればかりは『神様』しか判らない・・・。と言われ毎日が気が気では有りません。
『生老病死』それが自然で有ることは判ってはいても、嫁に“いびられ続けられたこと”が頭の中に蘇り、よく我慢をしてきたね。頑張ったね・・・と思うともうやり切れずで、悔しいやら、可哀想やらで耐えられないでいます。
こうした親の死を目前とされた『体験』をされた方どうかアドバイスをお願い致します。
お礼
アドバイスをして頂き有難うございます。 あなた様の場合はお父様はお若くして亡くなられたようですね。 私の場合は11年の介護暦があり、ここまでくるまでに、“今度こそダメか”といったことが何度かありました。 しかし、今回は本物の様です。医師からも何時呼吸が止まるかは『神様』しか判らない。とはっきり言われています。もうかなりの高齢なので亡くなったとしても『大往生』としたものです。 お見舞いに行っても、耳元で『お早う。』とか、『誰だか分かる。』と言っても朦朧とした状態です。寝たきりが続きもう言葉を発すことも出来ず、意思表示は出来ません。でも、自分の娘だという事は“魂レペル”で感じているはずだと思っています。逝くときは眠るように昇ってほしいと願っています。 若くしての死、大往生の死、逝ってしまうことには何ら変わりはないですが、いずれにしろ残された者は辛いですね。 25歳という若い時に親の死を体験するなんてとてもお辛かった事と思います。 私は今までの時よりこれからの時間がもう限られている年齢に達していますが、やはりまだ受け入れがたい心境です。 ご意見有難うございました。感謝致します。